丹波・丹後の妖怪あつめ

京都府北部(丹波・丹後地域)の妖怪伝承を紹介するブログです。

2020年03月

小山のすっぽん

小山のすっぽん (おやまのすっぽん)


園部町小山の山間には、すっぽんの棲む池がある。
昔、ある子供が足を踏み外してこの池に落ちてしまった。
村人たちが駆けつけて助け上げたが、子供の尻にはすっぽんが血を吸った穴が空いていたという。
この池のすっぽんは、八月の期日までに人間の肝を取って池の弁財天に献上しなければ、仲間外れにされて追い出されてしまうのだという。
そのため、すっぽんは人間を池に引き込もうと周到に待ち構えているのである。
すっぽんに肝を取られないよう、親たちは九月になるまで子供を池に近寄らせないのだという。

『口丹波口碑集』「すっぽんの話」
『ふるさと口丹波風土記』「小山のすっぽん」より


池社会も大変ですね。

竹切狸

竹切狸 (たけきりだぬき)


昭和初期、保津村の大年の竹藪には“竹切狸”という妖怪が棲んでいたという。
この狸は夜になると、竹を切る音を立てて人々を騙すという。
始めにチョンチョンと竹の枝を払う音を出し、ギイギイと株を切る音を立て、最後にザザッと倒す音をさせる。
だが翌朝見に行ってみると、どこにも竹が伐られた痕跡がないという。

この竹切狸の話は、昭和の終わり頃にも伝えられている。

かつて曽我部南条から寺区への道には藪があったが、ここに竹切狸が棲んでいたという。
夜になるとチョンチョンと尻尾で竹を叩き、シューと挽く音をさせていたという。

また、平成の頃にも大阪府に竹切狸が現れたという話がある。

ある研究施設の敷地内の竹林では、夜中になると枝を切る音や竹を切り倒す音がする。
翌朝行ってみても竹は倒れていない。これは竹切狸の仕業だと言われている。

『丹波の伝承』「竹切狸」
『亀岡風土記』「曽我部町南条 狐狸の話うせ、今大学の町に」
『映画「学校の怪談」によせられたこわーいうわさ』「ふとふりかえったその顔は…」より

TAKEYABU
かつて竹切狸が棲んでいたと言われる辺りの竹藪。

QRコードの読めない案内板
竹切狸伝承の案内板。
看板のQRコードをスマホなどで読み取れば詳しい解説が読める……はずだったのですが、剥がれていて読み取れませんでした。ちくしょう。

竹切狸像
鳥取県境港・水木しげるロードの竹切狸のブロンズ像。かわいい。

ちなみに、水木しげる氏の『図説 日本妖怪大全』では「竹切狸は兵庫県の山奥に現れた妖怪」と紹介されています。
が、後に再編した『決定版 日本妖怪大全』では「保津村(亀岡市)に現れた」と修正されています。地域を間違えていたんでしょうか?
都会から見れば京都北部なんて兵庫の山奥と変わらないのかもしれませんが。


伝承地:亀岡市保津町


酒ごんご、油ごんご

酒ごんご、油ごんご (さけごんご、あぶらごんご)


木津の龍献寺の下にある旧道は、古い杉や欅が茂っていて昼でも薄暗い所である。
そこには高さ1m程の石垣があって、根本には30㎠ほどの石を抜いた穴が空いている。
その穴には年を取ったイタチが棲んでいて、人が通ると「酒ごんご(五合)、油ごんご(五合)」と声がかけられるという。
イタチの声を聞いた者は、その通りの品を穴の前に持って行かなければ祟りがあると言われていた。
そのため、この道を通る時はなるべく声を聞かないよう、耳を押さえて足早に通り過ぎていたという。

『丹後の伝説 ふるさとのはなし』「酒ごんご、油ごんご」
『季刊 民話 1975冬 創刊号』「奥丹後物語 草稿」より

躓く石橋

躓く石橋 (つまずくいしばし)


吉川村のとある家の前に、田圃へ行くための短い石橋が架かっていた。
この石橋は気をつけて渡らなければ、必ず躓いて怪我をするという。しかも、必ず大怪我になる。
これは、この石橋の下に地蔵が埋まっているからだと言われている。

『口丹波口碑集』「石橋」
『丹波の伝承』「穴川の石橋」より


参考文献の二冊ともほぼ同じ内容ですが、先に出版された『口丹波口碑集』には、転ぶのは「橋の下に埋まる地蔵が原因」と記されています。
ですが、後年に出た『丹波の伝承』には転ぶ原因が記載されていません。


伝承地:亀岡市吉川町


九右衛門寒い

九右衛門寒い (くえもんさむい)


昔、世木村の九右衛門という男が、岩の上に生えていたツタを採って家に持ち帰った。
それから毎晩、どこからともなく「九右衛門寒い。九右衛門寒い」という不気味な声がするようになった。
九右衛門が採ったツタは狸が巣に使っていたもので、それを壊したことを怒って訴えに来たのだという。

『丹波の伝承』「九右衛門寒い」より


不憫だけどちょっと可愛い。


伝承地:
南丹市日吉町中世木


一本松の大男

一本松の大男 (いっぽんまつのおおおとこ)


ある夫婦が親戚の家に行き、夜遅くになってから帰路についた。
寂しい夜道を歩き続け、二人は「八百比丘尼が挿した」という伝承がある一本松の近くまで来た。
その一本松に、裸の大男が腕を組んでもたれかかっていた。
一本松にはよく大男が出て、通行人を見つけると「相撲とろかい、相撲とろかい」と勝負を持ちかけてくるという。
大男を見て驚いた二人は、見つからないようにそっと道の裾へ下り、這うようにして一本松を通り過ぎた。
やっと村まで辿り着くと、二人は「大きかったなぁ」と息を弾ませてへたり込んだという。

『中筋のむかしと今 下』「一本松の大男」より

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