丹波・丹後の妖怪あつめ

京都府北部(丹波・丹後地域)の怪異妖怪伝承を紹介するブログです。

2023年10月

玉泉寺の金像

玉泉寺の金像 (ぎょくせんじのこんぞう)


大同年間(806~810)、川辺村に小野胤世という勇猛な男がいた。
ある時、胤世は越方の桂ヶ谷に仙人がいるという噂を聞き、真偽を確かめるため山に登って現れるのを待つことにした。
そして深夜に至り、どこからか法華経を読む声が聞こえて来たが、声の正体を見つけることは出来なかった。
すると突然、金の輪に似た光るものが現れたので、矢を射かけてから近づくと、そこには光り輝く三寸三分(約10cm)の金像があった。
だが金像は重くて動かすことが出来ず、胤世はその場所に一間四方(約3.3㎡)のお堂を建てて祀った。
後に国司の藤原定房は、同地に五間四方(約16.5㎡)のお堂を建立し、玉泉寺と称した。
その後、梅嶺という住職の時代に玉泉寺で火事が起こったが、金像は猛火の中から飛び上がり、榧の木に留まって難を逃れたという。
また明治十九年(1886)には盗賊が金像を盗もうとしたが、やはり重くて持ち出せなかったという話も伝えられている。

『丹波の伝承』「玉泉寺と金像の威徳」より


伝承地:南丹市園部町佐切・玉泉寺(現在寺は無住)


姫の祟り

姫の祟り (ひめのたたり)


昔、木津の今井集落の裏山に城(熊谷砦)があった。
ある夜、有田集落の百姓は城山の麓の池に人影を見つけ、「こんな夜更けに人が出回るはずはない。敵の回し者か」と思い矢を射かけた。
だが近づいて確認すると、矢を受けて倒れていたのは城の姫だった。
その後、百姓の家に不幸が続いたので、その罪を恐れ、屋敷の中に祠を建てて姫の霊を祀った。
やがて肋骨の痛みを治してくれる神として信仰されるようになり、祠には全快した人の手作りの小弓が沢山奉納されたという。

『ふるさとのむかしむかし』「若宮の荒神さん由来」より


姫様は夜の池で何をしてたんでしょうね。


伝承地:京丹後市網野町木津

的場稲荷の怪物

的場稲荷の怪物 (まとばいなりのかいぶつ)


天文(1532~1555)の頃、黒井の東外れにある的場稲荷神社の森に、夜な夜な怪物が出ると噂されていた。
ある夏の夜、七歳の赤井直正(幼名・才丸)は、その怪物を倒すため一人で神社に向かった。
すると四ツ刻(夜十時)を過ぎた頃、凄まじい家鳴りと共に、目を爛々と輝かせた異様の怪物が闇の中から現れた。
直正は襲いかかる怪物を刀で斬りつけて退治し、翌朝になって確認すると、年を経た貂の死体があったという。

その後直正は勇猛な武将となり、丹波の名号としてその名を天下に轟かせた。
天正三年(1575)、直正は丹波に攻め込んできた明智光秀軍を黒井城で迎え撃った。
その時、和睦勧説に訪れた使者の堀尾茂助(脇坂安治とも)は、直正の武才に感じ入り、降伏し臣下に加わるよう説得した。
だが直正はその誘いを丁重に断り、的場稲荷で退治した貂の皮を贈ったという。

『由緒を尋ねて』「赤井直正の墓」より


赤井(荻野)直正は戦国時代の丹波国の武将で、武勇に優れていたことから「丹波の赤鬼」と呼ばれ恐れられていました。
ちなみに直正が斬った怪物の正体は、貂ではなく石仏だったという話も伝わっています。(『春日町誌』)


伝承地:丹波市春日町黒井(的場稲荷神社の位置は不明。黒井城にあった神社?)


狼と塩売りばさ

狼と塩売りばさ (おおかみとしおうりばさ)


昔、小橋に塩を作る家があった。
その家の「塩売りばさ」という女は、作った塩を野原や平へ売りに行っていた。
ある日、塩売りばさは野原からの帰り道で、人間の死体を食べている狼に遭遇した。
そこでばさは「良い漁が出来たなあ」と言って塩を撒いた。
翌日、同じ道を通ると、昨日の狼が出て来てばさの着物を引っ張り、巣穴まで連れて行った。
そしてばさを穴に入れると、狼は門番のように入口に座った。
するとまもなくゴーゴーと山鳴りが響き、狼の群れが巣穴の前を横切って行った。
群れが巣穴を通り過ぎると、狼は「今去ね」と言って、ばさを村の中心まで送り届けた。
ばさは「昨日撒いた塩が美味かったんだろうな」と思いながら家へ帰ったという。

またある時、塩売りばさが籠を背負って野原を歩いていると、狼が来て「ばさ、負うてくれ」とせがんだ。
ばさは「今日は籠を背負っているから、明日なら背負ってやる」とごまかして逃げ帰った。
だが翌日も翌々日も狼が来て「ばさ、負うてくれ」とせがんでくるので「盆になったら背負ってやる」と約束した。
そして七月三十日の盆の日、ばさは後ろから喰われないよう背中合わせに狼を背負い、村まで歩いて行った。
村の中心では村人たちが音頭を踊っていたので、狼が何事かと尋ねると、ばさは「あれはお前をたんじょまつり(*)するために、村の若い衆に来てもらったんだ」と答えた。
すると狼は「もう背負わなくていい。もう悪いことはしないから許してくれ」と言って逃げて行ったという。

『わが郷土 丸山小学校創立百周年記念誌』「塩屋の塩売りばさの話 -小橋-」
『子ども風土記』「おおかみと塩売りばさ」より


(*)青年たちが悪いことをしようとする者を懲らしめる行事だそうです。こわい。


伝承地:舞鶴市小橋


ポンポン岩

ポンポン岩 (ぽんぽんいわ)


平石川の上流に“ポンポン岩”という大きな岩がある。
昔、天神が馬に乗ってこの岩に降りたとされ、その時の蹄の跡が今も残っており、叩くとポンポンと音がする。
その後、天神を薬師堂に祀ったため、平石村は雷が落ちない村になったという。

また、ポンポン岩で狸に化かされた話も伝わっている。
昔、ある村人が月夜にポンポン岩の近くを通りかかると、大勢の人間が太鼓を叩いて宴会をしていた。
「太鼓を打ってくれ」と言われたので太鼓を叩くと、手が痺れ、雨が降って来てずぶ濡れになった。
いつの間にか人々はいなくなっており、よく見ると叩いていたのはポンポン岩で、体は小便臭くなっていた。
ポンポン岩は狸の太鼓で、雨は狸の小便だったのだ。

『史談 ふくち山』第498号「福知山の民俗調査覚書 -三俣平石の場合-」
『三俣のあゆみ』「平石の「ポンポン岩」のいわれ」より



ポンポン岩
ポンポン岩(ポンポン石とも)は三俣地区の奥の路傍にあります。
ほとんどが地中に埋まっているので全長を測るのは難しいですが、かなり大きな岩のように見えます。
試しに手で叩いてみましたが「ペチペチ」という感じの音しか聞こえませんでした。道具で叩いたらポンポン鳴るのかも。


ポンポン岩(裏側)
反対側から見るとこんな感じです。
表面には幾つか穴ぼこが空いていたのですが、どれが馬の蹄跡なのかはわかりませんでした。


伝承地:福知山市三俣



だいこのよぼしぎ

だいこのよぼしぎ


木津村では陰暦十月六日を「だいこのよぼしぎ(大根の烏帽子儀)」、同月二十日を「二番よぼしぎ」と言う。
この両日は大根畑に入ってはならないとされ、もし入って茶碗の鳴る音を聞けば、その人は三年以内に死ぬという。

『郷土と美術』昭和十五年八月号「村の民俗」より


大根の烏帽子儀は大根が成熟して一人前になるという意味で、烏帽子を着る儀式をするとも言われています。(『京丹後市の伝承・方言』)


伝承地:京丹後市網野町木津、俵野など


  • ライブドアブログ