丹波・丹後の妖怪あつめ

京都府北部(丹波・丹後地域)の怪異妖怪伝承を紹介するブログです。

2020年09月

宮の森の大天狗

宮の森の大天狗 (みやのもりのだいてんぐ)


昔、口司村(現・園部町口司)の村人が宮の森へ柴刈りに行くと、何とも言えぬ不思議な声が聞こえてきた。
この山には大天狗が棲んでいると伝えられている。怖くなった村人は下山しようとしたが、既にその体は宙に舞い上がっていた。
村人はそのまま行方不明になり、村では大騒ぎとなった。
「大天狗がさらったに違いない」
皆はそう考え、火を焚いて「天狗返せ、天狗返せ」と叫び続けた。
すると、「今返す」という微かな声と共に、空からカクレミノ、カクレガサ、サカズキの三品が落ちてきた。
その後、この三品は長く家宝として保存されていたが、火事で焼けてしまったという。

『園部の口碑、伝承 おじいさんたちの話』「カクレミノ」より


……村人は?

伊右ヱ門焼け

伊右ヱ門焼け (いえもんやけ)


昔、ある村に伊右ヱ門という炭焼き職人がいた。彼は山中にある炭焼き窯で仕事をしていた。
夜になれば帰って来るはずなのだが、その日、彼は戻って来なかった。
心配した村人たちは方々を捜し回り、やがて彼を発見した。
伊右ヱ門は、山中の炭焼き窯の炎の中にいた。
燃え盛る炭窯の焚き口からは伊右ヱ門の足が飛び出し、灰になった草履がまとわりついていた。

伊右ヱ門の怪死については、こう語り伝えられている。
「伊右ヱ門は天狗のねぐらだった大木を伐り倒してしまい、怒り狂った天狗に窯の中へ投げ込まれて焼き殺されたのだ」
今も広谷山の中腹には「伊右ヱ門焼け」という地名が残されているという。

『郷土史岡田上』「伊右ヱ門焼け」より


この怪死事件は本当に天狗の仕業だったんでしょうか?

草木庵の怪

草木庵の怪 (くさきあんのかい)


安永(1772~1779)の頃、草木村に小さな庵があり、二人の老尼が住んでいた。
この庵では、行燈や煙草盆が踊り歩いたり、道具が宙を舞ったり、食料がなくなったりと、様々な怪異が起こっていた。
尼たちはこれらの怪異を隠していたが、次第に噂が広まり、遂に役人の知るところとなった。
役人は吏卒(下級役人)を遣わして確認させたが、その時は何も起こらなかった。だが吏卒が帰ると再び怪異が起こり始めた。
そのため、役人の命により庵は打ち壊されてしまった。それからしばらく、怪異は収まったという。
その後、二人の尼は庄屋の敷地のそばに家を建て、そこに住むようになった。
だが安永八年の春頃から、尼の住む家の前の通りで再び怪異が起こり始めた。
ある時、手跡がつき、文字のようなものが書かれた紙切れが空から降ってきた。
そこである村人が紙と筆を仏壇に供えたところ、翌朝、紙には位牌のような絵、そして戒名と年月日が書かれていた。
文字はほとんど読み取れなかったが、かろうじて「九月十三日」という文字だけ判読出来た。
それを元に寺の過去帳や古い墓などを調べてみると、施主すら知らない戒名が二つ見つかった。
それは七、八十年も昔の年号で「九月十三日」と記されていた。
この二つの戒名を二枚の紙に書いて仏壇に供え置くと、その夜の内に一枚の紙は引き裂かれ、もう一枚には「施餓鬼を頼む」と書かれていた。
早速村人たちは僧侶を呼び、施餓鬼を修して懇ろに弔った。
数日後、空から声が響き「追善供養の功徳によって成仏することが出来る。今後怪異が起こっても、それは私ではなく狐狸の仕業である」と言った。
その後、怪異はぱったりと止んだという。

『丹後郷土史料集 第一輯 丹哥府志』「草木庵(草木村)」より


伝承地:京丹後市網野町木津



*2023/1/19 加筆修正

山姥

山姥 (やまんば)


昔、ある爺さんと婆さんが子供を預かっていた。
ところがその家に山姥が来て、囲炉裏の火で乳房を炙り始めた。
爺さんは「山姥は火で炙った乳房に子供を巻きつけて連れ帰る」という話を聞いていたので、そうはさせまいと焼けた火箸を山姥の乳房に押しつけた。
すると山姥は弱ってしまい、子供を取らずに帰ったという。

『イトさんの昔ばなし』「山姥」より


火でとろけた乳房を投げつけてくる妖怪。
雪んぼ(京丹後市)


伝承地:福知山市大江町


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