丹波・丹後の妖怪あつめ

京都府北部(丹波・丹後地域)の怪異妖怪伝承を紹介するブログです。

2021年12月

照蓮寺の奇談

照蓮寺の奇談 (しょうれんじのきだん)


西町の照蓮寺が建部山中に建っていた頃、住職の夢に老人が現れ、
「私は長くこの山に住む者で仏法が大嫌いだ。念仏を止めてくれれば私が覚えていることは皆やってやる」と言って消えた。
翌晩、垂木を叩くものがあるので住職が縁側に出てみると、庭前は美しい小松原に変わっていた。
住職がその景色に見とれている内に、小松原には大名の行列が現れ、次に立派な御殿が現れた。
流石に気味が悪くなり、住職は縁側の板に爪で「南無阿弥陀仏」と書こうとした。
しかし「南無」の二文字まで刻んだところで御殿は消え去った。
この夜に起こった怪異の様子は絵に描かれ、「南無」と彫られた板と共に寺宝として伝わっているという。
それから数年後、「建部山は人の住むべき所ではない」ということで、西町の方へ寺を移したという。

『明治期怪異妖怪記事資料集成』神戸又新日報 明治四十二年一月六日「照蓮寺の奇談」より


本文では「照蓮寺」とありますが、調べてみても西町に同名の寺はありませんでした。
来歴や位置関係から考えるに、おそらくこの寺は松林寺(当初は笛原(源)寺という名で建部山中にあったが後に西町に移り松林寺に改称)のことではないかと思います。
なので正確には「松林寺の奇談」になります。多分。

伝承地:舞鶴市・建部山


ぐひんさん

ぐひんさん


昔、ある坊主が山で“ぐひんさん”と出会い仲良くなった。
それから、ぐひんさんは上山の坊主の家へ遊びに来るようになった。
ところがぐひんさんは大変気難しい性格で、家人が騒いだりすると気分を損ねたため、静かにするように気を遣ったという。
だがある日、とうとうぐひんさんの機嫌を損ねてしまい、「上山の家を皆焼いてやる」と怒らせてしまった。
そこで坊主は「この問題が解けたら好きにしろ」と言って難しい問題を出した。
ぐひんさんは三日三晩寝ずに考えていたが、とうとう問題を解くことが出来なかった。
そのため、ぐひんさんは「二度と上山には来ない」という証文をしたため、更に自分の爪を剥がしてその気持ちを表したという。
ぐひんさんの証文と爪は、今もその家に残されているという。

『丹後町の民話』「ぐひんさん」より


生爪まで剥がなくても……。


伝承地:京丹後市丹後町上山


怨の片袖

怨の片袖 (うらみのかたそで)


昔、京の呉服屋の手代が丹波亀山(亀岡)へ商売に行ったが、予定よりも早く戻って来た。
何故か手代の顔は青ざめ、着物の片袖を失っていた。
その後、手代は高熱を発し、うわ言を口走りながらのたうち回るようになった。
深夜になると「許してくれ」と部屋の隅で手を合わせ、数人がかりで押さえなければならない程ひどく暴れた。
その中で手代が「尼寺」という言葉を繰り返すので、呉服屋の主人は何か関係があると考え、亀山の尼寺へ人を遣わせた。
そして亀山へ向かった使いは、道中である噂を聞いた。
「亀山の北の尼寺に障害のある娘がいるが、京の呉服屋の手代がその娘と男女の関係になった。だが、娘に障害があると知った手代は彼女を捨てて逃げ出した。以来、娘は手代を呪い殺すと言って部屋に籠っている」
使いが尼寺を訪ねると、奥の間で若い娘が手代の着物の片袖を油で煮ながら、呪いの言葉を一心に唱えていた。
だが、間もなく娘は前のめりに倒れて死んでしまった。それと時を同じくして、京にいる手代も死んだという。
このことから、娘は手代を呪い殺すと同時に自分も死んだのだろうと言われた。

『大正期怪異妖怪記事資料集成(上)』大阪新報 大正二年八月九日「怨の片袖」より


伝承地:亀岡市北部(正確な場所は不明)


池の怪物

池の怪物 (いけのかいぶつ)


昔、市場村から小倉村へ抜ける街道の森に池があったが、夜になると奇怪なものが出るため通る者はいなかった。
ある時、小倉村を訪れた虚無僧は、長者の家の娘が暗い表情をしていることに気づき、訳を尋ねた。
娘は「先日、父が街道の森で池の怪物に遭遇し、命を助ける代わりに娘を嫁に差し出せと言われ、断り切れず約束してしまった」と説明した。
すると虚無僧は「私が何とかしよう」と言い、約束の日まで長者の家に滞在した。
そして当日、虚無僧は女物の着物を着て、尺八を吹きながら一人で池へ向かった。
父娘は一晩中虚無僧の帰りを待ったが、彼が二度と戻って来ることはなかった。
ところがそれ以来、街道の森に池の怪物が現れることはなくなった。
その後、村人が夜に池を通った時、静かで満足したような尺八の音が聞こえたという。
村人たちは虚無僧の霊を慰めるため、この池を「こも池」と名付けた。

『舞鶴の民話 第二集』「こも池(小倉)」より


残念ながら舞台となった「こも池」は現存していないそうです。


伝承地:舞鶴市小倉


ヌッペラボーの怪物

ヌッペラボーの怪物 (ぬっぺらぼーのかいぶつ)


江戸時代、小多利村に丹波屋の由良嘉兵衛という男がいた。
ある日の夕暮れ、嘉兵衛は神池寺へ向かっていた。
すると、寺へと続く道のそばにある椿の大木から、目も鼻も口もない「ヌッペラボー」の怪物が逆さまに吊り下がった。
嘉兵衛は慌てて寺へ登り、そのまま寝てしまった。
真夜中頃、丹波屋の男衆が「急用が」と呼びに来たため、嘉兵衛は店へ帰ることにした。
そして例の椿の所まで来た時、不意に男衆が「旦那の見られた怪物は、こんなものじゃなかったか?」と言った。
次の瞬間、男衆はヌッペラボーの怪物になり、椿から逆さにぶら下がった。
更にヌッペラボーは首のない怪物に変身し、これを見た嘉兵衛はショックで寝込んでしまい、数日後に死亡したという。

この怪物は南北朝の動乱時、六波羅勢に捕まり、神池寺の「地獄谷」という所で木に逆さ吊りにされ、耳と鼻を切り取られた上、谷底に投げ捨てられた若者二人の怨霊だという。
この他にも狐狸が大木に化けて現れることもあったが、神池寺の法橋上人が供養碑を建立したことで、怪物の類は出現しなくなったという。
この椿は伐られてしまい、現在は残っていない。

『多利郷土誌』「ツバキの怪物」より


『太平記 巻ノ八』には、元弘三年(1333年)に「神池寺の僧兵たちが六波羅勢に全滅させられた」という記述がありますが、惨殺されて怪物と化した若者もこの関係者だったのでしょうか。


伝承地:丹波市市島町多利・神池寺


栃原のUFO

栃原のUFO (とちわらのゆーふぉー)


昭和二十一年(1946)四月二十七日の午後十時頃、栃原の青年団の若者たちが夜道を歩いていた。
ちょうど墓の下にさしかかった時、突然、地底から湧き上がるような「ゴーオー」という轟音が響き渡り、辺り一面真昼のように明るくなった。
そして安井山の方から真赤に燃えた丸い物体が、オレンジ色の炎に包まれて出現した。
慌てふためく若者たちを尻目に、その物体は轟音を残し、東の空へ消えて行った。
僅か数秒間の出来事だったという。

『栃原の昔語り』「実存秘話 UFO物語」より


戦後間もない頃に美山の山中に現れた謎の飛行物体。ロマンがありますね。
もしかして当時の新聞に載ってたりしないかと思い、地方新聞などをざっと調べてみましたが、残念ながらそれらしい記事は見当たりませんでした。


伝承地:南丹市美山町高野(栃原)


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