丹波・丹後の妖怪あつめ

京都府北部(丹波・丹後地域)の怪異妖怪伝承を紹介するブログです。

2022年06月

小坊主の霊

小坊主の霊 (こぼうずのれい)


戦国時代、重野の山のエゲ平という所に寺があった。
寺の和尚は世の乱れを危惧し、二人の小坊主に宝物の詰まった壺をどこかに隠すよう命じた。
だが小坊主たちは遠くまで行くのは面倒だと、近くの木の根元に穴を掘って隠した。
ちょうどその時、ある男が小坊主たちの様子を盗み見ていた。
男は小坊主たちが去った後、土を掘り返し壺を盗んで逃げ去った。
そして世の中が落ち着いてきた頃、和尚は壺を戻そうと小坊主たちに隠し場所まで案内させた。
だがいくら木の根元を彫っても壺は見つからず、和尚は小坊主たちの仕業だと決めつけ、二人を殺害した。
一方、壺を盗んだ男は、その金を元手に田辺城下で「壺屋」という呉服店を開いていた。
そんなある日、旅の坊主が店に現れ「この店には二人の小坊主の霊がさまよっている」と男に告げた。
男は壺を盗んだ時のことを思い出し、熱を出して寝込んでしまった。
その後、それまで繁盛していた壺屋は次第に客が減り、従業員も逃げ出し、遂に潰れてしまったという。

『わが郷土 丸山小学校創立百周年記念誌』「エゲの宝と壺屋 -小橋-」より


伝承地:舞鶴市小橋


馬のような頭の蟒

馬のような頭の蟒 (うまのようなあたまのうわばみ)


享保二十年(1735年)六月、丹波国で洪水が起こった時、山家の谷で蟒(うわばみ)の死体が見つかった。
洪水による山崩れに巻き込まれて死んだようだった。
蟒の頭は三尺(約90cm)、尾は二尺(約60cm)、胴の長さは三間(約5.4m)、胴回りは二尺以上あった。
頭は馬のようで、耳も髪も髭もなかったという。

『拾椎雑話 巻二十四』「蟒死する事」より


伝承地:綾部市東山町


摩気の大神

摩氣の大神 (まけのおおかみ)


日露戦争中のこと、満州で日本軍が苦戦に陥り、その上食べ物がなくて困っていると、ある兵士の前に老人が現れた。
老人は「私は丹波北向きの明神、摩氣の大神である。ひもじい思いをしている皆を見て粥を用意した。これを食べて進めば必ず勝つ」と言った。
兵士が喜んで粥に飛びつくと、不思議なことにどれだけ食べてもなくならなかったという。
その後、摩氣神社は「北向きの摩氣さん」と呼ばれ、遠方から参詣する者もあったという。

『園部町の口碑、伝承 おじいさんたちの話』「摩気神社」より


摩氣さんの天狗杉摩氣さんの茶碗と、摩氣神社は伝承の多い場所ですね。


伝承地:南丹市園部町竹井・摩氣神社



*2022/6/28 「摩」表記を「摩」表記に変更。 

大蛇の祟り

大蛇の祟り (だいじゃのたたり)


ある時、西田の老人が野良仕事から帰って来ると、家の前にある桜の木に大蛇が巻き付いていた。
驚いた老人は大蛇を弓矢で射殺し、死体を河原まで運んで燃やした。
すると死体が燃え上がるのと同時に、老人の家も火に包まれて炎上した。
老人は大蛇の祟りだと恐れ、和尚に頼んで寺の裏庭に大蛇の霊を祀ってもらった。
その後、大蛇が巻き付いていた桜は氏神社の境内に植え替えられたが、やがて枯死してしまった。
現在は根株だけが残されているという。

『ふるさと口丹波風土記』「大蛇のたたり」より


伝承地:南丹市八木町西田


蟹の恩返し

蟹の恩返し (かにのおんがえし)


昔、上夜久野村に老人と若い娘が住んでいた。
娘は蟹を愛しており、いつも裏の谷間にいる蟹に餌をやっていた。
ある日、老人が犬を連れて田の畔で休んでいると、蛇が犬の足に咬みついた。
老人は思わず「娘をやるから犬を咬まないでくれ」と口にしてしまった。
蛇はどこかへ去っていったが、その夜、武士に化けて娘をもらいにやって来た。
老人は「まだ支度が出来ていない」と断り、翌晩も同じ理由で帰したが、三日目の夜になると武士は怒り狂って蛇体を現し、家を取り巻いて揺らし始めた。
すると一匹の蟹が現れ「日頃の恩返しにお助けしましょう」と言って、大勢の仲間と共に蛇を攻撃して挟み殺した。
それから娘は更に蟹を愛するようになったという。
娘の家のそばにある溝には未だに多くの蟹が棲んでおり、家の裏には蛇を埋めた小山も残されているという。

『口丹波口碑集』「蟹の話」より


「助けた蟹がピンチの時に駆け付けて蛇を倒してくれる」という「蟹報恩」の話は『日本霊異記』や『今昔物語集』の他、京都府木津川市にある蟹満寺の縁起にも見られます。


伝承地:福知山市夜久野町直見


岸ノ下叉左ヱ門

岸ノ下叉左ヱ門 (きしのしたまたざえもん)


昔、小枕村で春日神社の別当寺を建て直したが、その時に出た大量の古い材木の処分に困っていた。
すると泉村から“岸ノ下叉左ヱ門”という者が訪れ、火事で焼けてしまった村の寺を再建するため、小枕村の古材木を売ってほしいと申し出た。
小枕村も処分に困っていたので話はすぐにまとまり、叉左ヱ門はその場で代金の銀二百匁を支払って帰って行った。
ところがそれから一ヶ月が過ぎても、泉村から材木を引き取りに来る気配はなかった。
そこで泉村へ使いを送って確認したところ、村人たちは材木など買っていないと言った。
だが既に代価を払っているということで、不思議に思いつつも、泉村の村人たちは小枕村から材木を運び出し、寺の建材とした。
後に泉村の古老は「昔から泉の宮山には尾の先が白い狐が棲んでいる。人に悪戯をする狐ではないので放っているが、多分これの仕業に違いない」と語ったという。

『多紀郷土史考・下巻』「旧雲部村(現城東村の内)」より


この他、泉村の北山の谷に棲む狐が、難産に苦しむ嫁狐を助けてくれた医師に金一封(ただし跡形もなく消える)と、重箱一杯のぼた餅(村人から盗んだもの)をお礼にプレゼントしたという話も伝えられています。


伝承地:丹波篠山市泉・小枕


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