丹波・丹後の妖怪あつめ

京都府北部(丹波・丹後地域)の怪異妖怪伝承を紹介するブログです。

2020年05月

釣瓶下し / 釣瓶コカシ

釣瓶下し / 釣瓶コカシ (つるべおろし / 釣瓶コカシ)


釣瓶下しという妖怪は、亀岡市、南丹市にまたがり伝えられている。

●亀岡市

曽我部村法貴(現・曽我部町)のある家の前には榧の木が生えていて、昔からこの木には釣瓶下しがいると言われていた。
釣瓶下しは、「夜業(よなべ)済んだか、釣瓶下ろそか、ぎいぎい」と歌いながら下りて来るため、夜は誰もその榧の木の下を通らなかった。

曽我部村寺の田圃の中には、一本松などと呼ばれる古松がある。
夕方になるとこの松から首が下りて来て、通行人を引っ張り上げて喰ったという。
人を喰った後の二、三日は下りて来ないが、しばらくするとまた下りて来ては人を取り喰らったという。

大井村土田(現・大井町)の寺の南にある家には、大人三人がかりでも抱えきれない程の太い大木がある。
この木にも釣瓶下しがいて、早朝や夕方になると通行人を取って喰ったという。

●南丹市

富本村(現・八木町)の小寺と呼ばれる寺に、蔦が巻きついた松の大木がある。
この木にも釣瓶下しがいるとされ、村人から恐れられていたという。

富本村青戸にある大木には、釣瓶下しという狸のようなものがいて、木の下の通行人を釣瓶で掬い上げて喰ったという。
そのため、釣瓶下しがいたと言われる木は全て伐り倒してしまったという。

園部城東堀の不明門のそばには古井戸があり、その横に椿の古木が生えていた。
その木に古狸が取り憑き、夜な夜な釣瓶コカシとなって現れたという。
女子供は気味悪がり、その椿の辺りには近づかなくなったという。

『口丹波口碑集』「釣瓶下しの怪」
『丹波の伝承』「大木の釣瓶下し」より


“釣瓶下し”は全国に伝承されている妖怪で、特に京都、大阪、滋賀、福井、三重、愛知と、近畿や東海地方に多く見られます。
京都府ではこの他に、京都市、向日市に似たような妖怪が伝えられています。

●京都市(『京雀 巻三』)
元誓願寺通り(上京区)の町に大きなモミの木があり、そこには妖物(ばけもの)が棲んでいて、夜になると梢から光り物(人魂などの正体不明の発光体)になって下りてくる。
その形は釣瓶のようなので、人々は“ハネツルベ”という名をつけたという。

●向日市(『古今百物語評判』)
五月頃のこと、ある人が西ノ岡で雨に降られたが、急ぎの用があるためそのまま家に帰っていた。
夜になり、ある藪の近くを通りかかった時、大木のそばに鞠のような火の玉が浮かんでいるのを見かけた。
これは何だと見続けていても、上下に動くだけでどこかへ飛んで行くようなこともない。恐ろしくなって、慌てて逃げ帰った。
この話を聞いた山岡元隣(『古今百物語評判』の編纂者)は五行説を基に「それは俗にいう“つるべおろし”という光り物で、大木の精である」と説明したという。


撞かずの鐘

撞かずの鐘 (つかずのかね)


慶長十四年(1609)頃の話である。
成相寺で梵鐘を造ることになり、近隣住民から材料の寄付を募り鋳造したが、一度、二度と失敗に終わった。
そして三度目の寄付を求めた時、ある一軒だけ寄進につかない家があった。
その家の女房は「寺に寄付するようなものは何一つない。子供なら沢山いるので持って行け」と、抱いていた赤子を差し出してからかったという。
仕方なくこの家からの寄付は諦め、集まった材料で鐘を鋳造することにした。
そして多くの見物人が集まる中、三度目の鋳造が始まった。寄付を断った例の女房も赤子を抱えて見に来ていた。
作業は進み、熱した銅を鋳型に流し込もうとした時、女房が誤って赤子を火炉の中に落としてしまった。赤子は一瞬の内に溶けてなくなった。
こうして、赤子を飲み込んだ鐘は出来上がった。
だが、櫓に吊し撞いてみると、撞木が鐘に当たると同時に、撞木の先に赤子の姿が浮かび上がった。
そして鐘の音に混じって赤子の泣き声が響き渡り、それを聞いた麓の村々の赤子たちが一斉に泣き出したという。
人々は気味悪がり、やがてこの鐘を撞くことを止めた。
以後、この鐘は「撞かずの鐘」と呼ばれるようになったという。

また、大筋の流れは同じだが細部が異なる話も伝えられている。

昔、成相寺で梵鐘を造ることになり、丹後・丹波・但馬から寄付を募った。
集まった寄付金を元に鐘は造られたが、何故か赤子の形をした穴が空いてしまう。
次は形を小さくして造ってみたが、また同じサイズの赤子形の穴が空く。何度やってみても同じだった。
不思議に思った住職が寄付を集めた者たちに尋ねると、一人の男が丹波の村を訪れた時の話をした。
男は村中に寄付を募ったが、ある家の女房は「子供ならいくらでもくれてやるが、金は一文もない」と言って寄付を断ったのだという。
「それが原因で鐘が完成しないのだ」と、逸った若者たちがその村へ赴き、泣き叫ぶ女房から赤子を奪って帰った。
そして残酷にも赤子を金と共に溶かし、再び鐘を鋳造した。すると、今度は立派な鐘が出来上がった。
だが、撞いてみると鐘の音は鳴らず、代わりに「オギャアオギャア」と赤子の泣く声が響いた。
その泣き声を聞いた赤子の両親は、悲しみのあまり二匹の大蛇に変化し、鐘に身体をぐるぐると巻き付けてこれ以上打たさないようにしたという。

『旅と伝説』1巻1号「天の橋立にて」
『俚俗と民譚』1巻6号「打たれぬ鐘」
『みやづの昔話 -北部編-』「成相山の鐘」
『成相寺 パンフレット』 より
他多数


宮津の成相寺の伝承で、実際の“撞かずの鐘”も現存しています。
結構な数の伝承が残されていますが、今回は最も多いパターンの話と、両親が大蛇になるという一風変わったパターンの二つを紹介しました。
ちなみに撞かずの鐘伝承は香川県や、日本を飛び出して朝鮮半島の方にも同様の話が残されているようです。ワールドワイド。
一応あらすじを下に載せておきますので、よかったらどうぞ。

●香川県版“撞かずの鐘”(『旅と伝説』13巻4号「讃岐伝説画集 其の二」)
ある村で鐘を鋳造する際、無理矢理人柱にした子供を一緒に溶かして造る。出来た鐘の音は哀愁が漂い、村中の子供が泣き出して止まらない。
溶かした子供と狂死にした親の怨念だと、鐘を川の畔に埋めた。

●朝鮮半島版“撞かずの鐘”(『旅と伝説』14巻8号「平壌付近の伝説」)
ある時代の王が鐘を造るため鉄を集めさせるが、ある家の女房に「鉄はないが、子供なら差し出せる」と断られる。仕方なく他で必要量を満たし鋳造したが、何度鋳てもひび割れて音が出ない。
調べた結果、件の女房が原因と判ったので、子供を連行し鉄と共に溶かして造ると立派な鐘が出来上がった。
鐘は良い音色を出したが、響きの最後に「エンマヘルレ(母の舌のせいで)」という声が聞こえた。以降、鐘を打つ者はいなくなった。

鐘楼
成相寺“撞かずの鐘”の鐘楼。

鐘は見えず
鐘本体は見えませんでした。


*追記
京都市にも“撞かずの鐘”伝承がありましたので、簡単に紹介します。
●京都市版“撞かずの鐘”(『京の怪談』)
昔、西陣の織物屋に仲の悪い丁稚と織子がいて、二人は「寺は夕方にいくつ鐘を鳴らすか」という賭けをした。
丁稚は寺の者に協力を求め、その日だけ撞く回数を変えてもらい賭けに勝利した。賭けに負けた織子は悔しさのあまり、寺の鐘楼で首吊り自殺をしてしまった。
以来、夕方に鐘を撞こうとすると恨めしそうな表情の娘が現れるようになったため、鐘を撞かなくなったという。

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京都市上京区・報恩寺の撞かずの鐘。今は大晦日だけ撞くそうです。

肝喰い亀

肝喰い亀 (きもくいがめ)


天座の「くま原川の聖口」という小川には深い淵があり、そこに亀に似たものが棲んでいた。
岩の下に潜み、人を水中に引っ張り込んで肝臓を喰らうという。これに足を咥えられたが最後、絶対に助からないという。
そのため、ここに近寄る人は少なかった。現在は工事で埋め立てられてしまったという。

『史園』1号「京都府福知山市天座の口頭伝承」より


捕まったら死亡率100%って地味に怖い。
どうでもいい話ですが、地元の人に聞いたところ「『くま原川』という川は知らん」とのことでした。
多分これは天座地区に流れる「雲原川」の誤記なんじゃないでしょうか。

ドンバ

ドンバ


綾部には“ドンバ”という妖怪がいて、昔から「水遊びに行くとドンバが引っ張る」と言われている。
ドンバとは綾部の方言でアメンボ、またはドンコという淡水魚のことを指すが、その正体はわかっていない。
ドンバについては様々な説がある。

・水中に棲んでいて、人を引っ張り込む河童のようなもの。死神が憑くことを「ドンバが引っ張る」という。
・正体不明の妖怪で、これに引かれて誰かが死ぬと、それから三年、七年、十三年目にもドンバに引かれて死ぬ者が出るという。
・山奥の深い池に棲む大きなアメンボで、水中に人を引っ張り込んではらわたを食べるという。
・池や沼の底にはドンコが化けた大きな婆が棲んでいて、水遊びに来た子供の足を引っ張るという。 

『近畿民俗』第49号「虫と民俗 -虫との付き合い-」
『近畿民俗』第98号「方言語源考」より


河童、アメンボ、淡水魚……と正体がバラバラの不思議な妖怪です。
「水中に棲んでいて人を引きずり込む」ということから考えるに河童が一番近いような気がしますが、個人的にはアメンボの妖怪説が好みです。
「はらわたを喰らう大きなアメンボの妖怪」ってインパクトがすごいので。

シリヒキマンジョ / 尻引きまんどん

シリヒキマンジョ / 尻引きまんどん ( - / しりひきまんどん)


夜久野町今西中では、村境の川に“シリヒキマンジョ”が棲んでいると伝えられている。
シリヒキマンジョは渦が巻く深い淵に棲んでいて、そこで泳ぐと尻から噛み付かれ深みに引きずり込まれるという。

また、三和町の大原神社から川の淵に穴が繋がっていて、水浴びをしていると“尻引きまんどん”(スッポン)が水中に引っ張り込むという。
昔、子供が引っ張り込まれて死んだため、地蔵を祀っているという。

『夜久野町史 第一巻(自然科学・民俗編)』「シリヒキマンジョ(今西中)」
『昭和五十年度 民俗採訪』「俗信」より


八頭大鹿

八頭大鹿 (やまたのおおしか)


和銅六年(713)、元明天皇の時代のことである。
八つの頭を持つ巨大な鹿の妖怪“八頭大鹿”が村や禁裏(京都御所)に出没しては、田畑を荒らし家畜を喰い殺し、人々に甚大な被害を与えていた。
そこで天皇は、香賀(甲賀)三郎兼家という武将にこの妖怪を退治するよう命じた。
命を受けた兼家は部下を引き連れ、八頭大鹿の棲む丹波国北部の深山に向かった。
道中、兼家一行は八幡宮で神の加護と武運を祈り、準備を整えて山へ入った。だが、肝心の大鹿がどこにいるのかわからない。
困り果てた兼家たちの前に、どこからともなく二人の童子が現れ案内役を買って出た。彼らの導きで、兼家たちは佐々里川の上流に辿り着いた。
その時、急に辺りが暗くなったかと思うと、地響きと共に八頭大鹿が姿を現した。
八頭大鹿は十六本の角を振り上げて襲いかかってきたが、兼家は怯むことなく弓矢を大鹿に射当てた。
矢傷を負った大鹿は山裾を逃げ惑い、やがて岩の上に倒れ伏したため、兼家はこれにとどめを刺し退治した。
その後、兼家たちは神に勝利を感謝し、この地に八幡大明神を祀る祠を建てたという。

『京都府北桑田郡誌』「土俗伝説」
『口丹波口碑集』「鹿の話」
『美山伝承の旅』「大鹿退治」より


美山町の知井、佐々里、鶴ヶ岡地区に伝わる大鹿の妖怪です。
『知井村史』では、八頭大鹿とは美山に住まう八人のリーダーを中心とした先住民族の暗喩で、朝廷がそれを征服した話だったのでは、という考察がされています。
ちなみに、割と近年(1986年)に出版された『京北の昔がたり』では大筋は同じですが所々脚色されていて、甲賀三郎が「お供なんかいらん!」と単身で大鹿退治に向かったり、案内役の童子が何故か三つ目だったりと、より物語風になっていてこれはこれで面白いです。

他の地域の似た伝承を探してみたところ、兵庫県姫路市の安志山にも大鹿の妖怪がいたと言われています。
それは“伊佐々王”と呼ばれる、七又の角、体にコケを生やし日光のように輝く目を持つ体長約6mもの大鹿だったとのこと。
伊佐々王も八頭大鹿と同じく、人畜に害をなしたため退治されてしまったそうです。(『峯相記』)

知井八幡宮
大鹿伝説の残る知井八幡神社。
「かやぶきの里」で知られる観光名所内にあるので比較的訪れやすい。
素敵な所なので機会があれば是非どうぞ。

佐々里八幡宮
こちらも大鹿伝説のある佐々里の八幡神社。
祀っている集落は山深い所にあるので、訪れるにはある程度の気合が必要。
おすすめしづらい。

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