丹波・丹後の妖怪あつめ

京都府北部(丹波・丹後地域)の怪異妖怪伝承を紹介するブログです。

2020年06月

狭間峠の怨念

狭間峠の怨念 (はざまとうげのおんねん)


昔、狭間峠で起こった話である。
梅雨時のある夜、一組の父娘が狭間峠を通っていた。
時刻は午前二時を過ぎており、提灯の灯り以外辺りは真っ暗闇である。
二人は少しでも早く峠を抜けようと、息を切らせながら一心に歩を進めていた。
その時、どこからか「ウーン、ウーン」と妙な呻き声が聞こえてきた。
父娘が暗闇を見つめると、「ウーン、ウーン」という断末魔のような唸りと共に「あいつがぁ、あいつがぁ」と恨みの籠もった声が聞こえてきた。
父は五年前、この峠で強盗に殺された郵便配達員のことを思い出した。きっとこの声は、殺された郵便配達員の怨嗟の声に違いない。
二人は数珠を取り出し、奥にある池の方に向かって夢中で念仏を唱えたという。

この話は村人たちに伝わり、いつしか「狭間峠には幽霊が出る」と言われるようになった。
そこで村人たちは配達員の成仏を祈り、峠に地蔵を建立して祀った。それ以来、呻き声は聞こえなくなったという。

『福知山の民話と昔ばなし集』「狭間峠のおんねん」より


狭間峠は、現在は国道として交通量も多くやかましい賑やかな所ですが、この話の時代(大正の頃?)は街灯一つ無い淋しい峠道だったんでしょうね。

滝壺の赤牛

滝壺の赤牛 (たきつぼのあかうし)


大正の末頃、弓削八丁谷にある馬場(ばんば)の滝の上流から材木を伐り出すため、数人の山男が小屋で寝泊まりしていた。
大雨が降り続いた翌朝のこと、小屋の入り口に置いたはずの道具類がなくなっていた。
男たちは雨に流されて滝壺に沈んでしまったのだと考え、潜水の上手な吉さんに道具の回収を頼んだ。
そして吉さんは何度も滝へ潜り、底に沈んだ道具を拾い上げていったが、その顔は青ざめ強ばっていた。
男たちが理由を尋ねると、吉さんは「滝の底に大きな赤い牛が寝ていた。大人しくて何もしては来なかった」と答えた。
馬場の滝は上下段に分かれていて、両方に深い滝壺がある。
昔からそこに主が棲んでいて、二つの滝壺を交互に移り棲んでいると言われていた。

後に、ある男が馬場の滝壺へ鉄屑を捨てたところ、高熱に冒され約一ヶ月後に死亡した。
男はうわごとのように「仏壇の奥から赤茶色の蛇が沢山出て来て、俺の胸に巻き付いて来るんだ。早く取ってくれ」と叫び続けていたという。

『続 京北の昔がたり』「滝つぼの主」より


水中に棲む牛の話は各地にあり、『日本怪談実話〈全〉』には「長野県の上田城の堀から二本の角を生やした真紅の牛が飛び出して来て池の中に消えた」という話が、『伊豆の伝説』には「対島村(静岡県伊東市)の池に赤牛(池の主)が棲んでいたが旅の僧に成仏させられた」という話が伝えられています。


伝承地:京都市右京区京北上弓削町



糸織姫

糸織姫 (いとおりひめ)


江戸時代、丹波亀山藩主の松平某に“糸織姫”という美しい妾がいた。
ところが彼女を妬む人々が結託し「糸織姫には前から約束を言い交わした男がいる」という話をでっち上げ、藩主に報告した。
この讒言を信じた藩主は怒り狂い、糸織姫を稲荷神社のそばで斬り殺した。
すると糸織姫は藩主や讒言した人々を恨めしそうな顔でキッと睨み、「松平家七代に祟ってみせる」と叫んで絶命した。
その後、松平家には身体に障害があったり精神に異常を来す子供ばかりが生まれるようになり、人々は糸織姫の怨霊が祟ったのだと噂した。
そしてその頃から、亀山城の高台にある大銀杏の木に大きな白蛇が棲むようになった。
この白蛇は糸織姫の怨念が凝り固まったものだと言われている。

『丹波の伝承』「亀山城の大銀杏」より


この他、亀山城には白蛇の棲む銀杏の話(“大銀杏の姫の亡霊”)があります。
姫の幽霊に憑かれたり白蛇の棲み処にされたり、この銀杏も大変ですね。


伝承地:亀岡市荒塚町・丹波亀山城(城址)


米洗いの女

米洗いの女 (こめあらいのおんな)


宮津には“あづき洗い”や“米洗いの女”と呼ばれる妖怪がいた。
それらは夜の九時~十一時頃になると、村や町の橋の下などに現れたという。

『天橋立秘帖 史実と伝説集 2』「橋立小女郎」より


小豆洗いシリーズ宮津編。
夜の宮津には“米洗いの女”だけでなく、片目の怪物や大入道、綺麗な道を作って人を騙すものなど、色々な妖怪が現れたそうです。物騒すぎる。

香気娘

香気娘 (こうきむすめ)


昔、京の僧が石川村(現・与謝野町石川)の近くを歩いていると、川から良い匂いが漂ってくることに気づいた。
怪しんだ僧は川に沿って上流へと進んだ。川を遡るにつれて、香気はどんどん強くなっていく。
山奥の姫路谷という所まで辿り着いた時、十歳位(七歳とも)の「小萩」という名の女児と出会った。
とても美しい顔立ちをした女児で、香気は小萩の体から発せられているものだとわかった。
小萩は村の貧しい家の夫婦が天に祈って生まれた子供で、香気は彼女が生まれた瞬間から漂うようになったという。
僧はただちに小萩の親に会い「このような美女を山奥に置いておくのは勿体ない。都に行けば必ず立身出世するだろう」と勧め、彼女を京へと連れて帰った。
やがて香気を放つ娘の話は朝廷にも伝わり、後に彼女は天皇の妃になったと言われている。

『丹後郷土史料集 第一輯 丹哥府志』「與謝郡 第二 加悦の庄 香河村」
『丹後史伝 史実と伝説集 3』「香河村(与謝郡石川村香河)」より
他多数


妖怪変化の類ではないのですが、珍しい話なので紹介することにしました。
この姫は第五十三代淳和天皇の次妃で、後に空海の弟子となった如意尼のことではないかと考えられています。

平茸になった法師

平茸になった法師 (ひらたけになったほうし)


丹波国篠村では、秋になると夥しい量の平茸が生えるので、村人たちはこの茸を食べたり人に贈ったりして過ごしていた。
ある時、村の長老の夢に二、三十人ほどの髪の伸びた法師たちが現れ「長い間この村に奉公してきたが、他の場所へ移ることになったのでお別れを言いに来た」と告げた。
奇妙なことに、長老だけでなく、多くの村人が同じような夢を見たということだった。
やがて秋になり、村人たちは例年通り平茸を採りに山へ入ったが、全く見当たらない。
村人たちが不思議に思っていると、仲胤という僧侶が村を訪れた。
話を聞いた仲胤は「自らの名声のために説法をするような邪な法師は、平茸に生まれ変わることがある」と説明したという。
だから、どうであろうと平茸などは食べるべきではない、ということである。

『宇治拾遺物語』「丹波国篠村、平茸生ふる事」より


不良法師、まさかの平茸転生。
毎年山程生えていた平茸は法師たちの転生した姿だったということですね。
知らなかったとはいえ、村人たちはその平茸(元法師たち)を食べたりプレゼントしたりしていたのか……。
この不良法師たちはどこか別の場所に移ったとのことですが、新天地でもまた平茸として元気に育ち食べられる運命なのでしょうか。
それとも許されて菌類から人類に戻れたのでしょうか。


伝承地:亀岡市篠町篠


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