丹波・丹後の妖怪あつめ

京都府北部(丹波・丹後地域)の怪異妖怪伝承を紹介するブログです。

2023年11月

麻呂子親王の鎧

麻呂子親王の鎧 (まろこしんのうのよろい)


用明天皇の時代、麻呂子親王は丹後の孤島に棲む鬼の討伐を命じられた。
丹後へ向かう道中、親王は野花の森家に立ち寄り、肌着を置いて出立した。
それ以来、森家はその肌着を“麻呂子親王の鎧”と言って家宝にしたという。
森家では代替わりする度にこの鎧を出して祀る習慣があったが、その時は身を清め、不潔な者は近寄らせなかった。
不潔な者が無理に近づくと、動けなくなってしまうからだという。
またこの鎧があるため、森家には雷が落ちたことがないという。

『天田郡志資料 上巻』「麻呂子親王の鎧」より


森家は「野花の森さん」と呼ばれ、付近一帯に名を轟かす旧家でしたが、時代と共に廃れてしまい、今は家すら残っていないそうです。
麻呂子親王の鎧はどこへ……。


伝承地:福知山市野花


番人の墓

番人の墓 (ばんにんのはか)


和知小学校の上の栗林に“番人の墓”と呼ばれる石碑があり、そばに柿の木が生えている。
昔、この木を切ろうとしたことがあったが、どうしても切れなかったという。
また、この柿の実を食べるとたちまち腹痛を起こすとも言われている。

『和知町 石の声風の音』「番人の墓」より


参考書籍では、番人=この辺りの墓守りをしていた坊主のことではないかと考えられています。


伝承地:京丹波町本庄


タタリ薬師

タタリ薬師 (たたりやくし)


八戸地集落の奥に薬師如来像を祀るお堂がある。
昔、この薬師像は由良川を一望出来る八田の山腹に祀られていた。
だが由良川を行き交う舟の故障や遭難者が相次ぎ、人々は薬師像が川を見下ろしているためだと考え、“タタリ薬師”と呼んで恐れるようになった。
その後、八戸地の人々が薬師像を貰い受け、集落内に祠を建てて丁重に祀ったという。

『八雲のれきし』「八戸地薬師」より


昔は耳の病を治してもらうため、薬師像に穴の開いた石を供えたり、真綿で作った乳首形を供えて母乳がよく出るように願かけをする風習があったそうです。


伝承地:舞鶴市八戸地(八田)


鯉明神

鯉明神 (こいみょうじん)


神代の頃、嵯峨の松尾神社の祭神・月読命と木股命(大井神)は桂川に流されたが、下流へ流れることを嫌がり、亀に乗って川を遡った。
だが亀では保津川の急流を上りきれず、途中で鯉に乗り換えて遡上し、河原林村の勝林島に上陸した。
その時に関某が両神をその地に祀ったが、「もっと日当たりの良い高い土地へ行きたい」という夢のお告げがあり、後に大井村へ奉遷した。
それが現在の大井神社であり、俗に“鯉明神”と呼ばれている。
そして大井村では神々を運んだ鯉を大切に扱い、罰が当たるので捕食しないという。
また亀も鯉程ではないが大切にされているという。

『丹波志桑田記』「神社之部」
『丹波の伝承』「大井神社」より


当ブログでは江戸中期の地誌『丹波志桑田記』と昭和前期の伝説集『丹波の伝承』をベースに紹介しましたが、大井神社創建にまつわる伝承は多くの書籍に見られ、それぞれ微妙に内容が違っています。
例えば大正十四年(1925)刊の『口丹波口碑集』では、松尾神社の木股命は五人兄弟の末っ子で、横着者だったために他の兄弟神から嫌われて桂川に流された、となっています。(その後の展開は本文とほぼ同じ)
江戸後期の地誌『桑下漫録』にも鯉明神の伝説が載っていて、松尾神社の神(中津大神)が亀→鯉と乗り換えて大堰川を遡り、勝林島に上陸するところまでは同じですが、その時に神の姿を見た地元の工匠が「今から用事で京に行くが、私が帰って来るまで同じ場所に居るなら社殿を建てて祀ろう」と約束します。
そして神は工匠が戻るまで同じ場所に居続けたので、約束通り同地に小社を建て「松尾の宮」として祀りました。(その後現在の地に遷座)
ちなみに大井神社の氏子には、神の使いである鯉を食べれば口の中が腫れる(腹痛になるとも)ので食べない、鯉の絵図を粗末に扱わない、端午の節句に鯉のぼりを揚げない、などの禁忌が言い伝えられています。(『諸国里人談』『松尾大社 神秘と伝承』)


大井神社
大井町並河の大井神社。
月読命・市杵島姫命・木俣命を祀る神社です。


大井神社の池
大井神社境内の池。
やたら目力の強い亀が甲羅から水を噴き出し続けています。
『丹波の伝承』では、松尾神社の祭神の月読尊と道臣命(あるいは大井神)が鯉に乗って大井神社に来た時、その鯉をそばの池に放ったという話があります。この池のこと?


伝承地:亀岡市大井町並河・大井神社


思いの火

思いの火 (おもいのひ)


万福寺の愛阿上人は月に三度、文殊の智恩寺(文殊堂)に参詣していた。
参詣した日は夜を徹して念仏を唱えており、その時に「竜灯」をよく見たという。
竜灯は晴れた凪の夜、天橋立の南海岸にある「竜宮の門」という淵から現れ、文殊堂の前に移動する。
そして文殊堂の南にある松に上がり、半時程留まってから消えることもあれば、すぐに消えることもあるという。
竜灯は無道心の者には稀にしか見られず、あるいは漁火だと言う人もいる。
また、この松の上に童子が灯りを捧げていることがあり、これを「天灯」と呼ぶ。
かつて天灯は度々灯っていたが、今はほぼ見られないという。

その頃、智恩寺は夏になると蚊が大量発生し、寺に泊まる巡礼者を苦しめていた。
不憫に思った愛阿上人が大きな蚊帳を寄進すると、巡礼者たちは喜び、それからは何十人もの男女が一所に集まって眠った。
ある夜、上人は蚊帳の中に火が灯っていることに気づいた。
よく見ると、眠る巡礼僧の胸の上に青い火が灯り、その火は同じ蚊帳で眠る比丘尼の上まで移動して消えた。
翌朝、巡礼僧に火のことを伝えると、彼は「その比丘尼とは知り合いではないが、巡礼の道は同じです。あちこちで彼女の姿を見かける度、私の心は少し動きました。そうして彼女への思いが募っていき、胸の火となって現れたのでしょう。今後はこの思いを断ち切るよう心がけます。しかしながら、これは文殊菩薩の御利生だと思います」と言って礼を述べた。
その後、上人は蚊帳をもう一張り寄進し、寝所を男女別々にしたという。


『奇異雑談集』「九世戸の蚊帳の中に思ひの火、僧の胸より出でし事并びに竜灯の事」(『江戸怪談集(上)』収録)より


巡礼中にも拘らず比丘尼への恋心が芽生えてしまい、その募る思いが青い火となって胸の上に現れ、彼女の元へ向かったということでしょうか。


知恩寺
天橋山知恩寺(文殊堂)。
智慧を司る仏・文殊菩薩を祀るお寺で、日本三文殊(京都・奈良・山形の三寺)の第一の霊場とされています。


伝承地:宮津市文殊・智恩寺


郡分の水

郡分の水 (こおりわけのみず)


水戸谷峠の頂上付近を「郡分」といい、ここは与謝郡(与謝野町)の三重郷が中郡(京丹後市)に編入された境界である。
郡分にある稲田は「れん破町」と呼ばれ、この田の水は離別のまじないに用いられている。
離婚や不縁を求める者がこの水を汲んで持ち帰り、密かに双方に飲ませると、すぐに効果があるという。

『三重郷土志』「郡分」より


れん破町の養水は東西二つの谷を経て野田川、竹野川へそれぞれ分かれて流れ込むことから、離別の話が生まれたそうです。
また『大宮町誌 本文編』にも離別の水の話が掲載されていますが、稲田の場所は「れん破町」ではなく「恋破(こいわけ)町」となっています。


伝承地:京丹後市大宮町三重・水戸谷峠


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