丹波・丹後の妖怪あつめ

京都府北部(丹波・丹後地域)の妖怪伝承を紹介するブログです。

伊根町

奥山の蛇 / つち

奥山の蛇 / つち (おくやまのへび / - )


足谷の奥山では蛇に手を出してはならないという。
小さな蛇だと侮っていたら、大蛇が出て来て怖い思いをした人がいるのだという。
また奥山には“つち”と呼ばれる蛇がいるとも言われている。

『柚子の里 足谷誌』「奥山の蛇」より


“つち”はいわゆる「ツチノコ」のことだそうです。

他の地域のツチノコ。


伝承地:伊根町菅野


家に帰る魂

家に帰る魂 (いえにかえるたましい)


ある家の老婆が病院に入院していた。
だが遂に危篤となり、家族は嫁と子供を残して病院へ向かった。
すると夜十一時か十二時頃、家の障子に老婆の影が映った。
老婆が帰ってきたと思い声をかけると影は消え、戸を開けた先には誰もいなかった。
不思議に思っていると、病院から老婆が死んだという連絡が入った。
死亡時刻は、家の障子に影が映った頃だった。
老婆は家で死にたかったのだろうと話していたという。

『語りによる日本の民話 10  丹後 伊根の民話』「家に帰る魂」より


伝承地:伊根町峠


死者の鼻血

死者の鼻血 (ししゃのはなぢ)


ある時、間人(京丹後市)の人が海で死に、その死体は仮埋葬された。
身元確認のために身内の人が来て掘り返すと、死後一週間以上経っているのに、死体の鼻から綺麗な鼻血が出たという。
また峠(伊根町)の松本氏の孫が京都の病院で死亡し、その死体は家に運ばれた。
松本氏が「〇〇(孫の名)戻ってきたか」と言うと、孫の鼻から綺麗な鼻血が出たという。
身内の人が会いに行くと、死者がだらっと鼻血を出すのだという。

『京都府伊根町の民話 -泉とく子・藤原国蔵の語り-』「死者の鼻血」より


伝承地:京丹後市丹後町間人、伊根町峠


蛇憑き

蛇憑き (へびつき)


昔、本庄上の伊蔵という男は、地区で一番の富豪だった太田家の邸宅を買い取った。
ある時、伊蔵が蔵を改修するために床をめくると、床下で黒い蛇が鎌首をもたげていた。
蛇は追い払っても逃げなかったので、スコップで引っかけて外に放り出した。
だがそれから伊蔵は原因不明の病気を患い、まともに歩くことすら出来なくなった。
そして京都の医者に診てもらうため、妻の兄に背負われて駅まで行ったが、伊蔵は首がだらけていたので運ぶのに苦労したという。
だが結局医者でも原因はわからず、次に拝み屋に拝んでもらったところ「蛇が憑いている」と言われた。
拝み屋は「人目につかないよう蔵に塩と米を供えた後、それらを川に流せ。それを一週間程続ければ治る」と助言した。
そして家族は拝み屋の言う通りにすると、伊蔵は一週間後に元気を取り戻したという。
伊蔵に憑いた黒い蛇は、太田家の時代から家に棲んでいる蛇だった。

『京都府伊根町の民話 泉とく子・藤原国蔵の語り』「蛇が憑く」より


伝承地:伊根町本庄上


藤にされた長物

藤にされた長物 (ふじにされたながもの)


新井の新井崎神社は徐福を祀っているが、それ以前の氏神は荒神だった。
この荒神は水の神で、新井の北の「アゲ」という高所に祀られていた。
荒神の御神体は長物(蛇)で、杉の大木に絡まっているところを新井崎の神に見つかり、見にくい(醜い?)からと、杉に絡まる藤の木に変えられてしまったという。
この木は伐り倒され、今は残っていない。

『西郊民俗』101号「産神としての火の神(下)」より


徐福(じょふく)…秦の始皇帝から「不老不死の仙薬を探してこい」という命を受けて日本に来た人物で、各地に渡来伝説が残されています。
伊根町にも徐福伝説があり、徐福は新井の「ハコ岩」から上陸した後、同地に定住したとされています。


伝承地:伊根町新井


狸の知恵

狸の知恵 (たぬきのちえ)


ある秋のお日待ち(前夜から身を清め、寝ずに日の出を待つ行事)の日、暇を持て余した村人たちが狸狩りを始めた。
だが狸の巣穴を掘っているところへ「文七爺が死んだぞ、早く戻ってこい」と言って迎えが来た。
村人たちは伐った木を巣穴に詰め、出口を塞いでから村へ戻ったが、件の文七爺は死んでいなかった。
肩透かしを食らい、巣穴まで戻ってくると、狸は横に穴を掘って逃げ果せていたという。

『丹後の民話(1) 狐狸ものがたり』「狸の知恵」より


京丹後市にも似た話が伝わっています。


伝承地:伊根町のどこか


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