丹波・丹後の妖怪あつめ

京都府北部(丹波・丹後地域)の怪異妖怪伝承を紹介するブログです。

2022年09月

ミミンジヤの大蛇

ミミンジヤの大蛇 (みみんじやのだいじゃ)


永留のミミンジヤに幅2m、広さ2m50cm程の湾曲した横穴があり、そこに耳の生えた大蛇が棲んでいた。
大蛇は付近の家畜を荒らしたり、延命寺の裏にある池の妖精になって人を溺れさせたりしていた。
そのため、村人たちによって討ち取られたという。

『続 熊野郡伝説史』「ミミンジヤの横穴(下佐濃村)」より


「ミミンジヤ」とは=「耳ん(の)蛇」ということでしょうか?


伝承地:京丹後市久美浜町永留


ひだる神

ひだる神 (ひだるがみ)


上佐々木村(福知山市)と高橋村(兵庫県豊岡市)の間の登尾峠を小野原の方へ下った所に、“ひだる神”が憑く場所がある。
昔、ある商人がそこを通った時、食事をしたばかりにも関わらず、突然空腹を感じて歩けなくなった。
商人はやむを得ず荷物をその場に置き、フラフラになりながら麓まで行ったという。
また薬王寺(兵庫県豊岡市)の人も、その場所でひだる神に取り憑かれて動けなくなり、迎えに来てもらったことがあったという。

『民俗学』2巻3号「但馬高橋村採訪録(一)」より


“ひだる神”は山道などを歩く人に憑き、空腹感や疲労感を覚えさせて動けなくするもので、これに憑かれた時は何か食べ物を食べれば回復すると言われています。


登尾峠旧道
登尾峠旧道入口(福知山側)。
現在はトンネルが出来たため閉鎖されています。
ちなみに左に見切れている道路がトンネルへ続く新道です。


伝承地:福知山市上佐々木-兵庫県豊岡市但東町大河内・登尾峠


田畑のおばば

田畑のおばば (たはたのおばば)


昔、ある薬屋が粟田から由良へ至る山道を歩いていたが、途中で日が暮れてしまった。
ふと背後から物音が聞こえたので、振り返って見てみると、一頭の狼が後をつけてきていた。
狼は徐々に数を増やしていき、危険を感じた薬屋は近くの木に登って群れを避けようとした。
すると狼たちは、横になった一頭の上に別の一頭が乗り、また一頭がその上に乗る、という形で重なって梯子を作り、薬屋のいる高さまで上ってきた。
だがあと一頭分の高さが足りず、狼たちは「山道の麓に田畑という茶店がある。そこのおばばを呼ぼう」と相談した。
そして“田畑のおばば”という山猫が現れ、狼たちの梯子を登って薬屋に襲いかかってきた。
そこで薬屋は持っていた脇差で山猫を斬りつけると、「ギャッ」という悲鳴を上げて転げ落ちた。
そうする内に夜が明け始め、山猫と狼の群れは逃げ去っていった。
朝になり、薬屋が田畑の茶店へ行くと、店の老婆は頭に包帯を巻いて寝こんでいた。
それを見た薬屋は「昨夜の山猫に違いない」と思い、老婆を斬り殺した。
すると老婆の死体の頭から徐々に耳が生え、二十四時間の内に毛だらけの山猫の姿に変わった。
山猫は本物の田畑のおばばを喰い殺し、成りすましていたのだった。

『宮津の民話 第二集』「ばけ猫のはなし」より


狼の群れが梯子状に重なって樹上に逃げた人を襲うが、あと一頭分届かず仲間を呼ぶ……という流れの話は、いわゆる「千疋狼」と呼ばれるタイプのもので、日本各地に見られる伝承です。高知県の「鍛冶が嬶」などが有名ですね。
丹波・丹後地方には他にも千疋狼の話が伝えられています。


伝承地:宮津市由良


モリサン

モリサン


仁江では株(同姓の家)毎に「モリサン(権現さん)」という山の神を祀っている。
モリサンは大木で、そこへ知らずに牛を繋いだだけでも卒倒する程の罰が当たるという。
また、岡株の本家の裏には「モリサンのお水」という湧水があり、決して涸れることがないという。
昔、戦に敗れて落ち延びた武者がこの湧水を飲んで死んだと伝えられており、今でも重病人が出ると、岡株の本家から「モリサンのお水」を貰い病人に飲ませるという。
そして湧水の奥に小さな祠があるが、そこに大蛇が棲んでおり、木の葉一枚拾っても熱が出ると言われている。
祠は「地主さん(地主大権現)」とも呼ばれ、前述の武者や先祖を祀っている。

『園部町の口碑、伝承 おじいさんたちの話』「モリサン」より


伝承地:南丹市園部町仁江


火尻岩

火尻岩 (ひじりいわ)


三俣には突き出た巨岩が重なり合う「火尻岩」という所があった。
岩の下には二畳程の洞窟があり、この穴の中で一夜を過ごす旅人も多かったという。
ある時、旅人がこの洞窟に泊まり、翌朝岩の上で尻をむき出しにして用便をしていた。
するとどこからともなく矢が飛んできて旅人の尻に命中し、流れ出た血が岩を真っ赤に染めた。
それ以来、この地は「火尻岩」と呼ばれるようになった。

『語りつぐ 福知山老人の知恵』「三俣の地名に因んだ伝説」より


伝承地:福知山市三俣


負けぎらい稲荷

負けぎらい稲荷 (まけぎらいいなり)


文政三年(1820)、江戸で相撲の上覧試合が行われたが、篠山藩の力士たちは成績が悪く、藩主の青山忠裕は不機嫌だった。
その時、篠山から八人の力士(『丹波の伝承』では七人)が行司と頭取と共に現れ、試合への参加を願い出た。
あまり期待されないまま出場したが、八人の力士は桁違いに強く、全員が勝利を飾った。
試合後、忠裕は彼らを労う宴を催そうとしたところ、力士たちは既に国へ帰ったとの報告を受けた。
家臣が早馬で後を追うも見つからず、篠山まで戻って家老に尋ねたところ、力士など送っておらず、またそのような四股名の力士は藩に存在しないと言われた。
調べてみると、力士たちの四股名はどれも藩内の稲荷の名前と同じであることが判明した。
稲荷たちが力士に化け、相撲で負け続けている藩主の無念を晴らしてくれたのだろうと、それぞれの稲荷神社に幟を豊納して感謝したという。
以来、負けぎらい稲荷は勝利祈願の稲荷として信仰され、各地から多くの人が参詣している。

『篠山町百年史』「負けぎらい稲荷」
『親と子のふるさと 西紀の民話集』「黒田の稲荷角力さん」
『丹波の伝承』「力士に化けた須知稲荷」より


篠山の稲荷が化けた力士一覧(格付けは『多紀郷土史考 上巻』より)
○大関…王地山平左衛門(平左衛門稲荷)
○関脇…波賀野山源之丞(波賀野稲荷)
○小結…飛ノ山三四郎(三四郎稲荷)
○前頭…黒田山兵衛(黒田稲荷)曽地山右近(曽地山左近稲荷)小田中山清五郎(清五郎稲荷)頼尊又四郎(頼尊又四郎稲荷)周知山道観(京丹波町須知・導観須知稲荷)
○行司…金山源吾(追手神社境内の稲荷?)
○頭取…高城市松(春日神社境内の高城市松稲荷)

ちなみに『郷土の民話(丹有編)』にも負けぎらい稲荷の話が載っていますが、こちらは先の十人に加え、法福寺南にある谷山稲荷が化けた力士が登場します。
ただし谷山稲荷は江戸へ向かう途中で足を痛め、篠山へ引き返してしまうので試合には参加していません。
この他、亀岡市や舞鶴市にも力士に化けた稲荷が相撲を取る話が伝えられています。


まけきらい稲荷
王子山まけきらい稲荷神社・平左衛門稲荷。
神社は「まけきらい稲荷」ですが、伝承の方は「負けぎらい稲荷」です。ややこしい。


たくましい稲荷像
負けぎらい稲荷の像。たくましい。


伝承地:丹波篠山市河原町・王地山まけきらい稲荷神社 他


  • ライブドアブログ