丹波・丹後の妖怪あつめ

京都府北部(丹波・丹後地域)の怪異妖怪伝承を紹介するブログです。

2021年09月

権助狐

権助狐 (ごんすけぎつね)


昔、久美浜の三分に歌の上手な伝兵衛という男がおり、毎日サクラオウ峠を越えて浜詰(網野町)へ魚を買いに行っていた。
ある日、浜詰からの帰り道で大雨に降られ、雨宿りをしている内に日が暮れてしまった。
伝兵衛が得意の歌を歌いながら夜道を歩いていると、突然周囲が明るくなり、白の袈裟を着た大坊主が現れた。
峠にはよく人を化かす「権助」という狐が棲んでいるという。
「これは権助狐に違いない。お前なんかに化かされないぞ」
そう言って伝兵衛は大坊主を殴りつけたが手応えがなく、坊主は姿を消してしまった。
そして伝兵衛が峠の頂上まで登って来ると、また周囲が明るくなり、道が三本四本と増えた。
「また権助狐だな。こういう時は落ち着くことが大事だ」
伝兵衛はその場に座ってしばらく休憩していると、その内に何本もあった道は消えていった。
すると今度は後ろから四十歳程の美女が現れた。
伝兵衛は女の美しさに魅了され、彼女の背中に手を回そうとした。
だがそこには大きな狐の尻尾があり、それを掴んだ伝兵衛は女が権助狐であることに気づいた。
伝兵衛は怒り狂い、掴んだ尻尾を振り回して押さえつけると、権助狐は「許して下さい」と哀願した。
伝兵衛は二度と人を化かさないことを条件に、権助狐を逃がしてやった。
それから権助狐は姿を現さなくなり、人々は大変喜んだという。

『くみはまの民話と伝説』「きつねと、伝兵衛」より


網野町には同じ名を冠する“ごんすけ狸”がいますが、何か関係性があったりするんでしょうか。
ごんすけ狸は何度追い出されても悪事を止めない筋金入りのワルでしたが、権助狐は怒られたら割とあっさり改心するタイプのようです。


サクラオウ峠の位置は不明。網野町浜詰-同町俵野-久美浜町三分を繋ぐ新道・フルーツラインの辺りにあった?


水中の音楽

水中の音楽 (すいちゅうのおんがく)


大正の頃、亀岡に来た伏見の軍楽隊が、増水中の保津川を下って帰ることになった。
その途中、楽隊は船上で演奏を始めたが、その音色に聴き入った船頭が操作を誤り、船は転覆して全員溺死した。
以来、雨のそぼ降る夕暮れには、水底から笛太鼓の音が聞こえてくるという。

『口丹波口碑集』「水中の音楽」より


伝承地:亀岡市保津町・保津川(正確な場所不明)


じい岩とばあ岩

じい岩とばあ岩 (じいいわとばあいわ)


広河原能見町には「じい岩」「ばあ岩」と呼ばれる夫婦岩があり、村へ悪い病が入らないように魔除けとして祀られていた。
かつて疫病が流行った時も能見谷には広がらず、また狼もこの岩には近づかなかったという。
だがある時、山国村の村人が「じい岩」だけを持ち帰り、川下に向けて置いておいた。
すると、いつの間にか「ばあ岩」のある川上の方へ向きを変えていた。
その後、何度戻しても「じい岩」は川上の方に向き直ったという。
今は「ばあ岩」だけが残り、その地は「バイワ」と呼ばれている。

『京都廣河原民俗誌』「ばあ(婆)岩(能見口)」より


夫婦岩があった場所は不明。おそらく「ばあ岩」も現存してないと思います。


ちんじゅの浜の火の玉

ちんじゅの浜の火の玉 (ちんじゅのはまのひのたま)


昔、ある漁師の親子が海に刺し網漁を仕掛けたが、夜になって天候が崩れてきたので網を引き揚げに行った。
その途中、野原の「ちんじゅの浜」という海岸を通りかかった時、山の方に上がって行く火の玉が見えたという。
二人は急いで網を取り、帰り際に浜の方を見ると、もう火の玉は消えていた。
海から戻ると、風が強くなり大雨が降ってきた。二人は嵐に巻き込まれる寸前だった。
その火の玉は海の荒れを知らせてくれたものだと言われている。

『子ども風土記』「火の玉」より

過去に紹介した“ちんじゅの一つ目小僧”もそうですが、この「ちんじゅ(ちんぢ、ちんしゅなど名称色々)の浜」は妖怪変化が多く棲む場所なのでしょうか。

灰屋の怨霊

灰屋の怨霊 (はんやのおんりょう)


天正七年(1579)、明智光秀は高見城に攻撃を仕掛けていた。
その攻防中、流れ矢が光秀の体を掠めた。その矢尻には「土屋」の印が入っていた。
激怒した光秀は反逆者として矢匠・土屋(灰屋)三坂の一族を捕らえたが、その中に三坂の妹・岡女の姿はなかった。
岡女は既に西願寺(岡寺)へ逃げ延びており、三坂は光秀に居所を迫られても決して答えなかった。
そして岡女を除く土屋の一族は、市庭の沼の畔で火炙りの刑に処された。
一族の処刑後、岡女は仏門に入り供養を続けていたが、間もなく体調を崩し、光秀に深い恨みを抱いたまま死んでいった。
それ以来、夜になると市庭の沼の畔に美しい女の幽霊が現れ、泣き声や呻き声を上げるようになった。
そして最後には土屋一族が住んでいた母屋の裏庭に消えるという。
人々は「あれは灰屋の怨霊だ」と哀れみ、沼に小さな祠を建てて岡女の霊を慰めた。
その後、女の幽霊の噂はなくなったという。

『歴史物語 丹波柏原 続篇』「灰屋の怨霊」より


厳島神社
岡女を祀った祠は柏原八幡宮に移され、現在は厳島神社として鎮座しています。

土屋岡女
祭神に土屋岡女の名が見られます。


伝承地:丹波市柏原町柏原、柏原八幡宮(厳島神社は鳥居を潜った先の右側)

川を渡る火の玉

川を渡る火の玉 (かわをわたるひのたま)


ある老人が家へ帰る途中、二箇橋の辺りまで来ると、大きな蛍の塊のような火の玉が川に転がっていた。
老人が「へん、ちょこざいな」と言うと、火の玉は消え「ピショピショ」と言って川を渡ったという。
イタチが化けていたと言われている。

『丹後の民話 第四集 ふるさとのむかしばなし』「化かされ話」より


「二箇橋」は国道482号線と府道659号線(二箇河辺線)が交わる辺り、鱒留川に架かる橋。
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