丹波・丹後の妖怪あつめ

京都府北部(丹波・丹後地域)の怪異妖怪伝承を紹介するブログです。

2022年05月

瀧の大蛇

瀧の大蛇 (たきのだいじゃ)


広河原下之町の早稲谷の奥には「びんごの瀧」という瀧が、そして山を越えた先の光砥谷には「から瀧」という瀧があり、この二つの瀧をねぐらにする大蛇がいるという。
昔、早稲谷の奥に住む女が米を搗いている時、蛇が臼に入り込んだが、女はそれに気づかず一緒に搗いてしまった。
だが蛇の混ざった米は食べられないので、女は通りすがりの遍路に渡した。
その後、半身が蛇のような子供が生まれたが育つ力がなく、哀れんだ女はびんごの瀧に放したという。
この子供が龍になって瀧に棲み着いたとも言われている。

『京都廣河原民俗誌』「びんごの瀧(下之町早稲谷)」より


伝承地:京都市左京区広河原下之町・能見町(瀧の正確な場所は不明)


岩窪三太夫 / 穴うろ三太夫

岩窪三太夫 / 穴うろ三太夫 (いわくぼさんだゆう/ あなうろさんだゆう)


吉坂の稲荷神社は「岩窪(岩室)稲荷大明神」と呼ばれ、社の裏にある岩の窪みに白狐(『丹後旧語集』では白狐の老夫婦)が棲んでいた。
これを見たある農夫が供物を供えたところ、白狐は毎月一日に白髪の老人に化けて彼の家を訪れ、農事に関する吉凶を報せるようになった。
その後、この噂を聞いた村人たちは正月になると必ず岩窪稲荷に参詣し、豊作を願うようになったという。
この白狐は“岩窪三太夫”と呼ばれ、田辺藩藩主・牧野氏が参勤交代で江戸に向かう時はお供をしたという。
また江戸で行われた藩対抗の相撲大会では、「志楽五兵衛(『舞鶴の民話』では「田辺の三太夫」)」という力士に化けて出場したこともあった。

江戸時代の郷土誌『拾椎雑話』にも岩窪三太夫と思われる狐の話がありましたので、続けて紹介します。

元文(1736~1741)の頃、吉坂の山の洞に狐が棲んでいた。
この狐は関東で“穴うろ三太夫”という四股名の力士に化けて相撲を取っており、知らない者はいない程の有名人だった。
ある時、三太夫の友が吉坂を訪れ、地元民に家を尋ねたが誰も知らなかった。
すると三太夫の方から迎えに来たが、その姿は人間ではなく、八百歳になる狐だった。
三太夫は「相撲が好きなので関東へ行って相撲を取っていた。だがもう行くことはない」と言ったという。
そして何故か「この狐に願をかければ何でも叶う」という噂が流れ、各地から大勢の人が山の洞に参拝するようになったという。

『丹後旧語集(丹後史料叢書 第四輯)』 「岩窪稻荷大明神」
『舞鶴の民話 第一集』「岩室三太夫」
『拾椎雑話 巻二十四』「吉坂狐の事」より


岩室稲荷神社
岩窪稲荷神社。岩室稲荷神社、吉坂稲荷神社など様々な名称で呼ばれています。

白狐の洞穴?
旧本殿の近くの岩にはいくつかの穴が空いていました(矢印の箇所)。
このどれかが岩窪三太夫の棲み家だった?


伝承地:舞鶴市吉坂・岩窪稲荷神社


光る地蔵

光る地蔵 (ひかるじぞう)


昔、足谷の「地蔵が尾」と呼ばれる尾根筋に一体の地蔵があった。
ある時、伊根の沖を行く舟が悪天候に見舞われ、方向が定まらず難儀していた。
するとこの地蔵が光を放ち、舟を導いて助けたという。

『柚子の里 足谷誌』「地蔵が尾の事」より


伝承地:伊根町菅野(足谷集落は現在廃村)


氷室明神の老杉

氷室明神の老杉 (ひむろみょうじんのろうさん)


富本村の幡日佐神社には氷室明神が合祀されており、一本の老杉が神木として崇められていた。
ある時、木挽きが人に請われてその杉を伐り倒した。
倒した木をよく見ると、幹には丑の刻参りで使われたと思われる釘が数本打ち付けられていたという。
その後、木挽きの家の息子夫婦が肺病を長く患った末に死んだ。
村人たちは神木の祟りだと噂したという。

『丹波の伝承』「氷室明神の老杉」より


伝承地:南丹市八木町氷所・幡日佐神社


大きな鶏

大きな鶏 (おおきなにわとり)


昔、瀬崎で鯛が不漁になり、村人たちの生活が立ち行かなくなった。
そこで村人たちは飼っている鶏を殺し、その肉を餌にして釣りをしてみた。
するとまた鯛が釣れるようになったので、それからは鶏肉を餌にして釣りをするようになった。
ある日、まだ深夜にも関わらず、家々の鶏たちが一斉に鳴き出した。
時計がなかった時代なので、村人たちは毎朝鶏の鳴き声を合図に漁へ出ていた。
この日も村人たちは朝が来たと思い、鯛釣りに出かけたが、魚は一匹も釣れなかった。
そうしている内に海が荒れ始め、舟は沖へと流されて行った。
すると舟の前に、羽を広げた大きな鶏が現れた。大鶏の胸は開かれ、赤い肉が覗いていた。
そして村人たちは荒れ狂う海の中へ、舟ごと引き込まれて行った。
その時、村の鶏たちが「おもいしったかーこけこっこー」と一斉に鳴いたという。
これは鶏を殺して餌にした罰が当たったのだと言われ、以来、村では鶏肉で魚を釣ることを禁じたという。

『舞鶴の民話 第三集』「赤だいつり(瀬崎)」より


伝承地:舞鶴市瀬崎


ひかり石

ひかり石 (ひかりいし)


板生の現世には“ひかり石”という、とても激しく光る石があった。
その輝きはあまりにも強く、周囲のどこの山から見下ろしても光が見えたという。
昔、為定という武士が村を通りがかった時、川の中で光を放つ石を見て驚き、思わず矢を射かけた。
矢が当たった途端、光り輝いていた石はみるみる光を失っていった。
そして為定は急いで川に飛び込み、その石を縛り上げて道まで引き上げた。
今でも石の頂部には、15cm程の矢傷のような窪みが残っているという。
また、ひかり石のある場所は「為定」という字で、これはその時の武士の名に因んでつけられたものだと伝えられている。

『丹波 夜久野の石造物』「現世の「ひかり石」」
『丹波 夜久野の話』「現世の『ひかり石』」より


ひかり石
夜久野町板生現世地区の脇道にぽつんと佇むひかり石。

苔がすごい
頂部にあるという矢傷の跡を探しましたが、苔がすごくてよくわかりませんでした。


伝承地:福知山市夜久野町板生


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