丹波・丹後の妖怪あつめ

京都府北部(丹波・丹後地域)の怪異妖怪伝承を紹介するブログです。

2019年06月

導き狸

導き狸 (みちびきだぬき)


夜に坂井宮ノ下にある熊野神社の近くを通ると、何者かに灯りを消され、代わりに向かいの山に灯りが点くという。
その灯りはまるで人を山に導いているようで、恐れた村人たちは夜に外へ出なくなった。
これは熊野神社の森に棲むという古狸の仕業だと伝えられている。

『丹波の伝承』「梅田村の古狸」より

みとじ

みとじ


昔、三浜の宮ノ川の上流に一の滝、二の滝、三の滝という三つの滝があった。
その滝壺には“みとじ”という、一抱えもある大きなアワビの妖怪が棲んでいた。
みとじは綺麗な鯉に化け、捕ろうとした者を水中に引き込んで食べてしまうという。
みとじを恐れた村人たちは誰も滝に近づかなくなった。

ある時、旅の修験者がみとじの話を聞き、「退治してやろう」と、一人で滝に向かった。
滝壺に綺麗な鯉が泳いでいたので、修験者は思わず手を伸ばそうとした。
すると、どこからか鐘の音が鳴り響き「やめとけ、やめとけ」という風に聞こえた。
みとじが鯉に化けていると気づいた修験者は、御仏の力を高めてこれを退治したという。
それ以来、滝壺からみとじの姿は消え去ったという。
しかし、今でも宮ノ川の上流を「みとじ川」と呼び、海で溺れて死ぬと「みとじが引いた」と囁かれる。
鐘は昔、三浜にあった徳雲寺のもので、この辺りでは今なお「鐘の音を聞いた」という者が後を絶たないという。

この他に、みとじが村人と相撲をとったという話も伝えられている。

こちらのみとじは、宮ノ川にかかる宮川橋を渡る者に話しかけてきたという。
若い娘が通れば橋の下から覗いて冷やかし、そして「ぴやぴや」と鳴いて喜んでいた。
みとじはとても力が強く、村人はどうすることも出来ずにいた。

ある日、村一番の力持ちの勘七という男が橋を通ると、下からみとじが相撲勝負を申し込んできた。
力が強いと言っても所詮はアワビ、と侮った勘七は、みとじとの勝負を受けることにした。
いざ松原で相撲をとると、勘七はあっさりと負けてしまった。
勘七は「今のは力試しだ。お前が殻から出て来て潰れたら大変なので、負けてやった」と挑発すると、みとじは怒って裸同士での勝負を持ちかけた。
勘七はふんどし一丁、みとじは貝殻を脱いだ姿になって再び相撲をとった。
初戦とは異なり、勘七は押しても引いてもびくともしない。みとじは慌てたが、どうすることも出来ない。
時間が経つにつれ、太陽に照らされたみとじの体はだんだん干からびていく。
とうとう耐えられなくなったみとじは、負けを認めて水の中へ逃げ込んだ。
実は勘七は、ふんどしの中に河原の石を積めて体を重くしていたのであった。そのため、みとじは勘七を動かすことが出来なかったのである。
以来、みとじは悪さをしなくなったという。

『舞鶴の民話 第一集』「みとじ」
『舞鶴の民話 第二集』「みとじずもう」より


全国的にも珍しい(?)アワビの妖怪です。
鯉に化けたり力が強かったり貝殻を脱着出来たりと多彩な特技を持っています。あと鳴き声が可愛い。
どうでもいいですが「貝殻を脱いで中身むき出しのまま相撲をとった」というシーン、想像したらシュールな光景すぎやしませんか。
ちなみに舞鶴市の東隣、福井県高浜町では河童のことを“海盗児(みとじ)”と呼ぶそうですが、両者には何か関係があったりするのでしょうか。

雪んぼ

雪んぼ (ゆきんぼ)


大宮町の細見家に伝わる話である。
当時、細見家は古木に囲まれ昼でも暗い山の中に居を構えていた。

ある大雪の夜、細見家の老婆と孫が留守番をしていた。
すると家の戸を叩き「こんばんは」と呼びかける女の声がした。
戸を開けると、蓑を着た美しい女が雪に塗れて凍えていた。
急いで家に招き入れ囲炉裏に寄せてやると、女はたちまち白い肌を露わにし、胸をはだけて火に当たり始めた。
女の大きな乳房は囲炉裏の火に炙られ、今にもだらりととろけそうになっている。
それを見た老婆は女が“雪んぼ”だと気づいた。
雪んぼは雪の夜に現れる化け物で、体は松脂と雪で出来ているので、乳房を火に当てるとすぐにとろける。
そのとろけて熱された乳房をちぎって人に投げ、焼き殺してから喰うと伝えられていた。
老婆は孫を背負い、女に「村で食料を貰ってくる」と言って外へ転がり出た。
二人は庄屋の家に駆け込み、雪んぼが出たことを説明し、そこで一夜を明かした。
翌朝、家に戻ってみると女の姿はなかったという。
その後、細見家は山中の家を捨て、明田の村外れに移り住んだという。

『丹後の民話 第四集 ふるさとのむかしばなし』「雪んぼのはなし」より


火で炙った乳房をちぎり取り、それを投げつけてくる特殊な妖怪です。インパクト強すぎ。
丹後地方では割と有名な妖怪なのか、様々な文献にその名前が見られます。
“雪んぼ”という名前がつけられたのは『丹後の民話 第四集』(1973年発行)のようで、初出と思われる『丹後の民話 第一集』(1971年発行)ではシンプルに“やまんば”表記になっています。
登場人物も老婆と孫ではなく、爺さんと婆さんの老夫婦になっていたりと細かい違いが見られます。

雪んぼに似た妖怪。
山姥(福知山市)


伝承地:京丹後市大宮町明田


乾鮭の怪物

乾鮭の怪物 (からざけのかいぶつ)


昔、丹後の魚売りの行商人が山道を登り、大池の畔で休憩していた。
不意に茂みの奥から音がしたので中を覗いてみると、罠にかかった一羽の雉がバタバタともがいていた。
鳥肉が欲しいと思った行商人は雉を盗み、代わりに一尾の乾鮭を罠に掛けてその場を後にした。
その日の夕暮れ、罠を仕掛けた村人が大池の畔にやってくると、乾鮭が罠に掛かっていたので驚いた。
というのも、この一帯は大原神社(福知山市三和町大原)の氏子で、鮭は絶対に食べないという習わしがあったからである。
だがこのままにするわけにもいかず、「再び蘇って、この池の主となれ」と言って、鮭を池に投げ込んで村へと逃げ帰った。

それから一年後、青野村の村人がこの池の近くを通ると、得体の知れない異形の怪物に出遭った。
村人はなんとか逃げ帰ったが、大熱を出して寝込んでしまい、うわごとを口走るようになった。
それは「我は大池の主なり。毎年秋の終わりに少女を人身御供に供えろ。断れば祟りを起こす」という内容であった。
村人たちは恐れ戦き、泣く泣く少女を毎年一人ずつ生贄に供えることにした。

数年後、例の行商人が青野村の宿へ泊まった。
行商人が眠っていると、隣の部屋から主人のすすり泣く声が聞こえてきた。
理由を尋ねると、主人は大池の主のこと、今年の人身御供に娘が選ばれたことなどを説明した。
昔、自分が置いていった乾鮭が池の主に変化したのでは、と思い当たった行商人は怪物退治を買って出た。
行商人は杵を得物に選び、宿の娘を連れて大池へと向かった。
娘を池の畔に待機させ、行商人は近くに隠れて怪物が現れるのを待っていた。
やがて池の水がざわめき、中から鮭の怪物が姿を現した。そして怪物は娘を狙い土手に這い上がって来た。
その瞬間、行商人は杵で怪物の脳天を打ち砕いた。二度三度と杵を振り下ろすと、やがて怪物は動かなくなった。
怪物を見ると、それは元の乾鮭の姿はしているものの、体長五、六尺(約1.5~1.8m)にもなり、頭は鬼瓦のようで胸には翼が生えていたという。

行商人は村人から神様のような扱いをされるようになった。
だが行商人は「池の主を退治出来たのはこの杵の力だ。自分の代わりにこれを崇めてくれ」と言い残し、村を去って行った。
村人たちは行商人の言葉に従い、この杵を御神体として本宮山の頂上に祀った。
以来、これを「杵の宮」と称するようになったという。

『何鹿の伝承』「杵の宮由来記」
『綾部史談』81号「西鶴「諸国咄」序にある「乾鮭の宮」考」より


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乾鮭の怪物を退治したという杵を祀る「杵の宮」(綾部市若宮神社境内)

鮭が怪物になったり祟りを起こしたりする話は、山形県、石川県、鳥取県と、日本海側に幅広く見受けられます。
ただ「怪物と化した鮭を杵で退治する」という部分は、この地方独自の伝承のようです。

人を埋めた塚の火の玉

人を埋めた塚の火の玉 (ひとをうめたつかのひのたま)


千歳村國分には、生きた人間を箱詰めにして埋めたという塚がある。
何故埋めたのかはわからないが、埋められた人は箱の中で三日三晩、鉦を叩き続けていたという。
そして四日目の夕方、埋められた人は火の玉となって現れ、それから毎晩のように辺りを飛び回った。
ある夜、火の玉は國分寺の境内に入り、和尚が籠もる便所の近くまで来た。
だがその時、和尚が大きな咳払いをしたため、火の玉はシューという気味の悪い音を残して消えてしまったという。

『口丹波口碑集』「人を埋めた塚」より


生き埋めにされて鉦を叩き続けるという行動は、即身仏修行にある「土中入定」のことではないかと思います。
土中入定は即身仏修行の最後の行程で、穴の中に籠もってそのまま即身仏=ミイラ仏になるという壮絶なものですが、この話では火の玉になってしまいます。
しかもトイレ中の和尚の咳払い一つで消えるという儚さ。


伝承地:亀岡市千歳町国分



由良の浜姫

由良の浜姫 (ゆらのはまひめ)


昔、小橋の港に立ち寄った水夫が語った話である。

越前へ向かう貨物船が由良の沖を通りかかった時、浜辺に天女のような美しい女が立っているのが見えた。
長い海上生活で女に飢えていた水夫たちは、我先に船を下りようとしたが、船頭に「船上から眺めるだけにしろ」とたしなめられた。
水夫たちは浜辺の美女に向かって、未練がましい言葉を並べ囃し立てることしか出来なかった。
すると女は懐から紙と筆を取り出し、何かをしたため始めた。文を書き終えた女は鈴を転がすような声で言った。
「私の姉が敦賀の浜で皆様をお待ちしていますので、この手紙を届けて下さい。必ず姉様が皆様のお相手を致します。ただし船上では、決して手紙を開かないで下さい」
不思議なことに、女が言い終わった時には、手紙は船頭の手の中に収まっていた。
半ば強制的に手紙を受け取った貨物船は由良の浜を離れていった。
沖に出てから船頭は言った。
「まさしくあれは、浜姫。手紙を開けて中を検めなければ」
水夫たちの反対を押し切り、船頭は手紙を開いた。

『一筆まいらせ候。この者共、いと美味そうなれど、浜へは降り立たず逃げ申し候。口惜しいこと故、何とぞ、そちらへ到着の上は、一人残らずお召し上がり下さるよう願い上げ申し候。早々かしこ。由良の浜姫より』

手紙にはそう書かれていたという。

『わが郷土 丸山小学校創立百周年記念誌』「由良の浜姫」より


船頭が知っていたということは、地域では名の知れた妖怪だったのでしょうか。
ちなみにこれは『日本昔話名彙』の「水の神の文使い」や『日本昔話大成』の「沼神の手紙」などに見られる、いわゆる「旅人が沼や川の主から別の土地に住む兄弟(姉妹)に手紙の配達を頼まれるが、途中で中を検めると『この配達人を喰っていいヨ』的なことが書かれていたので、対策を講じて難を逃れる」系伝承の舞鶴バージョンだと思われます。
有名なところだと『遠野物語』にも同じような話が載っていますね。
丹波・丹後地方では他に亀岡市、伊根町に同じ系統の話が伝わっています。

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