丹波・丹後の妖怪あつめ

京都府北部(丹波・丹後地域)の怪異妖怪伝承を紹介するブログです。

2021年08月

生首の妖怪 / 老婆の怪物

生首の妖怪 / 老婆の怪物 (なまくびのようかい / ろうばのかいぶつ)


紙屋町の芸妓・お妻の家には、毎夜十二時頃から二時頃にかけて、血が滴った人間の首がふらふらと宙に浮かんで出ると噂されていた。
ある日の深夜二時頃、お妻が床に就くと、襖がびりびりと震え出した。
驚いて襖の方に目を向けると、人間の生首が現れて「エヘヘ」と笑った。
お妻は階下へ飛び降りて腰を抜かし、大声を上げたが、その時にはもう生首は消えていたという。

また、お妻の家の西隣に住む絵描きの家には、老婆の怪物が出ると言われている。
日中、絵描きが仕事をしていると、そこに老婆の怪物が現れてげらげらと笑ったという。

『明治期怪異妖怪記事資料集成』京都日出新聞 明治四十四年七月十八日「美妓お妻の家から生首の妖怪」より

海の亡霊 ②

海の亡霊 ②(うみのぼうれい に)


ある時、平田の仁助という老人が経ヶ岬まで漁に出かけた。
仕掛けに魚がかかる間、仁助は船上でうたた寝を始めた。
すると突然船尾が傾き、「仁や、仁」と自分を呼ぶ声がする。
驚いて振り向くと、髭だらけの痩せた男が船の縁に掴まっていた。
「お前は生きている者か? 死んでいる者か?」
仁助が尋ねると、男は消えてしまった。
「それは海で亡くなった人の亡霊が助けを求めて船に上がって来たのではないか」
家に帰った仁助から話を聞いた妻はそう答えたという。

以来、漁師たちは海に出る時は必ず刃物を持って出るようになった。それで亡霊の髭を剃ってやるためだという。
また、亡霊が出た時は「連れて帰ってやる」と言って、細い稲藁縄を体に結んで船で引っ張ればいいという。
そうすると、途中で自然に縄が切れて亡霊は離れるため、難を逃れられるという。

『語りによる日本の民話10  丹後 伊根の民話』「海の亡霊(一)」より

亡者船

亡者船 (もうじゃぶね)


丹後では海で死んだ者は人魂となって現れたり、海上に火を灯したり、泳いで櫂を求めたり、帆を張った大船で現れたりすると言われている。

ある年の夏、浅茂川村の村人たちは浜辺に集まって酒盛りをしていた。
すると沖から、白帆をかけた大きな船が浜辺に向かって来た。
船が近づくにつれ、二、三十人の人の声も聞こえてくる。
やがて船は浜辺に着岸したが、その途端に姿を消してしまった。
普通の船のように見えたが、風の流れに逆らって走っていたという。

上記は『丹哥府志』にある伝承で『網野町誌 下巻』にはこれに加え、
「亡者船は浜辺に近づくとパッと消え、その後亡霊の火の玉だけがゆらゆらと揺れていた」という怪火現象と、海上で亡者船に遭遇した場合の話も記されています。
以下は『網野町誌 下巻』に載せられていた伝承です。

出漁中に亡者船(亡霊船)に出遭うと、水夫の亡霊たちに「杓を貸してくれ」とねだられる。
もし要求どおりに杓を貸すと、それで海水を注がれ船を沈められてしまう。
断り切れなかった場合は底の抜けた杓を貸せば良いという。
盆の十六日に海へ出ると必ず亡者船に遭遇するので、この日は誰も出漁しないという。

度々亡者船が現れていた頃、毎夜、正徳院の住職の枕元に海で死んだ者の亡霊たちが現れては悲しげに泣きじゃくるので、施餓鬼を修して冥福を祈った。
数日後、供養を喜んだ亡霊たちは奇妙な手振りで踊り出した。
その仕草があまりに面白く、住職はこれを盆踊りに取り入れて無縁仏の供養に用いたという。
これが「浅茂川踊り」の起源だと言われている。

『丹哥府志』「竹野郡 網野の庄 浅茂川村 亡者船」
『網野町誌 下巻』「第2節 伝説と史話」より


伝承地:京丹後市網野町浅茂川


阿古女ヶ谷の天狗

阿古女ヶ谷の天狗 (あごじょがたに?のてんぐ)


昔、大内村の庄屋の家に、アコという美しい少女がいた。
アコは十五、六歳の元気の良い乙女で、美しい声の持ち主だった。
ある春の夕方、アコは歌声を周囲に響かせながら炊事場で食事の用意をしていた。
だが、突然彼女の歌声が聞こえなくなったので、不思議に思った家人が炊事場を覗いたが、アコの姿はどこにもなかった。
彼女の失踪に気づいた村人たちは、翌日から近くの山々へ分け入って捜索を始めた。
やがて青谷の奥深くに聳える天狗松まで辿り着き、ふと樹上を見上げると、一番上の枝にアコの着物が引っかかっていた。
天狗松に登って確認すると、そこには息絶えたアコの亡骸があった。
アコの綺麗な歌声に誘われた向かいの山の天狗が、彼女をさらって行ったのだろうと言うことだった。
それ以来、大内では大正末頃まで「夕方に女の子が鼻唄を唄うと天狗にさらわれる」と言われ、アコが死んでいた西山の奥谷を「阿古女ヶ谷」と呼ぶようになったという。
今はその天狗松も伐られてしまい、残っていないという。

『ふるさと美山の生活誌』「阿古女ヶ谷の由来」
『紫摩城』「アコ女のものがたり」より


『ふるさと美山の生活誌』では、●アコが消えた原因→「自分を呼ぶ若い男の声に誘われて姿を消した」●発見された時の様子→「天狗松の上で二つに引き裂かれて死んでいた」と書かれていますが、後年に出版された『紫摩城』では、●アコが消えた原因→「突然アコの歌声が途切れたので家人が見に行くと姿が消えていた」●発見された時の様子→「天狗松の上で息絶えていた(引き裂かれていたなどの描写はなし)」となっていて、微妙な違いが見受けられます。
今回はより詳しく書かれている『紫摩城』の方を下敷きにして紹介しました。

小豆あらい

小豆あらい (あずきあらい)


昔、小橋や三浜では日が暮れても帰宅しない子供がいると、「神隠しに遭った」「小豆あらいにやられた」と言っていた。
小豆あらいは夕暮れ時を好み、家と家の間の狭い所に現れるという。
外で遊んでいて帰りが遅くなった子供が家々の間を歩いていると、薄暗がりから「ガッサラ、ガッサラ」と小豆を洗うような音が聞こえてくる。
音は後ろからついて来るように聞こえるが、この時に振り向いたり、無視して遊んでいると神隠しに遭うという。
怖くなって耳を塞ぐと、小豆あらいは調子に乗って更に音を立てる。我慢して自宅に戻り、中から扉を閉めると聞こえなくなるという。
小豆あらいは、嫁に行けずに死んだ娘の霊が、海から浜を伝い、川を遡ってさまよい出たものだと言われている。
また昔、小橋に白壁の大きな屋敷があったが、小豆あらいがよく出るため誰も住まなくなり、やがて家は壊されたという話も伝えられている。


『わが郷土 丸山小学校創立百周年記念誌』「小豆あらい」
『舞鶴の民話 第四集』「あずきあらい(三浜)」より


小豆洗いシリーズ舞鶴編。
海から川へ遡上して来るタイプの小豆洗いです。鮭みたいですね。

御霊神社の古狸

御霊神社の古狸 (ごりょうじんじゃのふるだぬき)


昔、御霊神社には樹齢数百年と言われる榎が生えており、その幹には大きなウロが空いていた。
そのウロには古狸が棲んでおり、よく人を化かしたと言われている。

昔、西町の成徳寺の辺りは草原だった。
ある人がそこを通って家に帰ろうとしたが、どれだけ歩いても辿り着くことが出来ない。
どこをどう歩いたかも覚えていなかったが、翌朝になってようやく家に帰り着くことが出来た。
新品だった下駄の歯はすり減り、板のようになっていたという。
これは御霊神社の古狸に化かされ、一晩中引き回されていたのだと言われている。

また、久治という男が池部の秋祭りからの帰り道、ご馳走を包んだ風呂敷を抱えて広小路の辺りを歩いていた。
すると、菱屋から広小路にかけて、子狸たちがうろうろしている。
子狸たちは皆バッチョウ笠を被っていたので、まるで笠が歩いているように見えた。
そこまでは覚えているが、その後の記憶がなく、気づいた時には家に帰り着いていたという。
そして、風呂敷の中のご馳走は空になっていたという。

『福知山の民話と昔ばなし集』「御霊さんの榎木と狸のはなし」より


この榎は大正時代に御霊神社が移設された時に伐られてしまったそうです。
現在、跡地には碑と社が建てられています。

御霊神社跡地
久しぶりに見に行ってみると、某大河ドラマの関係か、整備されて綺麗になっていました。

化けて出るげな古狸
福知山音頭に唄われるくらい有名だったようですね。

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