玉泉寺の金像 (ぎょくせんじのこんぞう)
大同年間(806~810)、川辺村に小野胤世という勇猛な男がいた。
ある時、胤世は越方の桂ヶ谷に仙人がいるという噂を聞き、真偽を確かめるため山に登って現れるのを待つことにした。
ある時、胤世は越方の桂ヶ谷に仙人がいるという噂を聞き、真偽を確かめるため山に登って現れるのを待つことにした。
そして深夜に至り、どこからか法華経を読む声が聞こえて来たが、声の正体を見つけることは出来なかった。
すると突然、金の輪に似た光るものが現れたので、矢を射かけてから近づくと、そこには光り輝く三寸三分(約10cm)の金像があった。
だが金像は重くて動かすことが出来ず、胤世はその場所に一間四方(約3.3㎡)のお堂を建てて祀った。
後に国司の藤原定房は、同地に五間四方(約16.5㎡)のお堂を建立し、玉泉寺と称した。
その後、梅嶺という住職の時代に玉泉寺で火事が起こったが、金像は猛火の中から飛び上がり、榧の木に留まって難を逃れたという。
また明治十九年(1886)には盗賊が金像を盗もうとしたが、やはり重くて持ち出せなかったという話も伝えられている。
『丹波の伝承』「玉泉寺と金像の威徳」より
伝承地:南丹市園部町佐切・玉泉寺(現在寺は無住)

