丹波・丹後の妖怪あつめ

京都府北部(丹波・丹後地域)の怪異妖怪伝承を紹介するブログです。

2023年06月

狐の火

狐の火 (きつねのひ)


ある年の十一月中頃、谷内村の男が鰤を自転車に下げて漕いでいた。
その途中、道端に干してある稲架が炭火を熾したように燃えていたので、男は慌てて見に行った。
だが稲架の反対側は真っ暗で何もなく、稲架の火も消えていた。
男は狐の仕業だと考え、再び自転車を漕ぎ出すと、今度は向かいから銀色の輪が近づいてきた。
誰かが無灯火の自転車を漕いでいるのだと思ったが、その輪は男の近くまで来ると信号灯のような赤色に変わり、すぐに見えなくなった。
男はすぐに寺へ行き住職に話したが、信じてもらえなかった。
後に男は奥大野の人から「戦時中、朝早く神社に参ると、口大野の方から汽車が走ってきた。だが客車に電灯がついているのに誰も乗っていない。その汽車は谷内辺りまで行くと、すうっと消えてしまった」という話を聞いたという。

『おおみやの民話』「狐の火(三)」より


狐は男の鰤を奪おうとしていたのでしょうか……?
また大宮町には他にも「雨の日に傘の縁に蛍のような火が灯った」「夜道を歩いていると後ろにいくつもの松明が灯った」など“狐の火”と呼ばれる怪火の話が伝わっています。
偽汽車


伝承地:京丹後市大宮町谷内、奥大野


雨降り石

雨降り石 (あめふりいし)


粟野谷を流れる大井川と大谷川との合流地点に子育て地蔵のお堂がある。
その向かいの田圃の中に高さ1m、幅3m余り、上部が平らな石がある。
人々はこの石を“雨降り石”と呼び、石に上ると雨が降る、あるいは落ちて必ず怪我をすると言って恐れ崇めている。
また、この石の上に蛇がいる時は雨が降るとも言われている。
ある時、村の青年が石の上に蛇がいるのを見たところ、その日の昼頃から雨が降り出したという。

『和知町 石の声風の音』「雨降り石」より


伝承地:京丹波町坂原(雨降り石の位置は不明。小字「アワノ谷」付近にある?)


古藤の森の大蛇

古藤の森の大蛇 (ふるふじのもりのだいじゃ)


西方寺村の小嶋家ゆかりの神社付近に大きな池があり、その周囲は大木と古い藤に覆われていた。
そこは「古藤の森」と呼ばれ、いつからか大蛇が棲みつき、村人たちを脅かしていた。

文明五年(1473)十月、西方寺村に疫病が蔓延し、多くの村人が床に伏した。
疫病は古藤の森の大蛇の仕業だと考え、村人たちは大蛇を退治し、大木や古藤を伐り倒して焼き払い、池を埋めた。
だが疫病は一向に治まらず、かえって悪化した。
そこで小嶋家の当主は村の若者を集め、妖怪・病魔退治の行事を始めた。
これが正月十四日に行われる「狐狩り」の始まりと言われている。

『ふるさと岡田中』「古藤の森(西方寺)」より


西方寺の狐狩りは、一月十四日に村の男子が火縄を振りながら法螺貝・鐘・太鼓を打ち鳴らし「狐狩りは候、わいらがなんじゃい候」と大声で叫びながら村中を練り歩くという行事です。
また家々からは猟銃で空砲を撃ったり、焚き火の火を空に投げたり、狐に見立てた古い鍋掴みを外に放り出したりして行事を盛り上げたそうです。派手ですね。
ですが第二次大戦末頃から徐々に下火になり、現在は途絶えてしまっています。


伝承地:舞鶴市西方寺


圓光寺の多羅樹

圓光寺の多羅樹 (えんこうじのたらじゅ)


天正七年(1579)八月九日、黒井保月城は明智光秀に攻められ落城した。
その夜、圓光寺の鉄山禅師は境内に人の気配を感じ、庭を窺ったところ、姉妹と思われる二人の美しい姫が荒武者に暴行されていた。
助けようにも人手はなく、自身は病で動くことが出来ない。鉄山は心の中で読経しながらやがて意識を失った。
次に目覚めた時には既に荒武者の姿はなく、無念と苦悩に満ちた表情の姫たちの死体が横たわっていた。
鉄山は姫たちの亡骸を埋葬すると、そばに生えていた多羅樹(タラヨウ)の枝を卒塔婆にして懇ろに供養した。
すると翌年の春、まるで姫の魂が乗り移ったかのように多羅樹の枝は芽を吹き、葉を生い茂らせた。
その後、鉄山の枕元に二人の姫が現れ、多羅樹の横に淡島大明神を祀ってほしいと告げた。
そして鉄山は多羅樹の横にお堂を建て、淡島大明神を奉祀したという。
淡島大明神は性病や婦人病に霊験があるといわれ、病に悩む男女が多く参拝したという。
また、村のある男は叶わぬ片思いに悩んだ挙げ句、物干しから思い人の肌着を盗み、それを鈴の緒として百日間神社に参拝したところ、恋が成就したという話も伝わっている。

『由緒を尋ねて』「圓光寺の多羅樹」より


淡島神社とタラヨウ
圓光寺境内にある淡島神社とタラヨウの木(左)。
案内板によると、このタラヨウはこれまでに何度も枯れたり折れたりしましたが、不思議とその度に芽を吹いて甦ったそうです。


タラヨウの木
木の幹は傷んでいるものの枝ぶりは良く、葉は青々と茂っています。
今も姫の魂が宿っているんでしょうか。


伝承地:丹波市春日町多田・圓光寺


祟り山 / お森さん

祟り山 / お森さん (たたりやま / おもりさん)


西別院村柚原に“祟り山”と呼ばれる山がある。
この山の木を伐ると、伐った者と山の持ち主の一家全員が病気、または貧乏になると言って恐れられている。
この山には貴人を埋めた墓地があるという。

また、馬路村の東の森に汚い小さな社があり、俗に“お森さん”と呼ばれている。
この社の境内の木を折ればたちまち腹痛になると言い、ここも恐れられている。

『口丹波口碑集』「山の木」より


伝承地:亀岡市西別院町柚原、馬路町


頭の固い侍

頭の固い侍 (あたまのかたいさむらい)


丹後宮津藩に頭の固い侍がいた。
この侍はいつも八寸釘を頭で柱に打ち込んでいた。
天草の陣(島原の乱?)では頭に銃弾を受けたが、弾は通らなかったという。
この侍が越前(福井県)に使者として遣わされた時、藩主の松平忠直は「お前の頭は今でも固いのか、一太刀当てさせてくれ」と言った。
だが侍は「年を取ったので、もう刀を受けられる自信がありません」と言って断った。
その後、宮津に戻った侍は、主君の京極高広に、
「刀では私の頭は斬れませんが、一伯様(松平忠直)は頭が斬れないとなると、次は必ず腹を突いてくるだろうと思い、お断りした」と報告したという。

『拾椎雑話 巻十七』「人物」より


刃も銃弾も効かない石頭を持つ超人侍の話です。
頭全体がまんべんなく固かったのか、それとも額などの一部だけが固かったのか。
ちなみに松平忠直は乱行の多い暴君だった(という伝説がある)ので、そのことから侍は「頭がダメとわかるとためらいなく腹を刺してきそうなヤバイ人」だと判断し、適当な理由をつけて断ったのでしょう。
侍も日常的に釘を頭で柱に打ち込むようなヤバイ人ですけど……。
余談になりますが、松平忠直の在位(1607-1623)と京極高広の在位(1622-1654)は一年ちょっとしか被っていないので(忠直は1623年2月に豊後へ配流)、本文のエピソードは元和八年(1622)か九年(1623)初めの頃の話と考えられます。


伝承地:宮津市


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