丹波・丹後の妖怪あつめ

京都府北部(丹波・丹後地域)の怪異妖怪伝承を紹介するブログです。

2023年12月

おふじさん

おふじさん


昔、上東村の藤津神社の下に、ニ反(約2000㎡)もの御供田があった。
ある時、おふじさんという女性は姑から「一日で御供田の田植えを済ませろ」と命令され、早朝から田植えに励んだが、夕方になっても終わらなかった。
そこで太陽に向かって「もう少しいて下さい」と願ったところ、それから太陽は沈まなくなった。
おふじさんはその間に作業を続け、何とか田植えを終わらせることが出来た。
不思議なことに、作業が終わると同時に太陽は沈み、辺りは暗闇に包まれた。
だが太陽を止めた咎か、その後、おふじさんは高熱を出して死亡した。
村人たちはおふじさんを哀れみ、彼女を超人的な力の持ち主として藤津神社に祀ったという。


『八雲のれきし』「おふじさん(上東)」
『舞鶴の民話 第一集』「おふじさん(上東)」より


上東の氏子の間には「おふじさんを可哀想に思うなら藤は燃やさない」「山で藤を切っても持ち帰らずその場に捨てる」など、藤にまつわる慣習があったそうです。


藤津神社
上東の藤津神社。
由緒沿革は不詳とされていますが、一説には「藤」という女性が社殿を造営したと伝えられています。
応仁の戦乱の頃(1467~1477)、上東村に藤という信心深い娘がいた。
ある日、藤は村の南の山頂にある檜の大木に龍灯がかかるのを見た。
藤は神々の示現であると感じ、春日神社・八幡神社・大日霊貴神社の社殿を造営した。
その後、村人たちが社殿を改築し「藤津神社」と称して村の氏神にした。(『八雲のれきし』)

「沈む太陽を止める」という話は、鳥取県の「湖山長者」(ある長者が田植えを済ませるため沈む太陽を黄金の扇で止めるがその咎で没落する話)や、広島県の「平清盛の日招き」(平清盛が音戸の瀬戸(海峡)の開削工事を期日通りに終わらせるため沈む太陽を扇で招き返す話)などが有名です。(『因幡志』『広島 歴史と文化』『日本怪異妖怪事典 中国』など)
ちなみに丹後地域だと、与謝野町と京丹後市に「太陽を止めたことで没落する長者」の話が伝わっています。

また、おふじさんのように嫁が田植えを終わらせるために太陽を止める話は静岡県や島根県にも伝わっています。

●静岡県
ある嫁が舅に一日で田植えを終わらせるよう命じられたが、途中で日が沈みかけたので「植え終わるまで待ってくれ」と太陽を招いた。だが植え終わった後、嫁は腰を下ろすと同時に倒れて死んだ。以来そこを嫁殺田(嫁田)と呼ぶ。(『静岡県伝説昔話集』)
●島根県
隠岐島五箇村の重屋という家の嫁が赤子を背負って田植えをしていた。あと少しのところで日が沈みかけたので、嫁は太陽を手招きした。すると太陽が後戻りし、その間に田植えを済ませることが出来た。だが気づくと背中の赤子の首がちぎれてなくなっていた。(『隠岐島の伝説』)

静岡県も島根県も話の流れはだいたい同じですが、島根県の方は太陽を戻した罰なのか、赤子の首がもぎ取られるというホラーなオチになっています。
どことなく小泉八雲の「幽霊滝の伝説」のラストを彷彿とさせますね。恐ろしや。


伝承地:舞鶴市上東


鶏塚

鶏塚 (にわとりづか)


① 
昔、源兵衛という男の飼い猫が家出した。
その後猫は女房になりすまして家に戻り、源兵衛を噛み殺す機会を窺っていた。
そしてある日、遂に猫は源兵衛を噛み殺そうとした。
だが家で長年飼われている鶏が大声で鳴いて危機を知らせたため、源兵衛は殺されずに済んだ。
化け猫は鶏を噛み殺し、どこかへ逃げていったという。
この鶏を埋めた「鶏塚」は、知恩寺へ向かう道路のそばの山に祀られている。(『丹後史伝』)

② 
昔、岩滝に病人のいる家があった。
その家で飼っている鶏が毎晩鳴いてうるさいので、桟俵に乗せて海へ流した。
だが後に毒を持つ青とかげが病人の薬を舐めていたことがわかった。
鶏はそのことを家人に知らせていたのだった。
その後、家人は鶏のために「鶏塚」を建立したという。(『おおみやの民話』)

③ 
昔、旅の六部が文殊の海岸を通りかかった時、箱に入れられた鶏が「野田の長兵衛猫がとる」と鳴いていた。
長兵衛の家に行って訳を尋ねると「あの鶏は鳴いて困るから捨てた」という答えが返ってきた。
そこで鳥小屋を調べたところ、青とかげを咥えた猫が米びつの上を飛び回っていた。
猫は毒を持つ青とかげを使い、長兵衛たちを殺そうとしていたのだった。
長兵衛は鶏を連れ戻しに行ったが、既に死亡しており、その場所に「鶏塚」を建てたという。(『おおみやの民話』)

『丹後史伝 史実と伝説 一集』「鶏塚」より
『おおみやの民話』「鶏塚」より


宮津の鶏塚には以下のような伝承もあります。

平安時代、宇多天皇が宇治山から出た金で雌雄の鶏を作らせた。
すると天皇を怨む太子や皇后がこの金鶏を使って呪詛したが、露見して失敗に終わった。
その後、金鶏は藤原氏→足利氏と受け継がれたが、足利義満の時代に賊に盗まれてしまった。
後に賊は捕らえられ、金鶏を隠した場所を自白した。その場所が今の鶏塚だという。(『岩滝町誌』)

他にも、鶏塚は平安時代の歌人・和泉式部の歌集を埋めた所であるとか、除夜の鐘の度に塚から鶏の鳴き声が聞こえるなど、様々な伝承が残されています。(『宮津府志』)


鶏塚
文珠の鶏塚。
知恩寺へ向かう道路脇の林の中にあり、現在はカラフルなお地蔵様(化粧地蔵)が祀られています。


鶏の置物
塚には鶏の置物×2が供えられていました。


伝承地:宮津市文珠


天神さんの豆狸

天神さんの豆狸
(てんじんさんのまめだぬき)


昔、高屋の天神さん(天満神社)の森に悪戯好きの豆狸が棲んでいた。
ある秋の雨の夜、酒屋の戸を叩く者があった。
だが外には誰もおらず、空の徳利と五文ばかりの金が並べてあった。
それを見た酒屋のおかみは「また豆狸か」と笑い、徳利に酒を入れて戸口に置いておくと、翌朝にはなくなっていたという。
またある時、源さんという人が川へ雑魚獲りに出かけたが、豆狸に先回りされ雑魚を全て獲られてしまった。
「また豆狸にやられた」と諦めて家路につくと、道端に大量の栗の実が落ちていた。
これは豆狸がくれたものだとすぐにわかったという。
豆狸はこのように優しい心を持っていたので、村人たちから可愛がられていた。
そんなある日、村の猟師が妙見山で古狸を撃ち殺した。
するとそれ以来、村の人々が豆狸の悪戯話を耳にすることはなくなったという。


『親と子のふるさと西紀の民話集』「天神さんの豆狸」より


伝承地:丹波篠山市高屋


金刀比羅神社の稲荷

金刀比羅神社の稲荷
(ことひらじんじゃのいなり)


琴平新地が出来る以前、尾和屋の山は池で入水自殺があったり、狐が火を灯したりするような寂しい所だった。
ある日、泰作という猟師がこの山で尾が少し白い狐を見つけた。
泰作は銃を構えて引金を引いたが、「ぷっ」という音がするだけで弾は出なかった。
狐は金刀比羅神社の稲荷だと思い、泰作は猟を止めたという。

『丹後の伝説 ふるさとのはなし』「稲荷さんはうてなかった」より


伝承地:京丹後市峰山町杉谷


狐の仕返し

狐の仕返し (きつねのしかえし)


昔、三坂の油売りの男が猫山の辺りを通ると、大きな松の上に四、五匹の狐がいた。
狐たちは松の葉を使い、綺麗な男女に化けて遊んでいた。
油売りは悪戯心を起こし、大きな声で脅かすと、狐たちは驚いて木から落ちた。
数日後、また同じ所に狐がいたので近づいてみると、急に辺りが真っ暗になって何も見えなくなった。
油売りは道がわからなくなり、油壺を乗せた荷車ごと川に落ち、頭から油を被ってしまったという。

『おおみやの民話』「油屋と狐」より


これは油売りが悪い。


伝承地:京丹後市大宮町三坂


狐の恩返し

狐の恩返し (きつねのおんがえし)


昔、浜詰に孝菴(こうあん)という名医がいた。
家の前を通る人の声を聞いて「彼は○ヶ月後に病にかかる」と言い、その予言が適中したこともあったという。

ある夜、孝菴が床に就こうとすると、下の浜辺から「孝菴さん、孝菴さん、フグの真子喰って腹痛い」と狐の悶える声が聞こえてきた。
早速孝菴は薬を調合し、家人に浜へ持って行かせると、やがて狐の鳴き声は止んだ。
翌朝、孝菴の家の前には秣(まぐさ)が積んであり、「世の中には恩知らずが多いのに、狐でさえ助けられたお礼を返しに来たか」と感心したという。
浜詰では、村人が「こうあんさん、こうあんさん」と言えば、他の誰かが「ふぐのまご食って、腹いたい」と合言葉のように答えるという。

『丹後の民話 第二集 -ふるさとのはなし-』「きつねの腹痛を治した孝菴さん」より


丹波丹後地域の動物恩返しシリーズ。


伝承地:京丹後市網野町浜詰


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