小蛇娘 (こへびむすめ)


昔、上和知村の農家に一人の娘がいた。
ある朝のこと、娘の草履がずぶ濡れになっていることに家の主人が気づいた。それから毎朝、必ず娘の草履は濡れそぼっていた。
不審に思った主人は原因を確かめようと、娘の部屋の隣で寝ることにした。
その晩、娘が部屋を抜け出す物音が聞こえてきたので、主人は彼女の後を追った。
娘は大野川沿いの道を歩き続け、やがて蛇ヶ淵と呼ばれる所まで来ると、着物を脱ぎ捨て髪を振り乱しながら水中に飛び込んだ。
娘はしばらく泳いでいたが、やがて陸に上がると再び着物を纏い歩き出した。
それから一里半(約6km)程進み、娘は鏡石という鏡のような岩の前で身なりを整えた。
三度歩き出した娘は、胡麻郷村(現・南丹市日吉町)と大野村(現・南丹市美山町)の境にある大池の畔までやって来た。
その池に娘が飛び込んだかと思うと、見る見るうちに小さな蛇へと変化していった。
この恐ろしい事実に驚いた主人は、一目散に自宅へと逃げ帰った。
それ以来、娘は二度と家に帰ってくることはなかったという。

それから数日後のことである。
胡麻郷村の猟師が狩りに出かけ、例の大池の畔で休憩していた。
ふと、池の水面が揺れ、中から美しい小蛇が陸地目がけて泳いできた。
陸に上がった小蛇は猟師の近くまで這ってくると、彼の足の親指に噛みついた。
猟師はうろたえることなく様子を観察していると、小蛇は親指を呑み込み、更に足までも咥え始めた。
流石に気味が悪くなったので、猟師は鉄砲を小蛇に狙い定めた。
すると、小蛇は構えた銃口もろとも彼のすねまで呑み込んでしまった。これ以上はまずい、と猟師は引き金を引いた。
猟師が銃を撃つと同時に、池の水面が真っ赤に染まり、そこに大きな蛇の死骸が浮かんできた。
これを見た猟師は慌てて逃げ出したが、その途中、滝の中に三枚の大きな鱗が光っているのを見つけた。
きっとあの大蛇の鱗に違いない。猟師は鱗を持ち帰り、家の庭に埋めて塚を建てた。
塚は鱗塚と呼ばれていたが、後に祟りが頻発したため墓地へ移されたという。

『丹波の伝承』「鱗塚の由来」より


後年に出版された『京都 丹波・丹後の伝説』(1977年刊)では、
「水不足が続く村を救うため、娘は竜になって天に昇り雨を降らそうとしたが父に見られたため失敗した。その後、蛇の姿のまま人間にも竜にもなれないことに絶望し、猟師に撃ち殺してもらう」というやたら救いのない話になっています。