丹波・丹後の妖怪あつめ

京都府北部(丹波・丹後地域)の妖怪伝承を紹介するブログです。

丹波・丹後の妖怪あつめとは?


『丹波・丹後の妖怪あつめ』は、主に京都府北部(丹波・丹後地域)に伝わる妖怪奇談怪談俗信伝説噂話などを節操なく紹介していくブログです。不定期更新。
有名どころから聞いたこともないようなものまで、幅広く取り扱っていく予定です。
その内、他の地域のご当地妖怪も紹介出来ればいいなあとぼんやり考えています。
なお、文末に補足・私見・他地域の似ている妖怪紹介・どうでもいい余談などを書く場合がありますが、読み飛ばしても何ら問題ありません。
どうぞよろしく。

取り扱い地域一覧(予定)
*丹波地域(亀岡市、南丹市、京丹波町、綾部市、福知山市)
*丹後地域(与謝野町、舞鶴市、宮津市、京丹後市、伊根町)
*その他近隣地域(京都市、兵庫県丹波市、兵庫県丹波篠山市などいろいろ)


(2020/5/17 追加)
そもそも丹波丹後地域ってどこやねん。とお思いの方用に大雑把な地図を作りましたので参考にどうぞ。

丹波丹後地図
CraftMAP」様の地図使用(http://www.craftmap.box-i.net/)

傀儡の精

傀儡の精 (くぐつのせい)


昔、諸国を巡業する一人の傀儡師(人形を使う旅芸人)がいた。
年を取り、まともに歩くことすら難しくなったので、彼は傀儡師を辞め故郷の丹波国笹山(現・丹波篠山市)へ戻った。
だが、次第に生活は苦しくなっていき、やがて湯を沸かすための薪すら事欠くようになってしまった。
そこでこの老人は、かつて仕事で使っていた人形をバラバラに割り砕き、これを薪にして湯を沸かした。

その夜、近隣の村人たちは、叫び声を上げながら狂ったように走り回る老人の姿を見かけた。
村人たちは急いで老人を押し止め「一体何が取り憑いたんだ」と聞くと、彼は答えた。
「私はこの老人が使っていた傀儡の精だ。この者、かつては私を使って仕事をし、大切に扱ってくれていた。だが今は庭の片隅に捨て置き、埃を払うこともしない。私の身体はネズミの巣にされ、顔は欠け壊れ、衣服は腐り破れ恥ずかしい姿を晒したまま朽ちていった。挙げ句、バラバラにされて火の中に放り込まれたのだ。この怨みは尽きない。見ろ、「古物に霊なし」と侮ったこの者の命、今すぐ奪ってみせてやる」
次の瞬間、老人は多量の血を吐きながら悶絶し、その夜の内に死亡したという。


『続向燈吐話』

坊主狸

坊主狸 (ぼうずだぬき)


東本梅村(現・東本梅町)にある小さな森には、一匹の古狸が棲んでいた。
この狸は夕方になると坊主に化けて道に立ち、通行人に何事か話しかけてくるという。
狸を恐れた村人たちは、夕方になるとこの森の近くを歩かないようにしたという。

『丹波の伝承』


おしゃべり好きの狸だったんでしょうか。

小蛇娘

小蛇娘 (こへびむすめ)


昔、上和知村の農家に一人の娘がいた。
ある朝のこと、家の主人が娘の草履が濡れていることに気づいた。それから毎朝、必ず娘の草履は濡れそぼっていた。
不審に思った主人は原因を確かめようと、娘の部屋の隣で寝ることにした。
その晩、娘が部屋を抜け出す物音が聞こえてきたので、主人は彼女の後を追った。
娘は大野川沿いの道を歩き続け、やがて蛇ヶ淵と呼ばれる所まで来ると、着物を脱ぎ捨て髪を振り乱しながら水中に飛び込んだ。
娘はしばらく泳いでいたが、やがて陸に上がると再び着物を纏い歩き出した。
それから一里半(約6km)程進み、娘は鏡石という鏡のような岩の前で身なりを整えた。
三度歩き出した娘は、胡麻郷村(現・南丹市日吉町)と大野村(現・南丹市美山町)の境にある大池の畔までやって来て、同じように水中へ飛び込んだ。
池に浸かった娘は、見る見るうちに小さな蛇へと変化していった。
これを見て驚いた主人は、一目散に自宅へと逃げ帰った。
それ以来、娘は二度と家に帰ってくることはなかったという。

それから数日後のことである。
胡麻郷村の猟師が狩りに出かけ、例の大池の畔で休憩していた。
ふと、池の水面が揺れ、中から美しい小蛇が陸地目がけて泳いできた。
陸に上がった小蛇は猟師の近くまで這ってくると、彼の足の親指に噛みついた。
猟師がうろたえることなく観察していると、小蛇は親指を呑み込み、更に足までも咥え始めた。
流石に気味が悪くなったので、猟師は鉄砲を小蛇に狙い定めた。
すると、小蛇は構えた銃口もろとも彼のすねまで呑み込んでしまった。これ以上はまずい、と猟師は引き金を引いた。
猟師が銃を撃つと同時に、池の水面が真っ赤に染まり、そこに大きな蛇の死骸が浮かんできた。
これを見た猟師は慌てて逃げ出した。その途中、滝の中で光る三枚の大きな鱗を見つけた。
きっとあの大蛇の鱗に違いない。猟師は鱗を持ち帰り、家の庭に埋めて塚を建てた。
塚は鱗塚と呼ばれていたが、後に祟りが頻発したため墓地へ移されたという。

『丹波の伝承』


後年に出版された『京都 丹波・丹後の伝説』(1977年刊)では、
「水不足が続く村を救うため、娘は竜になって天に昇り雨を降らそうとしたが、途中で父に見られたため失敗した。その後、蛇の姿のまま人間にも竜にもなれないことに絶望し、猟師に撃ち殺してもらう」というやたら救いのない話になっています。

狭間峠の怨念

狭間峠の怨念 (はざまとうげのおんねん)


今から百年程昔、狭間峠で起こった話である。
梅雨時のある夜、一組の父娘が狭間峠を通っていた。
時刻は午前二時を過ぎており、提灯の灯り以外辺りは真っ暗闇である。
二人は少しでも早く峠を抜けようと、息を切らせながら一心に歩を進めていた。
その時、どこからか「ウーン、ウーン」と妙な呻き声が聞こえてきた。
目を凝らして暗闇を見つめると、その先から「ウーン、ウーン」という断末魔のような唸りと共に「あいつがぁ、あいつがぁ」と恨みの籠もった声が聞こえてくる。
父は五年前、この峠で強盗に殺されたという郵便配達員のことを思い出した。
きっとこの声は、殺された郵便配達員の怨嗟の声に違いない。
二人は数珠を取り出し、奥にある池の方に向かって夢中で念仏を唱えたという。

この話はすぐに村人たちに伝わり、いつしか「狭間峠には幽霊が出る」と言われるようになった。
そこで村人たちは配達員の成仏を祈り、峠に地蔵を建立して祀った。それ以来、呻き声は聞こえなくなったという。

『福知山の民話と昔ばなし集』

滝壺の赤牛

滝壺の赤牛 (たきつぼのあかうし)


大正末期、弓削八丁谷(現・京都市右京区京北上弓削町)にある馬場(ばんば)の滝の上流から材木を伐り出すため、数名の木樵が近くの小屋で寝泊まりしながら作業していた。
大雨が夜通し降り続いた翌朝のこと、小屋の入り口に置いておいたはずの道具類が見当たらない。
大雨に流され滝壺に沈んでしまったのだろう。そう考えた木樵たちは、中でも泳ぎの上手い男に道具の回収を頼んだ。
男は何度も滝壺へ潜り、底に沈んだ道具を拾い上げていった。しかし、その顔は青ざめ強ばっている。
他の木樵が「滝壺に何かいたのか?」と問うと、男は「滝の底に大きな赤い牛が寝ていた。大人しくて、何もして来なかったが…」と答えたという。
馬場の滝は上下段に分かれていて、両方に深い滝壺がある。
そこには主が棲んでいて、上下にある滝壺を交互に行き来しているのだと伝えられている。

後に、馬場の滝壺へ鉄屑を捨てた男が高熱に倒れ、およそ一ヶ月後に死亡したという話がある。
床に伏した男はうわごとのように「仏壇の奥から赤茶色の蛇が沢山出て来て、俺の胸に巻き付いてくる。早く取ってくれ!」と叫び続けていたという。

『続 京北の昔がたり』


水中に赤い牛がいる、という話は各地にあるようで、
『日本怪談実話〈全〉』には「長野県の上田城の堀から、二本の角を生やした真紅の牛が飛び出して来て池の中に消えた」という話があり、
『伊豆の伝説』には「対島村(静岡県伊東市)の池に赤牛(池の主)が棲んでいたが、旅の僧に成仏させられた」という話があります。
探せばもっと出て来そうですね。