丹波・丹後の妖怪あつめ

京都府北部(丹波・丹後地域)の怪異妖怪伝承を紹介するブログです。

2019年10月

牛鬼

牛鬼 (うしおに)


木子の吉原という所には、人を化かす“牛鬼”という妖怪がいるという。
ある大雪の日、内山(現・京丹後市大宮町)の村人が吉原の丸山という田圃の辺りを通った。
吹雪で前後が見えなくなってしまったが、杖を突きながら何とか雪道を歩いていると、急に道が良くなった。
「変だな。ひょっとすると同じ所をぐるぐる回っているのかもしれない」
そう思い、杖を地面に突き立ててから周囲を歩いてみた。
しばらく歩くと、さっき立てた杖が見えてきた。どうやら元の場所に戻って来てしまったようだった。
「これは牛鬼に化かされている」と思い、慎重に道を見極めながら進むと、無事抜け出すことが出来たという。

またある夜、吉津村(現・宮津市文珠)の老人が隣村から土産の蕎麦を手に山道を歩いて帰っていた。
すると突然目の前に山が現れ、そこから先へ一歩も進むことが出来なくなった。
これは牛鬼の仕業で、狙いは蕎麦であると気づいた老人はその場に腰を降ろし煙草に火を点けた。
そして「お前らに蕎麦はやらん。近寄ってきたら生け捕りにしてやる」と辺りを見廻しながら威嚇した。
しばらく煙草を吸っていると、目の前の山に針先程の穴が空いた。
穴は段々大きく広がっていき、やがて元通りの道に戻ったという。

『丹後の民話 第一集 いかがのはなし』「木子の吉原 牛鬼が化かす」
『天橋立秘帖 史実と伝説集 2』「橋立小女郎」より


「牛の頭に鬼の体(またはその逆)持った、人を襲う凶暴な妖怪」というのが、一般的な牛鬼像だと思います。
ですが、宮津の牛鬼は姿を見せずに人を惑わせたり通せんぼをしたりする、あまり牛鬼のイメージにない(?)怪現象を起こす妖怪として伝えられているようです。
爺が「生け捕りにするぞ!」と強気に出ていることから、宮津の牛鬼はせいぜい人の邪魔をするくらいで、それほど危険なものではなかったんですかね。

堤のガロン

堤のガロン (つつみのがろん)


女布地区にある溜め池の堤には、昔から恐ろしい“ガロン”が棲んでいるという。
ここに近づくとガロンに池の中へ引きずり込まれるので、絶対に行ってはいけないと伝えられている。

『ふるさと女布』「堤のガロン」より


堤のガロンは子供を危険な場所に近づかせないために大人たちが創作した妖怪で、この当時放送していた特撮番組『ウルトラマンレオ』に登場した「兄怪獣ガロン」がモデルになっているそうです。


伝承地:舞鶴市女布



山ひょう

山ひょう (やまひょう / さんひょう?)


与謝野町と京丹後市の境に水戸谷という峠がある。
そこには“山ひょう”というものがいて、足の裏から油を取るという。
山ひょうは峠を歩く旅人の足から油を取っていたという。

『おおみやの民話』「山ひょう」より


人の油を取る妖怪、と言って思い浮かぶのは岩手県の“油取り”(『遠野物語』)や、島根県の“子取りぞ”(『総合日本民俗語彙』)などでしょうか。
ただこれらの妖怪たちは「夕方に現れ、人(女子供)をさらって油を搾り取る」という、隠し神的な要素がありますが(取られた者は多分死ぬ)、山ひょうにはそういう要素はなさそうです。
とにかく極端に情報が少なく(参考文献の本文もたった二行という省エネっぷり)、姿形はおろか、油の奪取量や目的すら謎の妖怪なのです。
推測ですが、油を取ると言っても致死量を奪うわけではなく、ダニやヒルのように通行人の足にこっそりと張りついて、気づかれない内に微量の油を吸い取るだけの妖怪なのではないでしょうか。


8.18
現在の水戸谷峠は与謝野町と京丹後市を結ぶ国道になっていて、日中は割と多くの車が行き交っています。
以前、試しに与謝野町側から京丹後市側まで峠を歩いてみましたが、残念ながら油は取られませんでした。
通るのは車ばかりなので、山ひょうも油を取れずに苦労しているのかもしれませんね。


伝承地:与謝野町上山田、京丹後市大宮町三重


岡の大女房

岡の大女房 (おかのおおにょうぼう)


昔、岡にとてつもなく大きな女房がいた。
この大女房は大変力持ちだったので、ある時、村人が彼女に力試しを申し込んだ。
大女房は快諾すると、四尾山と高城山の間に長い棒をかけ、肩に担いで持ち上げようとした。
ところが、大女房が屈み込み、力を込めて一気に立ち上がろうとした時、山の重さを支えきれず、肩にかけた棒が折れてしまった。
その拍子に大女房はバランスを崩し、その場に尻餅をついてそのショックで死んでしまった。
村人たちは彼女の死を憐れみ、「大女房塚」という塚を作って懇ろに葬ったという。

『何鹿の傳承』「岡の大女房」
『中筋村誌』「大女房塚」より


四尾山は標高287m、高城山は212mなので、これらを肩に担ごうとした大女房は相当な巨人だったということになります。まさに女性版ダイダラボッチですね。
そういえばダイダラボッチ伝承は全国各地にありますが、女性の巨人伝説ってあまり見られないような気がします。
千葉県君津市に“関の姥さま”という、身長およそ700mの女巨人がいたという伝承があるくらいでしょうか。(『日本の民話 6 房総・神奈川編』)
そう考えると、岡の大女房は全国的にも結構珍しい類の伝承なのでは。
ちなみに彼女を葬ったとされる「大女房塚」は、綾部市にある某会社の敷地内に跡地が残されているそうです。

鞍馬山の魔王

鞍馬山の魔王 (くらまやまのまおう)


明治初年の頃、川辺村越方(現・園部町)に、谷口茂右衛門という男がいた。
茂右衛門は銃猟を好み、その日も雉子ヶ谷という山奥で獲物を探していた。
だが、この日に限って獲物を見つけられず途方に暮れていたところに、一羽の大きな雉が飛んで来て木の枝に留まった。
雉は飛ぶことが苦手で、木に留まることはほとんどない。茂右衛門は不思議に思ったが、早速銃を構えて狙いをつけた。
すると、その雉が突然、
「撃つのかっ!?」
と、人の言葉で高らかに叫んだ。
茂右衛門は剛胆な男だったので、人語を喋る雉を恐れることなく「撃つぞ」と答えた。
「撃つ? 撃ってみよ!」
雉は茂右衛門を挑発するように叫んだ。
茂右衛門は雉目がけて銃弾を放った。弾は命中したが、雉は音も声もなくスーッとどこかへ飛び去ってしまった。
茂右衛門は雉の後を追わず、その日は帰路に着いた。
家に戻り、妻に今日出遭った怪鳥のことを話していると、茂右衛門は突然卒倒し、そのまま死んでしまった。

茂右衛門の突然の死から、谷口家に災いが起こり始めた。
家族が次々と病死し、財産も次第に失われていった。
ついに谷口家は没落し、わずかに生き残った者は他の土地へ移り住んだ。
最終的に生き残った者は、茂右衛門の孫の石津定次郎のみとなった。

後に例の怪鳥は、鞍馬山の魔王が化けていたものであったということがわかった。
魔王は雉に変化して茂右衛門の猟による殺生を止めさせるつもりだったが、思わぬ反撃に遭い足を撃たれてしまったので、怒りに任せて谷口家に祟りを起こし滅ぼそうとした。
だが、よく考えてみれば自分にも非があったので、親族全員を根絶やしにすることは止め、石津姓となった定次郎だけを許したのだという。
そして定次郎はこの魔王の守護を受け、霊能力を得たと言われている。

『霊怪眞話』「射のかと叫んだ怪鳥」より


“鞍馬山の魔王”とは、京都市左京区にある鞍馬山に棲む大天狗、鞍馬山僧正坊のことじゃないかと思われます。
しかし、殺生を止めさせるつもりなら、もっと別に良い方法があったのでは。
不猟の人の前に鳥の姿で現れて「撃ってみろ!」なんて煽ったらほぼ確実に撃たれると思います。
しかも撃たれたことにブチ切れて一族全滅させようとするし。魔王様は怖い。

正連様

正連様 (しょうれんさま/ せいれんさま?)


新庄村新田の裏山に「正連山の正連様」というところがある。
毎年四月十七日の午前一時にそこへ登ると、天狗の家来で、鼻の高い瓢箪のような顔をした者に出遭うという。
それは手に提げた木の株で地面を叩きながら走っているという。
どんな願いでも叶える力を持っているため、村の老婆たちは当日になると「正連山の正連様」へ出かけ、願をかけるのが慣わしになっている。

『丹波の伝承』「正連山の正連様」より


“正連様”の「連」は正しくは「(二点しんにょう)」に「」なのですが、変換出来なかったので“正「連」様”表記にしています。


伝承地:南丹市八木町北西部(正連山の場所は不明)


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