河守源助 (こうもりげんすけ)
天保の頃、三日市には大名所有の竹藪が由良川に沿って茂っており、この藪が日光を遮って田の米の生長を妨げていた。
だが年貢の取り立ては厳しく、困った村人たちは数名の代表を立てて田辺藩に上訴することにした。
その中に河守源助という男も含まれていた。
その中に河守源助という男も含まれていた。
そして源助が代官所で窮状を訴え、減税を願い出たところ、役人は刀に手をかけ「源助の言葉は本当か」とすごい剣幕で他の村人たちに真偽を問いただした。
村人たちは役人の迫力に怯え、源助の訴えに同意せず沈黙してしまった。
すると役人は「源助一人の主張だ」と決めつけ、彼だけに死刑を言い渡した。
源助は裏切った村人たちを恨めしそうに睨みながらも、「私が言い出したことです」と開き直った。
そして源助は首をはねられて処刑された。
彼の首は杭に刺されて数日間川辺に晒されていたが、由良川が増水した際に流されてしまった。
それ以来、村人たちがその近くを通ると、川面に源助の恨めしそうな顔が浮かぶようになった。
またその年は凶作で農作物がほぼ取れず、村人たちは源助の祟りだと考え、愛宕山の麓に碑を建てて彼の霊を慰めることにした。
その後、藩から年貢の減税が認められたため、村人たちは源助のおかげだと感謝したという。
『舞鶴の民話 第一集』「河守源助さん(三日市)」より
村人の源助への手の平返しがなかなかにひどい。
ちなみに大名所有の竹藪は耕地整理で伐採されて現在は残っていません。良かったですね。
伝承地:舞鶴市三日市