丹波・丹後の妖怪あつめ

京都府北部(丹波・丹後地域)の怪異妖怪伝承を紹介するブログです。

2023年11月

一本松地蔵

一本松地蔵 (いっぽんまつじぞう)


慶長六年(1601)、大雨による氾濫を防ぐため、伊佐津川の瀬替え(堤防工事)が行われた。
工事奉行の山口長左エ門には美しい娘がいて、彼女は毎日昼前になると父に弁当を届けに現場へ来ていた。
美しい娘は人夫の評判となり、彼女が現場に来る度に作業の手が止まるため、工事がはかどらなくなった。
その上、工事の途中で洪水が起こり、完成間近の堤防が流されるという不幸に見舞われた。
藩の役人は現場に来る娘の祟りではないかと考え、ある夜、娘を騙して工事現場の河原に誘い出し、斬り殺して死体を川に流した。
それからは娘が現場に来ることもなくなり、人夫たちは仕事に精を出すようになった。
長左エ門も悲しみに耐えながら仕事を続け、まもなく堤防は完成した。
だがその後、夜になると悲しそうな姿の娘の亡霊が河原に現れるようになった。
そこで村人たちは堤防のそばに松を植え、地蔵を建立して娘の霊を慰めたという。

『舞鶴の民話 第一集』「一本松地蔵」
『現地案内板』より



一本松地蔵
一本松地蔵。
伊佐津川の遊歩道に祀られています。
様々な願いを叶えてくれるお地蔵様で、特に赤子の夜泣きに霊験があるため「泣き地蔵」とも呼ばれているそうです。
賽銭泥棒が多いのか、不穏な注意書きがそこかしこに……。


地蔵のそばの若い松
一本松は遠くからでも眺められる程の大木だったそうですが、枯れてしまったのかそれらしい松は見当たりませんでした。
写真は地蔵のそばにあった若い松の木。二代目一本松?


伝承地:舞鶴市七日市


すきのとこ

すきのとこ


昔、西階村の子供が岩の町にある稲荷神社近くの川へ釣りに行った。
すると“すきのとこ”という短い蛇が現れ、それを見た子供は気絶し二日後に死亡した。
それ以来、村の子供たちは神社の近くで釣りをしなくなったという。
老人たちは「神社近くの川へ行ったらすきのとこが出るぞ」と言い、今もその辺りでは誰も釣りをしない。

『丹波町誌』「お稲荷さんの「すきのとこ」」より


この蛇はいわゆる「ツチノコ」の類ではないかと思います。
ちなみに梅田村のじゃが谷という所にも一尺(約30cm)余りの“すきのとこ”が出たと言い伝えられています。(『ふるさと梅田』)

また『あしなか』94号には“鋤の床”と呼ばれる蛇の話が載っています。
「京丹波町須知には鋤の床という太短い怪蛇がいて、斜面を転がって人畜を襲う。これに当てられて死んだ人もいた」とあり、筆者は鋤の床の棲息地とされる琴滝へ捜索に出向きましたが、結局見つけられなかったそうです。
現地の人も鋤の床を見たことがなく、また当てられて人が死んだというのも噂話程度のもので、いまいち信憑性に欠ける情報だったようです。


伝承地:京丹波町水戸・稲荷神社付近



天王はんの送り狼

天王はんの送り狼 (てんのうはんのおくりおおかみ)


今西中の天王はん(天王の森)には送り狼が棲んでおり、夜に人が通るとどこからともなく現れ、家までついてくるという。
基本的に害はないが、転べば必ず咬みついてくると言われていた。
無事家に辿り着いたら、履いていた草履や草鞋を与えなければならず、これを忘れるといつまでも家の入口で待ち続けるという。

『夜久野町史 第一巻(自然科学・民俗編)』「天王はんの『送り狼』」より


その他の送り狼。
小峠の送り狼(京丹波町)


伝承地:福知山市夜久野町今西中(今西神社奥の森?)


狐の提灯

狐の提灯 (きつねのちょうちん)


夜に遠くの方で幾つもの提灯のような灯りがゆらゆらと揺れ、浮遊しながらあちこちに移動することがある。
これを「狐が提灯を灯す」という。
灯りはずっと遠い所に見えるが、実は狐はすぐ目の前にいて、人の目を上手く眩ませているのだという。
ある女性は子供の頃(明治四十一、二年)、遥か向こうの山裾に青白い光が三つ灯り、行ったり来たりを繰り返しているのを見たことがあった。
だがその不気味な灯りが怖くなり、家へ駆け込んだという。

『近畿民俗』136,137号「丹波美山の言葉と民俗」より


伝承地:南丹市美山町深見?


鬼祭

鬼祭 (おにまつり)


旧暦十一月の丑の日、竹野神社では宮衆三十六名が鬼となって村を回る“鬼祭”が行われる。
夜になると鬼は禰宜の家を出発し、法螺貝を吹き、太鼓を叩きながら「アオー、アオー(「会いたい」の意?)」と連呼して一晩中村内を練り歩く。
そして一夜明けた早朝、鬼は再び禰宜の家に戻り、法螺貝と太鼓を打ち鳴らしながら竹野神社へ引き揚げて行く。
この鬼に出遭うと三年以内に必ず死ぬと言われているため、各家は夕方までに戸締りをし、一夜を静かに過ごす。
当日は村の分岐路に鬼祭を行う旨を記した立札を立て、余所者が巻き込まれないよう配慮したという。
祭の日は余所者を泊めることは禁じられていたが、ある年の鬼祭の夜、旅の六部が強引に村の家に泊まった。
すると翌朝、六部は八つ裂きにされて木の枝に引っかけられていた。
禁を破って家に泊まったため、鬼に殺されたのだと言われている。

『丹後の伝説 ふるさとのはなし』「竹野の鬼祭」
『丹後町の民話 -第二集-』「おに祭の話(宮)」より


鬼祭は麻呂子親王に退治された三上ヶ嶽の鬼(英胡・軽足・土熊)を鎮めるための祭とされており、竹野神社の宮司と宮衆だけで執り行われ、関係者以外は見てはいけない決まりになっているそうです。

また江戸時代の地誌『丹哥府志』にも鬼祭の項があったので簡単に紹介します。

祭の前夜、竹野村(宮村)の宮衆三十六名は、斎戒沐浴して清浄な家に籠る。祭の当日、宮衆は竹野神社の宮司と共に牧の谷で呪文を唱える。その日の深夜、宮司は従者を連れて竹野神社に参り、洗米して米を炊く。その米が炊ける頃、従者は宮司を残して神社から去る。その後の宮司の行動は秘匿されているが、一説には炊いた米に砂を混ぜ、後ろ手に神前に供えた後、すぐに神社から去るという。そして宮司が帰った頃、その米を食べる者がいるという。鬼祭の夜は奇怪なことが起こり、また祭を見れば三年以内に死ぬと言われているため、村人たちは日暮れから家の戸を閉ざし、誰も外に出ない。(『丹哥府志』)



鬼神塚
「鬼神塚」と呼ばれる丸石の群れ。
鬼神塚は
麻呂子親王に退治された鬼たちの墓と言われており、元々は十五、六基の塚が所々に散乱していましたが、損壊がひどかったので近世に新しいものを作り一ヶ所にまとめられました。
現在は竹野神社裏手の路傍(神明山古墳のそば)にひっそりと祀られています。
もう少し見つけやすい場所に置いてほしかった……。


斎宮神社
竹野神社の摂社、斎宮神社。(左が本殿)
日子坐王命(崇神天皇の弟)・建豊波豆良和気命(開化天皇の子)・竹野媛命(開化天皇の嫁)の三神の他、麻呂子親王を祀っていると言われています。
ちなみに竹野神社の「竹野」は「たかの」と読みます。


伝承地:京丹後市丹後町宮・竹野神社


中舞鶴の大蛇

中舞鶴の大蛇 (なかまいづるのだいじゃ)


中舞鶴の滝の空から桂谷の辺りには大蛇がいると言われていた。
明治の末頃、本町の小学生たちがこの大蛇に遭遇し、命からがら逃げ帰った。
それを聞いた荻野という蛇屋(蛇を売買する業者?)は数人で捕獲に向かい、胴周りが一尺六寸(約50cm)もある大蛇を生け捕りにした。
蛇は必ず二匹いるということで、続けて残りの一匹を捜したが、遂に発見出来なかった。
だがその後、山崩れや砕石場での事故が多発したため、村人たちは中舞鶴の大蛇の祟りだと噂したという。

『舞鶴の民話 第五集』「大蛇の話」より


大蛇に祟られたのか、その後蛇屋の荻野氏は行方知れずになったそうです。


伝承地:舞鶴市余部上付近?


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