丹波・丹後の妖怪あつめ

京都府北部(丹波・丹後地域)の怪異妖怪伝承を紹介するブログです。

2023年04月

怪我をしない小川

怪我をしない小川 (けがをしないおがわ)


昔、里波見の浜辺に五男神が漂着し、細見水溪(波見川?)という小川から藤が森に上陸した。
そのため、この小川には神霊が乗り移っており、小魚も棲まず、鮎も絶対に遡上しないという。
川の底は深く切り込んだ急勾配になっているが、誤って人が落ちても怪我をしないという。
耕運機や自転車もろとも川に落ちた時も、人は無事であった。
これは里波見に定住した五男神が、お礼として住人を守っているからだという。

『双書 四方山雀』第17号「橋北 そのⅣ」より


五男神→里波見地区に鎮座する高峰神社の祭神で、アマテラスとスサノヲの誓約から生まれた五柱の男神(アメノオシホミミ・アメノホヒ・アマツヒコネ・イクツヒコネ・クマノクスヒ)のこと。


伝承地:宮津市里波見


狐の前足

狐の前足 (きつねのまえあし)


ある秋の日、稲刈りを終えた田圃の中を、男が荷車を引いてグルグルと回っていた。
それを見た村人が辺りを見ると、少し離れた松の根元で狐が前足をグルグルと回していた。
狐が足を回すのを止めると荷車の男は止まり、再び狐が足を回すと男はグルグルと回り出す。
村人は「これは狐に騙されているな」と思い、大声で怒鳴りつけると、狐も荷車も同時に動かなくなったという。

『丹後の民話 第一集 いかがのはなし』「きつねの前足がぐるぐるまわると」より


伝承地:京丹後市峰山町のどこか


消えた坊主

消えた坊主 (きえたぼうず)


ある時、上乙見の寺の坊主は村人たちに「明日からある仕事をするのでしばらく寺へ来ないでほしい。こちらが良いと言うまで寺の中を見ないように」と伝え、寺に引きこもった。
だがそれから何日経っても坊主は一向に姿を現さなかった。
村人たちは堪えきれなくなり、ある日の夕方、密かに寺の戸の隙間から中を覗き見た。
すると中では二十人程の坊主が書き物をしていたので、村人たちは驚いて家へ帰った。
だが翌朝になると、あれ程沢山いた坊主は一人もおらず、寺は空き家になっていた。
そして部屋の中には約二百五十本もの大般若経が残されていたという。
この大般若経は上乙見の熊野神社に納められ、宝物として保存されている。

『和知町 石の声風の音』「上乙見の大般若経」より


伝承地:京丹波町上乙見



みこし田

みこし田 (みこしだ)


加悦奥の一宮神社の近くに“みこし田”という田圃がある。
一宮神社は籠神社(宮津市)の奥の院と称し、両社間で一週間の祭礼があった時、神輿をみこし田の中の石に置いて休ませた。
するとその後、この石を割った石屋の妻が腹痛を起こす、みこし田の草取りをした者の目に草が刺さる、などの不幸が続いた。
そのため「みこし田を耕作すると災難(祟り)に遭う」と言われ、今も手をつけないという。

『加悦町誌』「みこし田」より


舞鶴市岡田由里の氣比神社には御供米を作るための宮田がありますが、この田を個人所有すると必ず祟りがあると言われています。(『ふるさと岡田中』)


伝承地:与謝野町加悦奥・一宮神社付近


庵那寺の人喰い狸

庵那寺の人喰い狸 (あんなじのひとくいだぬき)


昔、西谷の山奥の庵那寺という寺に、庵主が一人で住んでいた。
ある時、世話役の茂兵衛という男が、庵那寺に食料を届けに来た。
庵主は荷物にあったよもぎのぼた餅を喜んで食べながら「最近、夜になると川向かいの塚辺りから、ブンブンと綿を打つ音やドスンドスンと大木を伐り倒す音が聞こえる」と話した。
茂兵衛は「それは古狸の仕業だ。庵主を化かして丸ごと喰おうと、近くまで来ているのだ」と脅かした。
数日後、茂兵衛は利助という若者と共に、食料を持って再び寺に向かった。
だが庵主は笑顔も見せず、薄暗い台所の奥に座ったままだった。
茂兵衛は不思議に思いながら囲炉裏端を見ると、前に持って来たよもぎのぼた餅の重箱が散乱していた。
それを見た茂兵衛は狸が庵主に化けていることに気づき、囲炉裏の火箸を投げつけた。
すると庵主は「キャン、キャン」と悲鳴を上げて逃げ出した。その着物の裾からは狸の太い尾が覗いていた。
続いて利助が天秤棒で殴りつけたが、狸は谷に逃げ込んで姿を隠してしまった。
茂兵衛たちは狸の餌食になった庵主の死を悼み、遺骸を川向かいの塚に葬った。
その後、廃寺となった庵那寺は「庵那屋敷」、庵主を埋めた塚は「塚谷」、狸が逃げた谷は「抜谷」と呼ばれるようになった。

『京北の昔がたり』「庵那屋敷」より


伝承地:京都市右京区京北柏原町西谷


帰ってきた毘沙門天

帰ってきた毘沙門天 (かえってきたびしゃもんてん)


多門院村の興禅寺には毘沙門天の立像が祀られている。
天和二年(1682)、慶竜という男がこの仏像の噂を聞きつけ、盗み出して郷里の伊勢へ持ち帰った。
仏像は慶竜の家の棚に納められたが、夜になると風もないのにガタガタと揺れ出した。
見ると仏像が揺れ、可愛い声で「たんごへかえりたい、たんごへかえりたい」と言い、棚から下りて慶竜の枕元に立った。
それが一週間も続いたので、慶竜は困り果て、仏像を興禅寺へ返したという。

『舞鶴の民話 第四集』「帰ってきた毘沙門天」より


舞鶴には、持ち出された恵比寿像が「丹後に帰りたい」と泣く話が伝えられています。

伝承地:舞鶴市多門院


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