丹波・丹後の妖怪あつめ

京都府北部(丹波・丹後地域)の怪異妖怪伝承を紹介するブログです。

2020年07月

狭間のあづき洗い

狭間のあづき洗い (はざまのあづきあらい)


物部村と志賀郷村の間にある狭間峠は木々が鬱蒼と茂り、昼でも暗い所だった。
峠に沿って犀川という川が流れていて、そこに“狭間のあづき洗い”が出るとの噂があった。
ある時、村人が峠を歩いていると、白い着物を着た目の吊り上がった素足の老婆を見かけた。
老婆は長い白髪を背で束ね、岩の上でザルに入れた小豆を洗っていたという。
村人は老婆の気味悪い仕草に驚き、逃げ帰ったという。
“狭間のあづき洗い”の噂は広まり、峠でその老婆を見たという者が出てきた。
狭間峠はいつ通っても「ザーザー」という小豆を洗うような不気味な音が聞こえ、通行人を怖がらせていたという。

『由良川子ども風土記』「狭間のあづき洗い」より


小豆洗いシリーズ綾部編その②。
人前に姿を現すタイプの小豆洗いです。
ただの老婆という可能性もありますが……。


小豆洗い婆

小豆洗い婆 (あずきあらいばば)


中上林日置谷では、夜廻りをしていると、どこからともなくザクザク、ザクザクと小豆を洗う音がするという。
不思議に思って音の方へ近づいて見ると、ピタリと止む。
これは“小豆洗い婆”の仕業だとされている。

『上林風土記 資料集』「小豆洗い婆の伝説」より


小豆洗いシリーズ綾部編。
中上林では、夜廻りの時には「小豆三升、米三升、合わせて六升、ガ~サガザ♪」という歌を歌ったんだとか。

白装束の大女

白装束の大女 (しろしょうぞくのおおおんな)


元禄十五年(1702)、上宮津村で疫病が流行り、多くの人が死んだ。
村人たちは疫病退散を願う百万遍念仏を唱え、その甲斐もあってか病は次第に治まり始めた。
そして正月の七日、治之助という村人が夜道を歩いている途中、大きな松の下に身長一丈(約3m)余りの白装束の女が立っていた。
「話しても信じてもらえないだろう」と、治之助はこの大女のことを誰にも言わないでいたが、程なくして震えが来て寝込んでしまった。
それから快復してはまた寝込むということを繰り返し、熱に浮かされて様々なことを口走りるようになった。
治之助は「私はこの地のかつての城主、小倉播磨守(丹後守護職・一色氏の家臣)に仕えていた数馬という女だ。だが播磨守は讒言を信じ、元亀三年(1572)正月十七日に私を惨殺した。その怨みを天に訴え、播磨守と讒言した者の命を奪ったが、未だ成仏出来ず百三十年以上苦しんでいる。弔ってもらえれば苦しみから逃れられると思い、夜は人に、昼は獣に姿を変えたが効果はなかった。かくなる上は念仏の功徳を以て無念を晴らそうと、加佐郡から疫神を呼んで村に疫病を流行らせ百万遍念仏を行わせた。どうか来る二月十七日に数馬祭と名付けて弔ってほしい。そうすれば村の守り神となって疫病を防ごう。だが断れば災難が降りかかるであろう」と語った。
村人たちは「大きな祭は出来ないが、祠を建てて祀るので早々に疫神を連れて出て行ってくれ」と伝えた。
「疫神は七人いるのですぐには出て行かないが、次第に帰っていくだろう。だが病人の命に問題はない。私の願いを頼んだ」
そう言うと部屋中に雷のような音が鳴り響き、治之助は正気に戻った。
治之助は「白装束を着た一丈もある大女に胸を絞められて突き飛ばされたが、正気に戻ることが出来た」と語った。
その後、村人たちは二月十七日に施餓鬼を修し、山の麓に小さな社を建て、数馬祭を行ったという。

『元禄宝永珍話 巻二』より


自ら病を広めて「疫病を治めてほしかったら自分を祀れ。嫌なら厄災を起こすぞ」と持ちかけるやり口、なかなかひどい。


伝承地:宮津市喜多



(2022/12/10 本文修正)


さざえの嫁さん

さざえの嫁さん (さざえのよめさん)


昔、ある所に夫婦が住んでいた。
嫁は夫のために毎日米を炊いてくれていたが、それはとても美味しいご飯だった。
どんな方法で米を炊いているのだろう。
気になった夫は仕事へ行くふりをして、たか(一階と天井の間の物置)に隠れて嫁が米を炊く様子を見ることにした。
やがて嫁が米を研ぎ始めた。そして米釜をかまどにかけると、その上にまたがり小便をした。
夫は小便で炊いた米を喰わされていたのかと怒り、嫁と離婚することにした。
離縁を突きつけられた嫁は、泣きながら家を去った。
彼女は浜辺まで行くとさざえの姿になり、コロコロッと海に落ちた。
さざえが人間の女に化けて嫁になり、さざえ汁で米を炊いていたのであった。

『季刊 民話 1975冬 創刊号』「奥丹後物語 草稿」より


これは『日本昔話大成』で言うところの「蛤女房」系の話になります。
他の地域の嫁は蛤、鯛、鮭、鮒、人魚など、バリエーションに富んでいます。
米の炊き方は米釜に小便したり尻を漬けたりと、皆やることはだいたい同じですが。
この系統の話は『古事記』の“オオゲツヒメ”(食物神。鼻、口、尻などから食べ物を出しそれらをスサノオに振る舞うが「汚い」とキレられて殺される可哀想な女神)にどことなく通じるところがあって面白いですね。

かわねこり

かわねこり


嘉永七年(1854)五月初旬、安芸国宮島に“かわねこり”というものが現れたという。
かわねこりは毎晩丑寅(午前二時~四時)の時刻になると、人の叫びに似た鳴き声を上げながら町中を通るという。
これは獣の声であって鳥ではない。鹿や猿だという説もあるが、その姿を見た者はいない。

『近世風聞・耳の垢』「嘉永七年 甲寅」より


他府県の気になる妖怪シリーズ。
今回は広島県廿日市市宮島町(厳島)に現れたという謎の獣の話です。
叫び声を上げつつ夜毎徘徊する正体不明の生物って、想像するだけで怖いですね。

又ェ門ガシガシ

又ェ門ガシガシ (またえもんがしがし)


ある夏の日、又ェ門という男が野良仕事をしていた。
昼になり休憩していると、少し離れた所で戯れている三匹の子狐を見つけた。
ふと悪戯心が芽生え、又ェ門は子狐たちに近づいた。三匹は慌てて近くの穴に逃げ込んだ。
又ェ門は杉の葉を集め、穴の入り口に詰めて火を点けると、笠で扇いで煙を奥へと送り込んだ。
外に出れば捕まると思ったのか、子狐たちは煙の充満した穴の中で苦しみ続けていた。

その夜、又ェ門が自宅で眠っていると、表の木戸をガシガシと引っ掻く音がする。
引っ掻き音と共に、「汝(われ)の子が可愛けりゃ他人(ひと)の子も可愛い、又ェ門」という狐の声が聞こえた。
その声と音は三十分程続いた。
朝になって戸を見てみると、そこには鋭い爪跡が残されていた。
それから毎晩、狐がやって来ては戸をガシガシと掻くようになった。
又ェ門はとうとう耐えられなくなり、四日目の夜、戸を掻きに来た狐に子狐をいじめたことを謝った。
又ェ門の謝罪を受けて溜飲を下げたのか、その日から狐は来なくなったという。

『紫摩城』「大内の民話 二」より


これは又ェ門が悪い。


伝承地:南丹市美山町内久保(大内)


  • ライブドアブログ