丹波・丹後の妖怪あつめ

京都府北部(丹波・丹後地域)の妖怪伝承を紹介するブログです。

舞鶴市

蛇ヶ池の大蛇

蛇ヶ池の大蛇 (へびがいけのだいじゃ)


昔、岡安の北の峠に蛇ヶ池という池があり、そこに大蛇が棲んでいた。
人々はこの池に近づくと影を飲まれると恐れ、新しい峠道を作って通行を避けていた。
その頃、泉源寺村の豪族の家に美しい娘がいた。
だが毎晩若い男がその娘の元に忍び通っていたので、心配した両親は長い糸に針を通し、男の袴の裾に縫いつけておいた。
すると翌朝、糸は娘の部屋の戸に空いた節穴から外へ抜け、蛇ヶ池の中へ消えていた。
若い男は蛇ヶ池の大蛇であることを知り、両親は村人を集めて討伐に向かった。
大蛇は池を追い立てられ中山まで逃げたが、追手の弓の名人によって遂に討ち取られた。
大蛇は逃げる途中、六人の村人を呑み殺したので(気を吹きかけて殺したとも)、後にお堂を建て六地蔵として祀ったという。
この大蛇を射止めた場所は「蛇死(じゃじ)」、蛇ヶ池があった場所は「池ヶ首」と呼ばれている。

『朝来村史』「池ヶ首の伝説」
『舞鶴市史 各説編』「池ヶ首(岡安)」より


池ヶ首付近
蛇ヶ池跡地(池ヶ首)。
蛇ヶ池は岡安の青葉山ろく公園の北側、登尾方面へ向かう峠の辺りにあったそうですが、現在は埋め立てられいて往事の面影はありません。
『朝来村史』には「蛇ヶ池を埋めた時、粗朶(木の枝を束ねたもの)を約千二百把投げ入れ、その上に土砂を置くことが出来た」とあるので、相当深い池だったことが窺えます。


伝承地:舞鶴市岡安


滝になった白蛇

滝になった白蛇 (たきになったしろへび)


平の坂尻の少し上に「蛇谷」という谷がある。
ある日、村人が蛇谷近くの滝で美しい白蛇を見つけ、捕まえようと追いかけた。
白蛇は100m程上流へ移動し、断崖に張りつくと、みるみる大きくなった。
やがて断崖の上から下まで届く程になり、それを見た村人は驚いて逃げ帰った。
だが翌日も同じ様子だったので、近づいて確認すると、それは飛沫を上げて落下する滝だった。
村人はこれこそ白蛇の化身だと思い、蛇谷に帰ろうとしたが、隣の細谷で力尽きたという。

『ふるさと岡田中』「蛇谷」より


伝承地:舞鶴市平



鮭に乗った神

鮭に乗った神 (さけにのったかみ)


顕宗天皇元年(485)三月二十三日の夜、由良の湊の野々四郎という男が海で釣りをしていると、突然水面が光り輝き、昼よりも明るくなった。
見ると、白い着物を着て金色の鮭に乗り、左手に蚕、右手に五穀の種を持った異人が現れた。
異人は「私は上古の神である。今から大川の里まで行こうと思っているので、このことを村人たちに告げ、すぐに神籬を立てて祀りなさい」と言った。
更に翌年(486)の正月二十八日にも、大川村の八歳の子供が四郎と同じお告げを受けた。
そして同年三月二十三日に天皇から社殿造営の勅命が下り、九月二十三日に大川明神を勧請して祀ったという。
このため大川神社では、正月二十八日、三月二十三日、九月二十三日と年に三度祭を行っている。

『丹哥府志』「大川神社」
『京都の伝説 丹後を歩く』「鮭に乗った神」より


大川神社
大川神社。
大川神社の祭神は保食神とされています。
(『日本書紀』にある食物神で、口から吐き出した食べ物で月夜見尊を接待したらブチギレられて殺され、その死体から蚕や穀物、牛馬が生まれた)
本文の鮭に乗った神が蚕と五穀の種を持っていたのは、保食神の伝承と関係がありそうですね。
創建時は西の徹光山の頂上に鎮座していましたが、麓の由良川を往来する船に祟りがあったため、後に山腹へ移されました。
ちなみに野々四郎は本文の神(女神とも)を背負って徹光山に登りましたが「戻る途中で振り返るな」という神との約束を破り、由良川の川端で振り返ったところ、たちまち死んでしまったそうです。


大川神社本殿
大川神社本殿。
大川神社の使いは狼と言われていて、昔から大川地区には狼の害がなかったそうです。

同神社には「御駒」と呼ばれる30cm程の石の狛犬があり、疫病の流行や狐狸が祟りをなした時に「御駒」を借りると、その村へ狼が来て狐狸妖怪などから守ってくれると言い伝えられています。(『丹哥府志』)
また佐土原藩の修験者・野田成亮の巡礼日記『日本九峯修行日記』にも大川神社の御駒についての説明があります。
こちらでは「神前に祝詞を捧げて御守り(御駒のこと?)を借りれば狼の害を防ぐことが出来る」とあり、更に「願いが叶ったら約束した期日までに御守りを返す習わしだが、もし返さなければ悪犬というものが借りた人につきまとうらしいので早めに返した方がいい」と、御守りを返却しない人へのペナルティも記されています。
悪犬が何かはわかりませんが、名前からしてあまり良い存在ではないっぽいですね……。


野々宮神社
こちらは野々宮神社。
大川神社正面の国道沿いにあり、同神社の御旅所とされています。
『丹後国加佐郡旧語集 下巻』によると、川端で振り返って死んだ野々四郎を祀る社だそうです。


亀→鯉と乗り換えて川を遡上した神


伝承地:舞鶴市大川・大川神社


おふじさん

おふじさん


昔、上東村の藤津神社の下に、ニ反(約2000㎡)もの御供田があった。
ある時、おふじさんという女性は姑から「一日で御供田の田植えを済ませろ」と命令され、早朝から田植えに励んだが、夕方になっても終わらなかった。
そこで太陽に向かって「もう少しいて下さい」と願ったところ、それから太陽は沈まなくなった。
おふじさんはその間に作業を続け、何とか田植えを終わらせることが出来た。
不思議なことに、作業が終わると同時に太陽は沈み、辺りは暗闇に包まれた。
だが太陽を止めた咎か、その後、おふじさんは高熱を出して死亡した。
村人たちはおふじさんを哀れみ、彼女を超人的な力の持ち主として藤津神社に祀ったという。


『八雲のれきし』「おふじさん(上東)」
『舞鶴の民話 第一集』「おふじさん(上東)」より


上東の氏子の間には「おふじさんを可哀想に思うなら藤は燃やさない」「山で藤を切っても持ち帰らずその場に捨てる」など、藤にまつわる慣習があったそうです。


藤津神社
上東の藤津神社。
由緒沿革は不詳とされていますが、一説には「藤」という女性が社殿を造営したと伝えられています。
応仁の戦乱の頃(1467~1477)、上東村に藤という信心深い娘がいた。
ある日、藤は村の南の山頂にある檜の大木に龍灯がかかるのを見た。
藤は神々の示現であると感じ、春日神社・八幡神社・大日霊貴神社の社殿を造営した。
その後、村人たちが社殿を改築し「藤津神社」と称して村の氏神にした。(『八雲のれきし』)

「沈む太陽を止める」という話は、鳥取県の「湖山長者」(ある長者が田植えを済ませるため沈む太陽を黄金の扇で止めるがその咎で没落する話)や、広島県の「平清盛の日招き」(平清盛が音戸の瀬戸(海峡)の開削工事を期日通りに終わらせるため沈む太陽を扇で招き返す話)などが有名です。(『因幡志』『広島 歴史と文化』『日本怪異妖怪事典 中国』など)
ちなみに丹後地域だと、与謝野町と京丹後市に「太陽を止めたことで没落する長者」の話が伝わっています。

また、おふじさんのように嫁が田植えを終わらせるために太陽を止める話は静岡県や島根県にも伝わっています。

●静岡県
ある嫁が舅に一日で田植えを終わらせるよう命じられたが、途中で日が沈みかけたので「植え終わるまで待ってくれ」と太陽を招いた。だが植え終わった後、嫁は腰を下ろすと同時に倒れて死んだ。以来そこを嫁殺田(嫁田)と呼ぶ。(『静岡県伝説昔話集』)
●島根県
隠岐島五箇村の重屋という家の嫁が赤子を背負って田植えをしていた。あと少しのところで日が沈みかけたので、嫁は太陽を手招きした。すると太陽が後戻りし、その間に田植えを済ませることが出来た。だが気づくと背中の赤子の首がちぎれてなくなっていた。(『隠岐島の伝説』)

静岡県も島根県も話の流れはだいたい同じですが、島根県の方は太陽を戻した罰なのか、赤子の首がもぎ取られるというホラーなオチになっています。
どことなく小泉八雲の「幽霊滝の伝説」のラストを彷彿とさせますね。恐ろしや。


伝承地:舞鶴市上東


一本松地蔵

一本松地蔵 (いっぽんまつじぞう)


慶長六年(1601)、大雨による氾濫を防ぐため、伊佐津川の瀬替え(堤防工事)が行われた。
工事奉行の山口長左エ門には美しい娘がいて、彼女は毎日昼前になると父に弁当を届けに現場へ来ていた。
美しい娘は人夫の評判となり、彼女が現場に来る度に作業の手が止まるため、工事がはかどらなくなった。
その上、工事の途中で洪水が起こり、完成間近の堤防が流されるという不幸に見舞われた。
藩の役人は現場に来る娘の祟りではないかと考え、ある夜、娘を騙して工事現場の河原に誘い出し、斬り殺して死体を川に流した。
それからは娘が現場に来ることもなくなり、人夫たちは仕事に精を出すようになった。
長左エ門も悲しみに耐えながら仕事を続け、まもなく堤防は完成した。
だがその後、夜になると悲しそうな姿の娘の亡霊が河原に現れるようになった。
そこで村人たちは堤防のそばに松を植え、地蔵を建立して娘の霊を慰めたという。

『舞鶴の民話 第一集』「一本松地蔵」
『現地案内板』より



一本松地蔵
一本松地蔵。
伊佐津川の遊歩道に祀られています。
様々な願いを叶えてくれるお地蔵様で、特に赤子の夜泣きに霊験があるため「泣き地蔵」とも呼ばれているそうです。
賽銭泥棒が多いのか、不穏な注意書きがそこかしこに……。


地蔵のそばの若い松
一本松は遠くからでも眺められる程の大木だったそうですが、枯れてしまったのかそれらしい松は見当たりませんでした。
写真は地蔵のそばにあった若い松の木。二代目一本松?


伝承地:舞鶴市七日市


中舞鶴の大蛇

中舞鶴の大蛇 (なかまいづるのだいじゃ)


中舞鶴の滝の空から桂谷の辺りには大蛇がいると言われていた。
明治の末頃、本町の小学生たちがこの大蛇に遭遇し、命からがら逃げ帰った。
それを聞いた荻野という蛇屋(蛇を売買する業者?)は数人で捕獲に向かい、胴周りが一尺六寸(約50cm)もある大蛇を生け捕りにした。
蛇は必ず二匹いるということで、続けて残りの一匹を捜したが、遂に発見出来なかった。
だがその後、山崩れや砕石場での事故が多発したため、村人たちは中舞鶴の大蛇の祟りだと噂したという。

『舞鶴の民話 第五集』「大蛇の話」より


大蛇に祟られたのか、その後蛇屋の荻野氏は行方知れずになったそうです。


伝承地:舞鶴市余部上付近?


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