丹波・丹後の妖怪あつめ

京都府北部(丹波・丹後地域)の怪異妖怪伝承を紹介するブログです。

2021年07月

見越入道

見越入道 (みこしにゅうどう)


ある老婆が熊野郡に行くため、明け方に家を出た。
木津の浜詰橋まで行くと、海岸の方から十二梯子のような見越入道が、ザルのようなものを持って上がって来た。
怖くなった老婆は竿秤を振り回したが、その内に見越入道は西の台地の方へ消えて行ったという。
見越入道は背中に負われ、頭の上から顔を覗き込んでくる妖怪である。

『丹後の民話 第四集 ふるさとのむかしばなし』「見越入道と狐の仇討」より


「十二梯子のような」とは、「十二(尺?)梯子のように長い(大きい)」という意味でしょうか。

大亀の怪物 / 飛行奔走する怪物

大亀の怪物 / 飛行奔走する怪物
(おおがめのかいぶつ / ひこうほんそうするかいぶつ)


明治十七年二月七日、丹後国与謝郡四辻村(現・与謝野町四辻)の長田庄兵衛という男が、熊野郡布袋野(現・京丹後市久美浜町布袋野)へ銃猟に行った。
庄兵衛が獲物を探していると、笹藪をかき分ける音がして、そこから五尺(約1.5m)以上もある怪物がのそのそと這い出てきた。
怪物は頭をもたげて目をいからし、今にも噛み付かんばかりに大口を開けて威嚇してきた。
庄兵衛が銃を撃ち込むと、怪物は跳ね上がって倒れた。
怪物の死体を確認すると、それは大きな亀で、体長五尺以上、前後それぞれに水かきが二つずつあり、尾は短く手足がなく、瑠璃色の甲にはいくつかの白い斑点があり、その中も亀甲の形をしていた。
甲羅は頭から尾まで七本の縦筋が走り、まるで針を植えたようだった。
前足の水かきの長さは各三尺(約90cm)程で、泳ぎや地を這う時に使うものと考えられた。
オサガメに似ているが、手足が無いことや歯とは別に口中一杯に針のようなものが生えていることなど、奇妙な特徴を持っていたので、庄兵衛はこの怪物を宮津の見世物屋に売り払ったという。

*この記事は『日本立憲政党新聞』に掲載されたものですが、この発表からおよそ一ヶ月後、三重県の地方紙『伊勢新聞』からもよく似た内容の記事が掲載されています。
話の流れはほぼ同じですが、怪物の姿形など異なる点が多かったので併せて紹介します。

明治十七年二月七日、丹後国与謝郡四辻村の安田庄兵衛という者が、熊野郡布袋野の畑上という所へ銃猟に行った。
獲物を捜し山奥に分け入って行くと、屏風のように立ち並んだ巨岩の間に大きな洞穴を見つけた。
庄兵衛が洞穴に近寄ると、残雪に埋もれた笹藪がざわめき、その中から体長五、六尺(約1.5~1.8m)程の見たこともない怪物が現れた。
怪物の眼は磨き上げられた鏡のように輝き、口は蓋を外した酒樽のようで、炎に似た息を吐きながら、今にも庄兵衛に飛びかからんばかりの様子だった。
庄兵衛が銃を撃ち込むと、弾は怪物の左目を射貫いた。
目を撃たれた怪物は凄まじい悲鳴を上げて転げ回り、やがて倒れて果てた。
怪物の死体を確認すると、首から尾まで五尺以上あり、背の直径は三尺五、六寸(約1.3m)、背の上には白い小さな甲羅があった。
足にはヒレのような翼に似たものが生えていて、空を飛んだり地を走ったりすることが出来るように見えた。
庄兵衛はこの怪物の正体がわからず、人を雇って村へ持ち帰った。怪物の体重は四十貫目(約150kg)以上あったという。

『明治期怪異妖怪記事資料集成』日本立憲政党新聞 明治十七年二月二十三日「怪しき亀」
『明治期怪異妖怪記事資料集成』伊勢新聞 明治十七年三月三十日「怪物」より


おそらく同じ事件を取り扱った記事だと思うのですが、初出の『日本立憲政党新聞』では「大亀の怪物」とされているのに対し、何故か『伊勢新聞』では「飛んだり走ったりする謎の怪物」に変貌してます。
『日本立憲政党新聞』の数日後に愛媛県の『海南新聞』がこの記事を引用して掲載していますが、こちらは文体が少し違うだけで「大亀の怪物」と内容は同じです。
『伊勢新聞』が『日本立憲政党新聞』(または『海南新聞』)から情報を入手したのか、それとも独自取材をしたのかはわかりませんが、その過程で情報が錯綜し(あるいは面白くするために誇張した?)、結果怪物の造形などに違いが生まれたのかもしれません。

●以下、大まかな相違点。

『日本立憲政党新聞』
体長五尺の大きな亀のような怪物。瑠璃色の甲羅がある。三尺の水かきが前後に二つずつあるが、尾は短く手足がなく、口中一杯に針が生えている。オサガメに似ている。獲ったのは長田庄兵衛で死体は見世物屋に売られる。
『伊勢新聞』
体長五、六尺の正体不明の怪物。背中に小さな甲羅があり、炎に似た息を吐く。足にヒレのような翼が生えていて空を飛ぶことが出来ると予想される。体重は四十貫目もある。獲ったのは安田庄兵衛で死体のその後の扱いは不明。

足半が淵の主

足半が淵の主 (あしなかがぶちのぬし)


大宮町五十河と宮津市上世屋の境にある高山には「足半が淵」という所がある。
この山の道は野間の村人たちが岩滝の町へ出る時によく使われていたという。
村人たちはこの淵まで来ると、足半草履を新しいものに履き替え、古い草履を淵に投げ込んでいた。
その際、「主になれ」と言いながら投げ込むと、草履が大蛇や鯉などに変化することがあったという。

『丹後の民話 第一集 いかがのはなし』「足半が淵」より

消えた娘

消えた娘 (きえたむすめ)


元禄十年(1697)、宮津藩の大名・阿部正邦が下野国宇都宮(栃木県)へ所領替えになった際、町人の糸屋惣左衛門に家を貸し出した。
ある夜、惣左衛門夫婦は娘と共に寝ていたが、翌朝になると彼女の姿は消えていた。
夫婦は役所へ報告し、人を雇って方々を捜し回ったが、娘の行方はわからなかった。
天狗の仕業とも、所領替えに紛れて藩士がさらっていったとも囁かれたが、その後この娘を見た者はいないという。

『拾椎雑話 巻二十五』「他邦」より


消えた娘は小浜(福井県)の畳屋の娘で、惣左衛門の養子になっていたそうです。


伝承地:宮津市中心部



海中から上がった怪物

海中から上がった怪物 (かいちゅうからあがったかいぶつ)


享保十一年(1726)二月二十五日、舞鶴の海中から奇妙な生物の死体が浜に上がった。
首は鳩に似て長さ一尺(約30cm)程、腹部は赤白の斑模様、柔らかいヒレがあり、喉まで歯が生えていた。
甲は唐傘の骨のようで筋がやや高く、タバコの葉に似ている。
胴の長さは五尺(約150cm)、幅は三尺(約90cm)で、ヒレを広げると六尺(約180cm)もの幅があった。
この怪物の死体が上がる前夜には、海中から凄まじい呻き声が響き、その声は一里(約4km)四方に轟いたという。

『月堂見聞集』「巻之十八」より

ハヤオ

ハヤオ


後堀河天皇による治世の頃(1221~1234年)、桑原(丹波篠山市北部)の奥の谷に“ハヤオ”という体長二丈(約6m)もの大蛇が棲んでいた。
この大蛇は白山権現の使いで、年に一度、多紀連山の主峰・御嶽から福知山の四ヶ村山(鹿倉山)へ尾根伝いに通っていたという。
ある時、ワサビを採りに来た男たちが奥の谷でハヤオに遭遇してしまったが、苦闘の末これを退治した。
それ以来、村人たちはこの谷を「行ってはならない恐ろしい谷」として「イケン谷」または「オトロシガ谷」と呼ぶようになったという。

『親と子のふるさと西紀の民話集』「オトロシガ谷の大蛇」より



この大蛇の名前になっている“ハヤオ”とは何ぞや?と思ったので軽く調べてみたところ、「早緒(ハヤオ)とは、船を漕ぐ時に使う櫓(ろ)にかける綱のこと」(『広辞苑』)、「福島県で牛馬用の太い綱のことをハヤオという」(『総合日本民俗語彙』)とありました。
綱のように太くて大きい蛇だったので“ハヤオ(早緒)”と名付けられたんでしょうか。

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