丹波・丹後の妖怪あつめ

京都府北部(丹波・丹後地域)の怪異妖怪伝承を紹介するブログです。

2019年11月

たにがばば

たにがばば


昔、丹後町の間人の石切場に深い谷があり、そこに鬼婆が住んでいた。
日中は普通の老婆だが、夜になると次第に口が大きく裂け、鋭い目をした恐ろしい鬼婆へと変貌する。
そして旅人を騙しては家に呼び込み、食べてしまうという。
彼女を恐れた村人たちは誰もその辺りを通らなくなってしまった。

ある時、その話を聞いた侍が、たにがばばを退治するために谷へ向かった。
侍は大きな石を持ち上げると、たにがばばの頭上から、彼女目がけて投げ落とした。
たにがばばは石の下敷きになり、そのまま死んでしまったという。
今でも谷の上から「鬼婆よー」と大声で呼ぶと、「おーい」という恨めしそうな声が返ってくるという。

『丹後町の民話』「たにがばば(間人)」より

算盤坊主 / 算盤小僧

算盤坊主 / 算盤小僧 (そろばんぼうず / そろばんこぞう)


船井郡西別院笑路にある西光寺のそばに、一本のカヤの木が生えている。
夜更けにこの木の下を通ると、小坊主のような男が現れて盛んに算盤を弾き出すという。
これは“算盤坊主”という妖怪で、昔、西光寺の小坊主が計算ミスをしたことで和尚に罵られ、それを苦にしてこの木で首を吊って死んだ。
その霊が成仏することなく、夜な夜な現れては算盤を弾いているのだという。
狸の仕業ではないかとも言われている。

また、西光寺の隣にある素戔嗚(すさのお)神社の大木の下に、毎晩一時頃になると少年が現れて算盤の稽古を始めるという話もある。
これは西光寺の開山・万安英種和尚が幼少の頃、深夜に人知れず勉学に励んでいた時の姿が現れているのだと言われ、こちらは“算盤小僧”と呼ばれていた。

一方、水木しげる氏による算盤坊主(算盤小僧)の解説はずいぶん違っている。
人気のない寂しい道を歩いていると、大木の陰からパチパチと算盤を弾くような音が聞こえる。
不思議に思って木の後ろに回ると音は消える。そしてまた向こうの方からパチパチと音がする。これは算盤坊主の仕業である。
算盤坊主は算盤を弾く音を出して人々を驚かす妖怪で、人前には姿を現さないのだという。
算盤坊主はとても計算が速く、その正体は一種の霊なのだという。

『口丹波口碑集』「算盤坊主」
『丹波の伝承』「算盤小僧」
『ふるさと口丹波風土記』「そろばん小坊主」
『決定版 日本妖怪大全』「算盤坊主」
『水木しげるロードの妖怪たち Ⅵ』より


西光寺
算盤坊主が出たという西光寺。
カヤの木は何十年も前に伐られたらしく、現存していません。

素戔嗚神社
西光寺のすぐ隣にある素戔嗚神社。
算盤小僧が現れたという大木はどれだかわからず。

算盤坊主
鳥取県境港・水木しげるロードの算盤坊主のブロンズ像。
世間的にはこれが一番有名かも。

伝承地:亀岡市西別院町笑路・西光寺、素戔嗚神社


番傘をさした大入道

番傘をさした大入道 (ばんがさをさしたおおにゅどう)


昔、ある兄弟が口大野(大宮町)へ帰る途中、弟が足を痛めてしまった。兄の牽く大八車に乗せてもらい、二人は溜め池の所までやって来た。
すると、いつの間にか番傘をさした大入道が、ピタッと横へついて歩いている。
兄は大入道に気づいていないようで、弟はあまりの恐ろしさに声も出せずに押し黙っていた。
大入道はしばらく二人について来ていたが、余ル部の辺りまで来るといなくなったという。

『おおみやの民話』「大入道」より


黙って横に並んで、何をするでもなくついて来て、やがていなくなる……何がしたかったんだお前は。
こういう「特に何もしないけどついて来る」とか「何もしないで同じ場所にいる」タイプの怪異って怖いですね。目的がわからないからでしょうか。

大腕

大腕 (おおうで)


昔、旅の武士が上粟野から仏主に向かって歩いていると、突然山の方から「出すぞ」と大きな声がした。
武士が「出してみよ」と答えると、山の方から大きな腕がニュッと突き出された。
武士は驚いたが、すぐに落ち着きを取り戻し、腰の刀でその大腕を斬り落とした。
だが斬ったことを恐れ、落ちた大腕をこの地に葬り、お堂を建てて地蔵尊を祀ったのだという。

武士によって祀られた地蔵は「肱折地蔵」と呼ばれ、肘が痛む時はこの地蔵に願掛けをすればすぐに治ると言われている。
治ったお礼に腕の形に切り揃えた板をお堂に供えるのだという。

『和知町 石の声風の音』「肱折地蔵」より


肘折地蔵
京丹波町仏主にある肘折地蔵


お堂&塚
お堂と経塚

わざわざ出現を事前に教えてくれる律儀?な大腕の妖怪です。斬られますけど。
もしも武士が斬らずにいたらどういう結末になっていたのでしょう。
山へ引きずりこまれて美味しくいただかれていたかもしれませんね。

完全な余談ですが、現地を訪れたところ、お堂の傍にある経塚の表面には「発起者 上野国房之助」と彫られていました。
このことから、大腕を斬り落としたという武士は上野国(現・群馬県甘楽郡)の人物だったのではないかと思います。
当時この辺りは園部藩の統治地域で、藩主小出家は上野国にも二千石の知行を持っていました。
この武士は何らかの用事で上野国からこの地に訪れた藩の関係者だったのではないでしょうか。


お堂
かつてお堂には腕の平癒を願う人々が奉納した腕形の板や紙が溢れていたと聞きますが、2019年現在、お堂周りには人気もなく、板は一枚も見られませんでした。ちょっと寂しい。


伝承地:
京丹波町仏主

形の有る様な無い様なもの

形の有る様な無い様なもの (かたちのあるようなないようなもの)


大井村土田集落の田圃の中には稲荷社が建てられている。
これは俗に「やなぎさんのお社」と呼ばれていて、近くには狐が棲むという竹藪がある。

ある時、この竹藪を伐採しようと村人たちが集まって相談した。
するとその夜、村人のもとに形の有る様な無い様なものが現れて、一晩中眠ることが出来なかった。
これは「やなぎさんのお社」の狐が警告に来たのかもしれないと考え、竹の伐採を取り止めたという。

『口丹波口碑集』「狐の話」より


村人のもとに現れた“形の有る様な無い様なもの”とは一体どんな姿をしていたのでしょう。
幽霊のように透けたりぼやけたりして視認しづらい姿だったのか、それともアメーバのように外見が変わり続ける不定形な姿だったのか、はたまた想像もつかないようなすごい形をしていたのか…?
一晩眠れなくなるくらいなので、余程インパクトのある姿だったんでしょうね。

伝承地:亀岡市大井町


鬼牛

鬼牛 (おにうし)


昔、千束(三和町)に“鬼牛”という、鬼の頭に牛の体を持つ妖怪が棲んでおり、山中に現れては村人を喰い殺していた。
村の青年久作は、人々を脅かす鬼牛を退治したいという思いから、隣村の萩原にいる刀鍛冶のもとを訪れた。
刀鍛冶は久作の熱意に打たれ、鬼牛を退治するための刀を作り授けることを約束した。
だが、普通の刀では鬼牛を退治することは出来ない。
刀鍛冶は一日百回ずつ鎚を打ち、千日かけて特別な刀を仕上げようと決めた。久作も刀鍛冶のために千日間、毎日柴を一束届けることを約束した。
それから久作は一日も休まず、仕事の合間に柴を刈っては鍛冶屋に運び続けた。

柴を千束運んだ頃、念願の刀が出来上がった。刀は運び続けた柴束の数にちなんで「千束丸」と銘打たれた。
刀を受け取った久作は神社に詣で、必勝を祈願した。
ところが翌朝目覚めると、枕元に置いていたはずの刀が、鞘だけを残してなくなっていた。
久作は千日もかけて作られた刀が消えていたことにひどく落ち込み、悲嘆に暮れる日々を送っていた。
そんな久作のもとに、村人から「鬼牛が倒れている」という知らせが入って来た。
不思議に思い山へ行くと、話の通り鬼牛が血を流して息絶えていた。その心臓には、なくなったはずの千束丸が突き刺さっている。
これは久作の願いが通じ、神が千束丸を用いて鬼牛を退治したのだろうと、村人たちは彼を誉め讃えた。
久作は神社にお礼参りを済ませた後、そこに千束丸を奉納したという。

『三和町史 上』「千束の化け物退治」より


丹後に引き続き、丹波は福知山市三和町の鬼牛(牛鬼)伝承です。
名前こそ「牛」と「鬼」が逆になっていますが、一般的な牛鬼像の妖怪だと思います。
物語の後半「刀が勝手に飛んでいって鬼牛を刺す」という部分は、山陰地方、特に島根県の牛鬼伝承に多く見られるエピソードです。
牛鬼伝承が山陰地方から伝わったと仮定すると、丹後では「怪現象」、丹波では「妖怪」と、近い地域なのに別物になっているのは興味深いですね。
伝播ルートが違ったこと(丹後→海路、丹波→陸路とか?)で土地特有の変化が加えられ、それぞれ違う怪異として成立していったのかもしれません。
丹後のうしおに(怪現象)は、あの地域の気象条件なんかも関係してそうですし。
福知山には他にも「芦淵(千束の北)の王歳神社近くに牛鬼が棲んでいた」(『五十年度 民俗採訪』)という話がありますが、これは千束と同じ個体だったのかもしれません。


伝承地:福知山市三和町千束



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