丹波・丹後の妖怪あつめ

京都府北部(丹波・丹後地域)の怪異妖怪伝承を紹介するブログです。

2023年09月

砂をまく古狸


砂をまく古狸 (すなをまくふるだぬき)


梅田村の上大久保と下大久保の境に金比羅宮が祀られており、そこに古狸が棲んでいる。
古狸は夜になると「小豆三升、米三升、併せて六升ガッシャガシャ(「かっしゃかさ」とも)」と言いながら砂をまき散らすという。
人々は恐れ、社の横に祠を建てて古狸を祀ったという。

『丹波の伝承』「梅田村の古狸」
『下大久保区誌』「金比羅宮」より



金比羅宮
上大久保の金比羅宮。

旧道沿いの藪の中にひっそりと鎮座しています。
残念ながら古狸を祀ったという祠は見当たらず。(灯籠の横にあるのは養蜂の箱)



金比羅淵
社のすぐ後ろは絶壁になっていて、その下は土師川が流れています。

この辺りの川は深く、金毘羅宮が祀られていることから「金比羅淵」と呼ばれているそうです。
金比羅淵にはアンコ(山椒魚)がいて、川が干上がるとアンコが鳴いて数日中に雨を降らすと伝えられています。(『ふる里梅田』)




伝承地:京丹波町上大久保


頼親

頼親 (よりちか)


元文(1736~1741)の頃、宮津藩青山家家臣の弓術家・川村半平の叔母に“頼親”という狐が憑いた。
頼親はかつて源頼政に鵺退治の弓法を伝えた狐であり、それを知った半平は平伏し、頼親を師匠として弓を学んだ。
だが師匠と仰ぐ以上、半平が狐を追い出して叔母を正気に戻すことは出来ない。
そこで半平は弟子の白井某を叔母の家に向かわせた。
すると頼親は半平に弓術を教えたことを後悔し、退散したという。

『宮津市史 通史編 下巻(元資料『牧家日記』)』「狐つきと女性」より


源頼政の師匠だとすると、頼親は六百年くらい生きていることになりますね。長生き。


伝承地:宮津市文珠


ひだる神

ひだる神 (ひだるがみ)


昔、遠阪峠に“ひだる神”という神がいた。
ひだる神は白い髭を伸ばしボロボロの着物を着て、長い杖を突いて峠や墓に出るという。
ゴミを捨てたり立ち小便をしたりすると現れ、ひだる神を見た人は途端に腹が減って力を失い、冷や汗が出て歩けなくなるという。

ある時、但馬国村岡(兵庫県美方郡)の牛飼い五人と庄助という世話人の男が、牛を連れて京へ向かっていた。
その途中で牛飼いたちは遠阪峠の頂上の茶店で休憩し、庄助は先に峠を下りて宿で五人を待つことにした。
だが夕方になっても宿に来ないので、庄助が峠の麓の村まで迎えに行くと、牛飼いたちは青い顔をして座り込んでいた。
牛飼いたちは「峠の茶店で昼飯を食べた後、麓に下りてきたところで五人並んで立小便をしていた。すると誰かが後ろをすうっと通った。その途端に腹が減って力が抜け、動けなくなってしまった」と説明した。
庄助は「所構わず小便したり牛の糞を片づけないで道を汚したから、ひだる神が怒ったのだ」と言って、六人で遠阪峠の方向に頭を下げ謝罪したという。

『丹波のむかしばなし 第十集』「遠阪峠のひだる神」


遠坂峠のひだる神は妖怪というよりも、峠を汚す輩に罰を与える神様的な存在と考えられていたようですね。

また福知山市にもひだる神が憑く峠があります。


遠阪峠
丹波市と朝来市を繋ぐ遠坂峠(丹波市側)。
急カーブが続くなかなかハードな峠ですが、近くの遠坂トンネルが有料だからか交通量は割と多めです。


伝承地:丹波市青垣町遠坂-朝来市山東町柴・遠坂峠


河太郎

河太郎 (かわたろう)


昔、徳光の川に“河太郎”という河童が棲んでいた。
ある時、河太郎は徳光村の娘に懸想し、嫁に来いと言い寄ったところ、怒った娘の父が出刃包丁を持って談判に来た。
そして河太郎は負けてしまい、詫び証文を書いたという。
それ以来、河太郎は毎朝、東小田の曲がり角の河原に鯰や鯉を置くようになったという。

『丹後町の民話 第二集 -ふるさとのむかしばなし-』「河太郎(徳光)」より


伝承地:京丹後市丹後町徳光


蛇釜の大蛇

蛇釜の大蛇 (じゃがまのだいじゃ)


昔、大堰川の蛇釜という所に大蛇が棲み、大暴れして村人たちを苦しめていた。
そしていつからか、船岡の月読神社には大蛇に人身御供を捧げる風習が生まれた。
だがある年、三平という勇敢な若者がこの大蛇に挑み、遂に退治した。
その後、蛇釜の主であり霊力の強い大蛇を購い、悪霊から神社を守るため、大きな綱を鳥居につけるようになったという。
三平は褒美に良い田圃をもらい、そこは「三平田」と呼ばれていたが、今は河原になっている。

『ふるさと口丹波風土記』「三平の蛇退治」
『ふるさと史 大堰の流れ』「蛇釜と三平田」より


三平田跡地
月読神社のすぐ東には大堰川が流れています。
現在は河原になっていますが、かつてこの辺りに「三平田」があったそうです。(蛇釜の位置は不明)


月読神社
園部町船岡の月読神社。
鳥居の綱はそこまで大きくないような……。季節もの?


兎と猿
ちなみに月読神社の社殿には兎と猿の彫刻が彫られていますが、これは二匹がこの神社の使いだからです。
元々月読神社の使いは兎だけで、猿は志和賀神社(日吉町志和賀)の使いでした。
ですが両神社の神はとても仲が良く、志和賀神社の猿が両社間の使いをしている内に、いつしか猿も兎と共に月読神社の使いとされたそうです。
そのため、船岡では兎と猿は決して飼わず、絵に描くことすら遠慮していたんだとか。(『丹波の伝承』)
年賀状が大変そう。


志和賀神社
こちらは日吉町の志和賀神社。
左に見える二本のどでかい杉は「相生杉」と呼ばれる御神木で、縁結びの御利益があるそうです。


伝承地:南丹市園部町船岡・月読神社


熊崎の天狗

熊崎の天狗 (くまざきのてんぐ)


昔、熊崎村の王子山に天狗が棲んでいた。
山の中腹には大きな岩があり、天狗は秋の月夜になるとその岩に座って笛を吹いていたという。
ある時、天狗は村の某を山に連れ去り、笛の吹き方などを教えて大変可愛がった。
時には都見物に連れて行き、多くの人の前で珍しい芸を披露したこともあったという。
その後、某は無事に村へ戻って来たが、気の良い天狗はいつの間にか姿を消し、笛の音も聞こえなくなった。
やがて天狗は人々から忘れ去られ、大岩も苔むしてしまったという。

『園部101年記念誌「翼」みんなの歩みと未来への夢』「熊崎の天狗」より


伝承地:南丹市園部町熊崎・王子山


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