丹波・丹後の妖怪あつめ

京都府北部(丹波・丹後地域)の妖怪伝承を紹介するブログです。

2019年08月

海の亡霊

海の亡霊 (うみのぼうれい)


ある夜、三人の漁師が船で経ヶ岬に向かっていた。
するとブリッジに亡霊が現れて、船に張り付いて機械を止めてしまった。
どんどん海は荒れてくるが船はぴくりとも動かない。
「このままではいつ転覆するかわからないから泳いで帰ろう」と言って、三人は海へ飛び込んだ。
三人はお互いに声を掛け合いながら、嵐の海を泳いで行った。

漁師二人は何とか経ヶ岬の灯台の所まで泳ぎ着いたが、三人目がどこにも見当たらない。声も聞こえない。
残った二人は急いで村へ戻り、村人たちに遭難した仲間を捜してほしいと頼んだ。
だが、皆で海に駆けつけた頃には既に船の姿は見えず、結局死体も上がらなかったという。

『京都府伊根町の民話 -泉とく子・藤原国蔵の語り-』「海の亡霊」より


グレムリン(機械を不調にさせる西洋の妖精)みたいなことをする亡霊ですね。
行方不明になった三人目は、この亡霊に連れて行かれたのでしょうか。

葛食い

葛食い (くずくい)


保津川下流の山奥には“葛食い”が棲んでいると伝えられている。
葛食いとは魔物と言われるほど大きな蛇のことで、胴回りは腕よりも太く、長さは二間(約3.6m)にも達するという。
葛食いは葛が生い茂り、光の差し込まない薄暗い場所を好んで住処にしていた。
たとえ姿が見えなくても、この大蛇が近くにいるだけで震えが来るという。
この大蛇に睨まれた者は恐怖心から身動きが取れなくなり、姿が見えなくても、葛食いが近くにいるだけで震えが来ると言われている。
葛食いに出遭ったという老人は震えが止まらず、やがて病気になって寝込んでしまったという。

『ふるさと保津』「葛食い」より


名前や住処から考えるに、葛を好んで食べていたのでしょうか。
肉食の蛇が葛を食べるの?という疑問はありますが……。


伝承地:亀岡市保津町・保津川下流の山中


大雲橋のカゲロウ

大雲橋のカゲロウ (おおくもばしのかげろう)


昔、北有路の阿良須城と南有路の引地城が、由良川の水利権を巡って合戦をした。
その戦は僅か一日で決着がつき、阿良須側の勝利に終わった。
それ以来、毎年城が落ちた日の夜になると、合戦で死んだ人々がカゲロウ(白い蛾とも)になって姿を現し、北有路と南有路に架かる大雲橋付近で戦を始めるという。
その数は夥しく、提灯の火が消えるほどの大群が集まってくるという。
翌日になると、大雲橋の上は一夜にして死んだカゲロウの死骸で埋め尽くされる。
不思議なことに、死骸の数は橋の南側、引地城に近い方が多いと言われている。

『大江町風土記 第2部』「死んだ人が蛾になって出るはなし」
『大江町誌 通史編上巻』「第2章 大江町の山城 (十三) 南有路城と引地城」
『京都 丹波丹後の伝説』「大雲橋の蛾」より


カゲロウの成虫はわずか一日で死んでしまうので、それと戦の死者をリンクさせて生まれた話なのかもしれません。
山形県には「合戦の死者が蛍に転生してまた戦いを始める」という、似たような話が伝わっています(『東北怪談全集』)。

どうでもいい補足ですが、カゲロウたちの戦場となる大雲橋は昭和二年に完成した橋で、合戦当時にはありませんでした。
あと、引地城とは南有路城の出丸に当たる城(砦?)で、城主は矢野五郎右衛門(『田辺旧記』)という人物だったそうです。阿良須城の城主は不明。

P8170166
現在の大雲橋(福知山市大江町南有路)

かんす狸

かんす狸 (かんすだぬき)


夜久野町の平野と水上の集落境を通る道路、その上手には杉木立があり、小さな森になっていた。
ある時、この杉木立に茶を沸かす「かんす(鉄瓶)」が下がっていた。
かんすに気づいた村人が家に持ち帰り、それを使って茶を沸かそうとした。
すると「あっちっち」という悲鳴と共に、たちまちかんすは狸に姿を変え、その場から逃げ出して行ったという。

『上夜久野村史』「かんす(平野)」より


いわゆる「分福茶釜」の夜久野バージョンといった感じの話です。
ちなみに秋田県男鹿市にも同じような話が伝わっています。(『民間伝承』4巻2号)
ただ、こちらは「木から茶釜が下がった」というだけで、持ち帰って茶を沸かすといったエピソードはありません(茶釜の正体もわからないまま)。

首の飛ぶ刀

首の飛ぶ刀 (くびのとぶかたな)


昔、園部藩の殿様が埴生の村に泊まったことがあった。
その時、殿様は一振りの刀を置いて帰ったが、この刀は抜いただけで必ず首が飛ぶというものだったので、家の者は絶対にこの刀を抜かないよう、大切に保存したという。

『園部の口碑、伝承 おじいさんたちの話』「首のとぶ刀」より


扱いに困る置き土産ですね。


伝承地:南丹市園部町
埴生


えんねん

えんねん


北部の大島では、漁で網が海底の岩に引っかかったり、網が破れたりすると「“えんねん”がかかった」と言って諦める風潮があったという。
“えんねん”とは「怨念」という意味と考えられている。

『宮津の民話 第二集』「海のこぼれ話」より


宮津ではカスザメのことを「えんねん」と呼ぶそうですが、上記のえんねんとの関係は不明です。

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