丹波・丹後の妖怪あつめ

京都府北部(丹波・丹後地域)の怪異妖怪伝承を紹介するブログです。

2022年12月

嫁が降る

嫁が降る (よめがふる)


慶応三年(1867)十二月三十日の夜更け、岩滝藪後町に住む前田佐蔵の家の玄関戸を叩く者があった。
佐蔵が外を覗くと、髪を振り乱し、紅木綿の腰巻だけの女が、剣先型の神札を手に裸足で立っていた。
その夜は吹雪で、外は雪が積もっているにもかかわらず、庭に女の足跡はなかった。
佐蔵は驚いたが、とりあえず女を家に入れて布団に寝かせ、近所の人々に身元を確かめてもらった。
女は西光寺下の安田磯右衛門の娘「きみ」であることがわかったが、磯右衛門は「きみは家の納戸で寝ているはず」と訝しんだ。
だが安田家の納戸を確認すると、寝床はもぬけの殻だったという。
家の裏口には下駄が脱ぎ捨ててあり、きみが飲み干した後の空の酒徳利が転がっていた。
当のきみは「寒い」と訴えて布団を重ねてもらい、酔い覚ましに水を飲んで朝まで眠ったという。
これは神様がきみを連れ出し、川裾の森で全身を洗った後、天狗が空を飛んで佐蔵の家の玄関まで運んできたのだろうと評判になった。
神様の思し召しに背くわけにはいかないということで、そのまま佐蔵ときみは夫婦になり、末永く幸せに暮らしたという。

『岩滝町誌』「嫁の降った話」より


ちなみにこの事件が起こる前、きみは蒲田久左衛門という男との縁談が決まっていました。
ですが前田佐蔵が抗議したことで縁談は解消になってしまったそうです。久左衛門かわいそう。


伝承地:与謝野町岩滝


成相寺の大蛇

成相寺の大蛇 (なりあいじのだいじゃ)


成相寺の境内には底なしと言われる池があり、そこに大蛇が棲んでいたという。
毎年、寺の小僧は池に盥を浮かべ、それに乗って蓮の花を摘んでいたが、いつも大蛇に呑まれていた。
そこで和尚は小僧に似せた藁人形を作り、中に火薬を詰めて池に浮かべた。
大蛇が罠とは知らずに藁人形を呑み込むと、体内で火薬が弾け、腹が破れた。
苦しみながら山を下りた大蛇は麓の国分寺まで辿り着き、そこでふと頭を上げたところ、釣り鐘に頭が引っかかって抜けなくなった。
大蛇は釣り鐘を被ったまま阿蘇海(天橋立の内海)に入り、天橋立の南、文殊の辺りまで泳いだ。
だが腹に開いた穴から海水が入り、遂に力尽きて海に沈んだという。

『みやづの昔話 -北部編-』「成相山の大蛇」
『宮津市史 史料編 第五巻』「底なし池」より


人食い大蛇に火薬や毒入りの人形を呑ませて退治する話は各地に見られ、丹波地方にも幾つか伝えられています。
広島県府中市の青目寺には、火薬入り藁人形を呑んで死んだ大蛇の頭蓋骨が今も保管されているそうです。(『広島の伝説』)


成相寺の底なし池
成相寺境内の「底なし池」。
「弁天池」「蓮池」「澄まずの池」とも呼ばれているそうです。
今は大蛇の代わりに亀が棲んでいるようで、撮影時も優雅に水中を泳いでいました。


伝承地:宮津市成相寺・成相寺(字が「成相寺」なのでちょっとややこしい)


甚右衛門一家の祟り

甚右衛門一家の祟り (じんえもんいっかのたたり)


正徳(1711~1716年)の頃、友重に三代目甚右衛門という男が住んでいた。
甚右衛門は妻と二人の娘がありながら、放火や恐喝、詐欺などの悪事を働いていた。
村人たちは何度も甚右衛門を咎めたが一向に改心しないので、遂に妻娘もろとも殺害することにした。
そして甚右衛門一家四人は縛り上げられ、鯨谷の山麓に掘られた穴に突き落とされた。
穴の上から棘のある木が被せられると、娘の一人が「赤いかんざしが折れるわ」と泣き叫んだ。
甚右衛門は「よくもこんな目に遭わせやがって。見ていろ、村中を火の海にしてやるからな」と怒鳴ったが、村人たちは構わず四人を生き埋めにした。
それから数年後、村内のあちこちの家で祟りが起こるようになった。
村人たちは甚右衛門一家の祟りだと考え、善光寺如来を祀った。
そして安永元年(1772)に石碑を建て、一家を神として祀ることを誓うと、祟りはようやく治まったという。
友重の聴部神社の境内には小さな祠があり、それが甚右衛門一家を祀った四社荒神(四人塚)だと伝えられている。

『熊野郡伝説史』「四人塚のお話(海部村)」
『季刊 民話』第1号 1975年〈冬〉「奥丹後物語 草稿」より


『熊野郡伝説史』(1934年刊)ではシンプルに「甚右衛門一家生き埋めの数年後に祟りが起こった」とだけ書かれていますが、『季刊 民話』(1975年刊)では「一家を生き埋めにして間もなく、村に赤い火玉が飛ぶようになり、疫病が蔓延した」と、火の玉と疫病の話が追加されています。
赤いかんざしを挿していた娘が死後に赤い火玉(人魂)になったのでしょうか。
あと何故か『季刊 民話』では右衛門の名前が右衛門に変わっています。誤記?


聴部神社
京丹後市久美浜町友重の聴部(きくべ)神社。

祭神は不明ですが『京都府熊野郡誌』によると、菊理媛命を祀る神社と考えられています(扁額には「聴部大神」とある)。

聴部神社末社
本殿の左側にある三つの末社。社名ナシ。

『京都府熊野郡誌』には、稲荷神社・天満宮・城末神社(戦国武将を祀る)とあります。
この三社以外に社らしきものは見当たりませんでした。
ということは四社荒神は現存していない?

それともこの三社のいずれかが四社荒神なのでしょうか。


伝承地:京丹後市久美浜町友重


水が湧き出る石

水が湧き出る石 (みずがわきでるいし)


ある夏の日、「さとうじょうせん」という医者が子供に苛められている白蛇を助けた。
その年は日照りが続いており、村は田圃が干上がる程の旱魃に見舞われていた。
そんな時、さとうは自宅の台所で、ちょろちょろと水が湧き出る小さな石を見つけた。
試しに水瓶に入れてみると、瞬く間に瓶は石から出る水で一杯になった。
さとうは喜び、その水を蒸留水代わりにして薬を作り、村人たちに処方した。
それを見た村人たちは「さとう先生の家には不思議な石があるらしい」と噂し、やがて田圃に水を張るために石を盗む者も現れた。
幸いにも石はさとうの元へ返されたが、その後また別の村人に盗まれてしまった。
その村人は水の出る仕組みを調べようと石を割った。
すると、石の中で白蛇が潰れていたという。
それ以来、石から水が湧き出すことはなくなったという。

『久美浜町の昔話 ふるさとのむかしばなし』「白蛇の話」より


南丹市にも石から水が湧き出る話があります。ただしこちらは日に数滴ずつ。


伝承地:京丹後市久美浜町坂井


から瀧の天狗

から瀧の天狗 (からたきのてんぐ)


光砥谷の奥、天狗峠の下に「から瀧」がある。
ある時、津船嘉平という職人がから瀧で炭焼きをしていると、小さい男の子が仕事を手伝いに来た。
男の子は天狗が化けたもので、嘉平が正直者かどうか調べに来ていた。
天狗は二日三日と来て、五日目に嘉平を滋賀県の三ノ宮祭に連れて行ってご馳走し、再びから瀧の炭竃まで送り届けた。
嘉平は天狗に背負われて往復したが、その時は目を開けてはならないと言われた。
天狗に背負われて行くと、飛び立っていく羽の音が聞こえたという。

『京都廣河原民俗誌』「から瀧の天狗(能見町光砥谷)」より


その他、から瀧には瀧をねぐらにする大蛇や、灯りが点く杉の話が伝えられています。
から瀧の燈明杉

伝承地:京都市左京区広河原下之町


芦原城の火の魂

芦原城の火の魂 (あしわらじょうのひのたま)


天正年間、芦原城の城主・小幡六郎左衛門は佐野備前守と戦って討ち死にした。
落城の際、金谷村の小幡某は城から宝剣の鬼切丸や鎧などを取って逃げた。
するとその後、小幡一族の者が城の近くを通る度、必ず火の魂が飛び出すようになった。
小幡一族は恐れ戦き、幕末までそこを通らなかったという。

『京都府熊野郡誌 全』「芦原城趾」
『続 熊野郡伝説史』「鬼切丸の宝剣(海部村)」より


伝承地:京丹後市久美浜町芦原・芦原城趾付近


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