丹波・丹後の妖怪あつめ

京都府北部(丹波・丹後地域)の怪異妖怪伝承を紹介するブログです。

2023年12月

しりひきまんぞう

しりひきまんぞう


鎌谷下の春日神社の南にある井根(井堰)の向かい側に、子供を抱いた不動明王の像が祀られている。
その下を流れる川の中央に大きな岩があり、そこでは絶対に泳いではならないと言われている。
川底には“しりひきまんぞう”という恐ろしいものがいて、子供を水中へ引き入れて命を取るからだという。

『ふる里梅田』「土師川筋に御祀りしてある不動さん」より


しりひきまんぞうは「尻引きまんどう」「ガタロ」とも呼ばれています。
丹波地域には他にもシリヒキマンジョ(福知山市)、シリヒキダンガメ(丹波市)、尻引きマント(丹波篠山市)など、人を水中に引き込む妖怪の伝承があります。


土師川
しりひきまんぞうが棲む土師(はぜ)川は、鎌谷下地区内を南北に流れています。
写真は同地区の春日神社の南にある井堰で、この辺りにしりひきまんぞうがいたと言われています。
ちなみに川のすぐ横(写真左側)は山になっていて、そこに不動明王像が祀られています。
(山へ登る道が見当たらなかったのでお参り出来ず。残念)


伝承地:京丹波町鎌谷下・土師川

いわさきの狐


いわさきの狐 (いわさきのきつね)


昔、埴生の出雲神社の下を流れる川沿いに道があった。
その道に「いわさき」という切り通しがあり、そこに狐が棲みついていた。
ある日、この狐は人間に化け、行商中の魚屋から魚を買った。
それから狐は別人に姿を変えて何度も買い物を繰り返し、魚を全て買い占めた。
その後、魚屋が売り上げを勘定すると、受け取った金は木の葉に変わっていたという。

『忘れかけたふるさとのお話』「キツネが魚屋をばかす話」より


伝承地:南丹市園部町埴生


合戦場の亡霊

合戦場の亡霊 (かせんばのぼうれい)


筱見に「四十八滝」という幾つもの滝が流れる谷がある。
日暮れにこの谷の入口近くを通ると、火の玉がゆらゆらと燃えながらすうっと飛んで行き、大勢の人の泣き声が聞こえてくるという。
これは応仁の頃(1467~1469)、この地で起こった大戦で死んだ侍たちの亡霊が出るのだと言われている。
また、悪いことをすれば山姥が追いかけて来て持ち物を全て取ってしまうとも言われ、人々は大変怖がっていた。
戦があった所は「合戦場(かせんば)」と呼ばれ、この近くで小便をすると腹痛になって寝込んでしまうという。
近年、跡地に酒蔵が建てられたが、従業員に大怪我や病気が相次いだ。
そこで酒蔵の人たちは合戦場に観音像を祀り、戦死者の霊を供養すると、怪我や病気になる人はいなくなったという。

『丹波のむかしばなし 第五集』「合戦場の観音さん」
『現地案内板』より



篠見観音
篠見観音像は四十八滝へ向かう道の入口に祀られています。
この像は百萬石酒造という会社が戦死者の供養と厄除けを祈って建立したそうです。


合戦場の風景
現在の合戦場付近。
のどかな風景が広がっています。


百萬石酒造
篠見観音のすぐ横には百萬石酒造の酒蔵があります。
ただ現在は稼働していないらしく、場内は閑散としていました。


伝承地:丹波篠山市上篠見


草履取り岩 / 袖もぎ岩

草履取り岩 / 袖もぎ岩
(ぞうりとりいわ / そでもぎいわ)


朝阪へ通じる道の井溝の脇に“草履取り岩”という岩がある。
この岩に腰かけると草履の片方を盗まれると言われ、明治中頃まで岩に触れるのを恐れたという。

また北和田から応地に通じる道の山の突端に“袖もぎ岩”という岩がある。
この岩に腰かけると着物の片袖を盗まれると言われ、江戸の頃は草履取り岩と共に広く喧伝されたという。

『沼貫村誌』「草履取り岩」より


草履取り岩は道路改修工事の時に砕かれたため、現存していないそうです。
(袖もぎ岩は不明。現存している?)


伝承地:丹波市氷上町朝阪、山南町北和田-応地


蛇の池

蛇の池 (じゃのいけ)


昔、松尾のフケという所に“蛇の池”と呼ばれる瓢箪型の小さな池があった。
一方、野間(京丹後市)へ行く道の途中には深い堤があり、ここから蛇の池へ大蛇が往来したという。
また大正の頃、ある老人と子供がこの堤の奥で大蛇に遭遇し、急な大雨に降られたという。

『私たちの小さな宮津・松尾史』「蛇の池」より


伝承地:宮津市松尾


大江山へ逃げた鬼

大江山へ逃げた鬼 (おおえやまへにげたおに)


昔、宮村の斎神社に多くの鬼が棲み、夜な夜な略奪を繰り返していた。
そこで斎神社の神は村境に地蔵を建て、節分の夜以外は外へ出ることを禁じた。
だが鬼たちはその掟を守らず、遠くの村へ行って略奪を働いた。
怒った神は「鬼祭をするから集まれ」と鬼たちに呼びかけ、松縄手で大宴会を催した。
そして鬼たちが酔っ払った頃合いで沢山の使いを呼び出し、一斉に弓を射かけた。
ほとんどの鬼はそこで射殺されたが、生き残った鬼たちは立岩へ逃げ出した。
神は「あとを見、あとを見」と言いながら追いかけ、振り向いた鬼を射殺していった。
振り向かなかった鬼は立岩から依遅ヶ尾にある抜け穴を伝い、丹波の大江山まで逃げていったという。

『丹後の民話 -第三集-』「鬼退治」
『丹後町の民話 -第二集-』「大江山へにげた鬼(宮)」より


この時生き残った鬼が大江山へ移り住み、後の酒呑童子一味になったのでしょうか。


立岩
立岩。
丹後町間人の海岸にそびえ立っています。
麻呂子親王がこの地にはびこる鬼を退治した時、その中の一匹(土熊)をこの大岩に封印したという伝承があります。
岩の中からは今でも鬼の慟哭が聞こえてくるんだとか……。



伝承地:京丹後市丹後町宮


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