丹波・丹後の妖怪あつめ

京都府北部(丹波・丹後地域)の怪異妖怪伝承を紹介するブログです。

2023年01月

ものを言った大魚

ものを言った大魚 (ものをいったたいぎょ)


当野の山の上に池が五、六面あり、それぞれに主と呼ばれる生き物が棲んでいた。
ある時、当野村の「榧の木」という家の若者が、山の上の池に行って主の大魚を捕まえた。
若者は喜び、「帰って味噌汁にして食べよう」と呟きながら家路を急いだ。
その途中、ある池の横を通り過ぎようとした時、「金剛寺さん、どこへ何しに行かれるのですか」と、池の中から声がした。
すると大魚が「当野の榧の木へ味噌汁を吸いに行く」と答えた。
若者は大変驚き、帰宅してからも数日間は起き上がれなかったという。
この時、池から声をかけたのはそこに棲む主で、若者が捕まえた大魚は三田の奥山(兵庫県三田市上本庄)にある「金剛寺池」の主だったと言われている。

『たんなんの民話と伝説』「ものを言った大魚」


これは『日本昔話大成』でいうところの「物いう魚」タイプに分類される話で、他にも京都市や京丹後市などに伝えられています。
『郷土の民話(丹有編)』にも同じ話がありますが、大魚が金剛寺池の主だという記述は見られず、大魚を獲った帰りに声をかけるのも池の主ではなく、若者の友人となっています。
(友人が大魚を持った若者に「どこへ行く」と尋ねる→大魚が「当野の榧の木へ味噌汁を吸いに行く」と答える→若者ビックリ)
ちなみに『多紀郷土史考・下巻』によると、この大魚の正体は語り部によってまちまちで、鯉、鱒、または「ぬすんこ」などと言われているようです(「ぬすんこ」が何なのかは不明。魚の方言名?)。


伝承地:丹波篠山市当野(三田市上本庄)


雄島の縞蛇

雄島の縞蛇 (おしまのしまへび)


ある時、野原の漁師が雄島(冠島)で大きな切り株に腰かけて休憩していた。
だが株だと思っていたものは7mもある縞蛇だった。
漁師は見世物にするため、蛇を捕まえて舟に乗せたが、出航しようとするとツルツルと逃げていく。
何度捕まえて船に乗せても蛇は逃げ出してしまう。そうして一日中、蛇に弄ばれたという。
今も蛇は雄島に棲み、島を守っていると言われている。

『子ども風土記』「おしまさんのしまへび」より


その他、雄島には山から石を落とす天狗や恥ずかしがり屋の女神の話があります。


伝承地:舞鶴市野原・冠島


長田野の送り狼

長田野の送り狼 (おさだののおくりおおかみ)


昔、長田野に送り狼が棲んでいて、人を化かしたり喰い殺したりしていた。
ある秋の日、鋳物師町の男が隣町から自宅へ帰っていたが、途中で日が暮れてしまった。
そして男が松縄手の松林に入った途端、頭がツーンとして寒気が走った。
ふと気づくと、後ろから人ではない何かの足音が聞こえてくる。
男は「送り狼が出た」と思い、荷物の中から餅を一つ取り出して背後へ投げると、足音は止まった。
だがしばらくするとまた足音がついてくるので、再び餅を投げて足止めした。
そうして餅を投げつつ、男は人家のある所まで戻って来た。
男は残った餅を全てばらまくと、近くの家へ逃げ込んで玄関の戸を閉めた。
すると送り狼は外から玄関戸に何度も体当たりをし、カリカリと爪で掻きむしった。
男と家人は送り狼に侵入されないよう、必死に戸を押さえ続けていると、やがて静かになり、遠くから送り狼の遠吠えが聞こえた。
男は送り狼につけられた恐怖から、その夜は逃げ込んだ家に泊めてもらい、夜明けを待って帰宅したという。

『福知山の民話と昔ばなし集』「送り狼」より


小峠の送り狼(京丹波町)
天王はんの送り狼(福知山市)
厚垣の送り狼(宮津市)


伝承地:福知山市長田野町


豊後の森

豊後の森 (ぶんごのもり)


美山町島地区朴の木の“豊後の森”に川勝豊後守という人物の墓がある。
付近には多くの矢竹が生えているが、この竹を伐採すればたちまち卒倒すると言われ、伐る者はいない。
洗米を供え、伐ることを告げた後に伐採すれば難を逃れられるという。

『北桑田郡誌』「豊後の森」より


『口丹波口碑集』にも豊後の森についての記述がありますが、こちらは「竹を伐ったら死ぬ」とされていて、罰がより厳しくなっています。
ちなみに川勝氏は室町期に島地域を支配していた土豪で、現在の南丹市役所美山支所の正面にある山に居城を築いていました。
ただ川勝豊後守という人物については郷土史にも情報がなく、今のところ何者なのかよくわかっていません。


伝承地:南丹市美山町島


生臭山

生臭山 (なまぐさやま)


滝馬の金引山には「金引の滝」という滝があり、その北側に高さ約116mの山が聳えている。
かつて金引の滝は海へ流れ落ちていたが、ある時、一夜の内に海が隆起して山になった。
その時に地上へ上げられた海藻や貝が腐って生臭くなったので、この山を“生臭山”と呼ぶようになったという。

『わがふる里 滝馬』「生臭山」より


伝承地:宮津市滝馬


通夜稲荷

通夜稲荷 (つやいなり)


横町にある國丸大明神は通称“通夜稲荷”と呼ばれている。
寛延二年(1749)、松平信岑が篠山藩から丹波亀山藩へ移封の際に遷宮したもので、安産や盗難除けなどに霊験があるという。
また、時刻を報せる太鼓番が居眠りをした時、通夜稲荷がすぐに呼び起こしてくれたという。

『丹波の伝承』「通夜稲荷」より


通夜稲荷神社から50m程東の「王地山稲荷神社」には、稲荷が力士に化けて相撲を取ったという伝説があります。
ですが『京都 丹波・丹後の伝説』では王地山稲荷ではなく、通夜稲荷神社の稲荷が力士に化けて相撲を取ったという伝承になっています。どっちなんだ。
ちなみにこの力士伝説はお隣の丹波篠山市でもほとんど同じ内容で伝えられています。
丹波篠山市の王地山負けきらい稲荷(元祖?)→亀岡市の王地山稲荷→同市の通夜稲荷……という流れで波及していったのでしょうか。


通夜稲荷神社
横町の國丸大明神(通夜稲荷神社)。
元々は亀山城内に祀られていたそうです。
ご近所の王地山稲荷神社に比べるとやや寂しい雰囲気。


通夜稲荷の石碑
「國丸大明神(通夜守護神)」の文字が刻まれた石碑。
台座が傾いちゃってます。


王地山稲荷
こちらは通夜稲荷の近くにある王地山稲荷神社。
勝利祈願などに御利益があるそうで、境内には地元サッカーチーム・京都サンガFCののぼりが立てられていました。


伝承地:亀岡市横町・通夜稲荷神社


  • ライブドアブログ