丹波・丹後の妖怪あつめ

京都府北部(丹波・丹後地域)の怪異妖怪伝承を紹介するブログです。

2023年08月

ぐいんさん

ぐいんさん


昔、大内の和平という男が土師の江戸ヶ坂で昼飯を食べていると、黄衣をまとい羽根団扇を持った“ぐいんさん”が突然現れた。
ぐいんさんは「働き者の和平に褒美として名所を見物させてやる。この団扇に乗って目を瞑れ」と言った。
和平は言われた通りに団扇に乗ると、ぐいんさんと共に空高く飛んで行った。
そして和平とぐいんさんは、宮津の成相寺や天橋立、舞鶴の松尾寺などの名所を上空から見物した。
しばらく名所巡りをした後、ぐいんさんは「一度家に帰って皆を安心させてこい。そうしたらすぐに戻ってくるんだよ」と言い、和平を大内の近くの山に降ろした。
和平は走って家に戻ると、心配して集まった村人たちに「ぐいんさんが待っとるから」と言って再び出かけようとした。
そこで村人たちは和平を縛って動けなくすると、神棚に灯明を灯し一斉に千巻心経を唱えた。
すると和平は次第に落ち着きを取り戻し「わしは夢の世界に行っていた。もう山へは帰らん」と山行きを断念した。
だがその後も和平は空を飛んだ時のことが忘れられず、江戸ヶ坂でぐいんさんに出会った時の服装で一生を終えたという。

『福知山の民話と昔ばなし集』「お空を飛んだ和平さん」より


ぐいんさんとは天狗のことで、「ぐいん」は「狗印」と書くそうです。


伝承地:福知山市土師・江戸ヶ坂

福岩

福岩 (ふくいわ)


余部上の榎川の上流に“福岩”という上部が平らになった大岩がある。
元旦に羽織袴の礼装でこの岩に座り、真下から鶏の鳴き声が聞こえれば家内安全、幸運が舞い込んでくると言い伝えられている。
どれだけ座り続けても鳴き声が聞こえなければ駄目で、親を大切にし、全ての人に愛を施す人には聞こえるという。
そして福岩の陰には夫婦の鶏が棲んでいたという。
田畑へ出かける農家の人が福岩を通り過ぎる時、岩に棲む鶏の鳴き声を聞くと豊作になり、幸運が舞い込むとも言われている。

『舞鶴の民話 第二集』「福岩(中舞鶴)」
『郷土研究』7巻2号「丹後舞鶴できいた昔話」より


伝承地:舞鶴市余部上(福岩の位置は不明)


お七地蔵

お七地蔵 (おしちじぞう)


江戸の八百屋の娘・お七は吉祥寺の小姓・吉左と恋仲にあったが、親に反対されたことから自宅に火をつけ、放火の罪で火刑に処された。
その後、吉左はお七の霊を弔うために諸国を巡礼し、比治山峠にお七地蔵を建立したという。

ある時、比治山峠で旅人が行き倒れになった。
旅人が夢現の状態に陥った時、若い娘が現れ「元気を出しなさい。私はお七だ」と励ました。
この話を聞いた村人たちは、お七地蔵を懇ろに祀ったという。
また、お七地蔵は六十年に一度、願いを聞いてくれると伝えられている。
明治三十四年(1901)頃、三河内の人が腸満(ガスで腹部が張る病気)になった。
そこでお七地蔵に参り、自分の腹を撫でてから地蔵の腹を撫で一心に祈ると、腹の膨らみは小さくなり、やがて全快したという。
お七地蔵の評判は広まり、遠近から多くの参拝者が訪れたという。

『丹後の伝説 ふるさとのはなし』「お七わらべ堂」より


童子堂
峰山町の比治山峠にある比治山童子堂(わらべ堂)。
ここに延命地蔵、通称「お七地蔵」が祀られています。

またこの童子堂には、代官が謎の美女にお茶をもらう話があります。→わらべ堂の女
その正体はお堂の地蔵だとあるので、ひょっとすると代官の前に現れた美女はお七だったのかもしれませんね。


伝承地:京丹後市峰山町鱒留


水呑み竜

水呑み竜 (みずのみりゅう)


ある年の夏、養老村では毎夜田圃の水路の水が涸れるという異変が起こっていた。
そんな中、ある村人が夜に白山神社の方からザワザワと音を立て、茶碗のような目を光らせながら水路へ降りて行く大蛇を目撃した。
それからしばらく経った後、山伏姿の男が村を訪れ、水路の異変を解決しようと提案した。
翌朝、村人たちが田圃へ行くと、涸れているはずの水路から満々と水が流れ出ていた。
村人たちが白山神社に行ってみると、本殿に設えてある木彫りの竜の鼻の穴に火箸大の金の棒が通されていた。
それからは水路の水が涸れることもなくなり、村は豊作が続いたという。
だがそれ以来、山伏姿の男を見た者はいなかったという。

『宮津の民話 -ふるさとのむかしばなし- 第一集』「水呑み竜」より


村人が見た大蛇は、夜毎水路の水を飲みに抜け出していた木彫りの竜だったんですね。
それにしても山伏は何者だったんだ……。

作りかけの龍の彫刻がコトコト動く話はこちら。
吠える龍の彫刻(南丹市)


伝承地:宮津市大島


白狐長吉

白狐長吉 (びゃっこちょうきち)


昔、吉富村の久昌寺に、九州豊後出身の商山という和尚がいた。
ある日、九州から長吉という男が訪れ、和尚と面談した後、寺で人々に読み書きを教えるようになった。
だが商山は長吉の様子に疑いを抱き「畜生の正体を現せ」と言うと、彼はたちまち白狐に変化し、「私は九州豊後の白狐で、商山和尚の徳を慕って訪ねて来た」と説明した。
商山は可哀想に思い「字を書けるか」と尋ねると、白狐は筆を口にくわえ「千載一遇丹頂之鶴」と書き記した。
そして人々に別れを告げ、裏山からどこかへ去って行った。
この時白狐が書いた掛け軸は、今も久昌寺に保存されているという。(『丹波の伝承』)

この他、八木町の郷土誌『郷土よしとみ』にも同じ白狐と思われる話が掲載されています。

文化年間(1804~1818)、吉富村の龍興寺塔頭雲所軒の商山という僧が、白狐をお供に連れて久昌寺に来た。
やがてお供の白狐は年老いて山へ帰ることになり、長年世話になった礼に「千歳丹頂鶴 八百十三歳白狐朝吉書」と一書を書き残して去って行った。
その書は巻物にして久昌寺に保管されているという。(『郷土よしとみ』)

『丹波の伝承』「白狐の長吉」
『郷土よしとみ』「白狐朝吉」より


ちなみに白狐の名前は『丹波の伝承』では「吉」、『郷土よしとみ』では「吉」とそれぞれ違う漢字が充てられています。


伝承地:南丹市八木町八木嶋・久昌寺


元伊勢の大蛇

元伊勢の大蛇 (もといせのだいじゃ)


明暦四年(1658)の夏、河守村は大旱魃に見舞われた。
奉行の明石文左エ門ら五名が河守村に来て雨乞いを行ったが、それでも雨は降らなかった。
そこで文左エ門たちは河守村を含む十三の村の役人たちと相談の末、元伊勢内宮に参拝し「もし神様が私たちの願いを聞いて下さらなければ、明日は神社の木を残らず切ります」と訴えた。
するとにわかに空が曇り出し、地震のように大地が割れた。
そして大蛇が現れ、文左エ門たちに襲いかかろうとした。
文左エ門が「私たちが悪かった。我々の命を助けて下されば、毎年八月に十三の村の人々が練り込み行列をして神様をお祀りします」と懇願すると、大蛇は姿を消した。
それ以来、毎年八月になると地区毎に練り込みや大名行列を出し、元伊勢内宮・外宮に参る「八朔祭」を行うようになった。

『由良川子ども風土記』「八朔祭りのいわれ」
『大江ふるさと学』「元伊勢八朔まつり」より


大江町では現在も毎年九月の第一日曜日に「元伊勢八朔祭」を行っています。


伝承地:福知山市大江町河守


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