丹波・丹後の妖怪あつめ

京都府北部(丹波・丹後地域)の怪異妖怪伝承を紹介するブログです。

2023年03月

市寺山の狐

市寺山の狐 (いちでらやまのきつね)


昔、篠尾の老人が頼母子講に参加するため、幸世村(現・兵庫県丹波市氷上町)の親戚の家に向けて夜道を歩いていた。
だが市寺山(室山)の途中から、前や後ろをついてくるものがある。老人は狐だと思い警戒しながら歩いた。
やっと頂上に着き、煙草を吸って一服していると、いつの間にか目の前に狐が座っていた。
狐は「どこへ行きなさる」と尋ねてきたので、老人は「幸世村の親戚の家に行く」と答えた。
続けて「何しに」と聞くので「頼母子講を頼まれたので一口でもと思って」と答えた。
すると狐は「頼母子講か、それなら一口どころか半口でも嫌じゃ」と言って逃げて行ったという。

『福知山の民話と昔ばなし集』「頼母子講と狐」より


「頼母子講(たのもしこう)」とは民間の互助的金融組織のことで、生活困窮者や農具の購入資金のために講員が掛け金を出し合い、入札や抽選で決めた当選者に所定の金額をプレゼントする、というものです。


伝承地:福知山市市寺


狐憑き

狐憑き (きつねつき)


ある老婆が大谷山に行ってから「すなだら(地名)へ帰りたいよう」としきりに訴えるようになった。
家人は狐が憑いたと考え、赤飯を炊いて老婆と共にやすんば(大谷山への道)へ行った。
そこで「ほーら、帰れ」と言って老婆の背中を突いて転ばせた。
そして老婆を家に連れ帰ると、既に正気に戻っていた。
老婆の服の袂には、狐の毛が沢山ついていたという。

『わが郷土 丸山小学校創立百周年記念誌』「きつねつき」


伝承地:舞鶴市小橋


重正と千代の亡霊

重正と千代の亡霊 (しげまさとちよのぼうれい)


明暦(1655~1658)の頃、土佐の浪人・日吉重正は流浪の末に丹波の多利村に滞在し、千代という娘と夫婦の約束を交わした。
だが高見吉興という男が千代に横恋慕し、嫉みから重正を暗殺した。
更に吉興は千代を手籠めにしようとしたが、彼女は重正を追って自殺した。
それから間もなく、夜な夜な吉興の枕元に、憤怒に満ちた重正と千代の亡霊が現れるようになった。
やがて吉興は半狂乱に陥り、狂い回って手の施しようもなくなった。
そこで兄の高見吉春は僧に請うて「妙法蓮華経」と刻んだ経塔を二人の墓前に建て、追善供養を行った。
すると次第に重正と千代の亡霊は姿を消し、吉興の狂乱も快癒した。
その後、吉春は経塔のそばに松を植え、いつしかそれは「日暮らしの松」または「下がり松」と呼ばれるようになった。
だがやがて松は枯れ、二代目の松も昭和三十五年(1960)頃に枯死してしまったという。

『多利郷土誌』「日暮らしの松」より


伝承地:丹波市春日町多利


仁王と大蛇

仁王と大蛇 (におうとだいじゃ)


昔、成相山の仁王の子供が底なし池に落ち、そこに棲む大蛇に呑まれた。
その後、大蛇は大きくなって池にいられなくなり、麓の内海(阿蘇海)に移住した。
それを見た仁王の爺さんは「婆さん、内海の水を飲み干して大蛇を退治しよう」と提案した。
だが仁王の婆さんは「水がなくなれば人間が困る」と言って止めた。
そのおかげで今でも内海は水を湛えているのだという。

『丹後の民話 第一集 いかがのはなし』「内海の水」より


成相山の成相寺には、赤ん坊がブレンドされた鐘や火薬人形を呑んで爆死した大蛇話が伝えられています。


伝承地:宮津市(阿蘇海)


古狐の祟り

古狐の祟り (ふるぎつねのたたり)


昔、宮前村の近くに、手を握ってもらえばどんな難病でも全快すると言われる程の名医がいた。
そしてこの医者は、誰もが足を止めるような立派な邸宅に住んでいた。
ある小雨の夜、医者の邸宅に男が訪ねてきて「私の妻が難産で生死の程もわかりません。ご恩は返しますので、妻の元へ御足労預かりたい」と悲しげな声で頼んだ。
だがよく見ると男はいつの間にか古狐の姿に変わっていたので、医者は驚いて震えるばかりだった。
古狐は「畜生でもきっとご恩は返します。向こうの山で苦しんでいます」と消え入るように呟いて立ち去った。
だが医者は恐怖のため、古狐の頼みを聞き入れなかった。
数日後、村人たちが「向こうの山奥で狐の親子が死んでいる。難産だったんだな」と語り合っていた。
その後間もなく、医者の立派な邸宅は人手に渡ったという。

『丹波の伝承』「古狐の祟り」より


本文には「邸宅は人手に渡った」としか書かれていませんが、医者は古狐の祟りを受けて没落してしまったのでしょうか。


伝承地:亀岡市宮前町宮川


狸憑き②

狸憑き② (たぬきつき)


昔、大宮町の三代右衛門という男の妻に狸が憑いた。
面白がった村人が三代右衛門の家を覗くと、妻は火鉢の前であぐらをかき、奇妙な顔つきでキョロキョロと珍しげに周囲を見回していた。
三代右衛門は妻を何人もの医者に診せたが治らず、近所の人の薦めで拝み屋に拝んでもらった。
すると妻は「私は妙ヶ谷の狸だ。小豆飯と油揚げが食べたくなったのでこの女に憑いた。それらを弁当に詰めてくれたら帰る」と言った。
それを聞いた三代右衛門は急いで小豆飯と油揚げを重箱に詰め「さぁ弁当が出来たぞ。妙ヶ谷まで送るからついてこい」と妻に声をかけた。
すると後ろからペタペタと足音がついてくるので、三代右衛門は振り返ることなく一生懸命歩き続けた。
「帰ったら小豆飯と油揚げを皆に分けてやってくれ」と言いながら、やっとのことで妙ヶ谷に着くと、急に背中の弁当が軽くなった。
仲間の狸が迎えに来たのだと思い「弁当を置いたぞ」と言って一目散に家へ戻ると、笑顔の妻が三代右衛門を迎えてくれたという。

『おおみやの民話』「狸のついた嫁さん」より


狸に憑かれた話、京丹後市バージョンです。
舞鶴市の話はこちら。


伝承地:京丹後市大宮町善王寺


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