丹波・丹後の妖怪あつめ

京都府北部(丹波・丹後地域)の怪異妖怪伝承を紹介するブログです。

2024年01月

細谷の大蛇

細谷の大蛇 (ほそたにのだいじゃ)


半国山の細谷に「からと淵」という大きな滝がある。
その下に「とこ」という頭の形が鋤床に似た大蛇が棲んでいて、夜な夜な八田の里に出没したという。
源次郎谷という谷には金銀色の大蛇がいたといい、また第二次大戦中に奥山で大人の腕程の太さの蛇と遭遇し、一晩中うなされた人もいたという。

『園部探訪』「細谷の大蛇」より


他にも、昭和の頃に細谷へ猟に行った人が頭がてんころ(槌)程もある蛇を見て十日余り寝込んだという話もあります。(『忘れかけたふるさとのお話』)


伝承地:南丹市園部町南八田


高坐石

高坐石 (たかくらいし)


葛野清住集落の奥山に幾つもの巨岩がそびえ立つ所がある。
そこに“高坐石”という、一面だけ綺麗な平面で、三面は苔むしている巨大な四面岩がある。
高坐石には不思議な力があり、宴会などで使う食器や道具が足りない時は、この石に参詣して願えば入用の品を借りることが出来たという。
だがある時、村の欲深い男が高坐石から品を借りたまま返さなかった。
するとそれ以来、高坐石は村人たちの願いを聞き入れなくなった。
村人たちは「あの欲深男のせいで高坐石がお怒りになったのだ」と噂したという。
その後、高坐石の噂を聞いたある石工は「石の中に黄金や宝石が隠されているに違いない」と考え、石に穴を開けようとした。
だが穴を穿っている途中、どこからともなく何本もの白羽の矢が飛んで来たので、諦めて逃げ帰ったという。
また、高坐石の上に乗るとポンポンと不思議な音が鳴るとも言われている。

『由緒を尋ねて』「葛野の高坐石」より


福知山市には、龍神に嫁ぐため井戸に沈んだ娘が食器を貸してくれる話(「椀貸伝説」)があります。


伝承地:丹波市氷上町清住


鮭に乗った神

鮭に乗った神 (さけにのったかみ)


顕宗天皇元年(485)三月二十三日の夜、由良の湊の野々四郎という男が海で釣りをしていると、突然水面が光り輝き、昼よりも明るくなった。
見ると、白い着物を着て金色の鮭に乗り、左手に蚕、右手に五穀の種を持った異人が現れた。
異人は「私は上古の神である。今から大川の里まで行こうと思っているので、このことを村人たちに告げ、すぐに神籬を立てて祀りなさい」と言った。
更に翌年(486)の正月二十八日にも、大川村の八歳の子供が四郎と同じお告げを受けた。
そして同年三月二十三日に天皇から社殿造営の勅命が下り、九月二十三日に大川明神を勧請して祀ったという。
このため大川神社では、正月二十八日、三月二十三日、九月二十三日と年に三度祭を行っている。

『丹哥府志』「大川神社」
『京都の伝説 丹後を歩く』「鮭に乗った神」より


大川神社
大川神社。
大川神社の祭神は保食神とされています。
(『日本書紀』にある食物神で、口から吐き出した食べ物で月夜見尊を接待したらブチギレられて殺され、その死体から蚕や穀物、牛馬が生まれた)
本文の鮭に乗った神が蚕と五穀の種を持っていたのは、保食神の伝承と関係がありそうですね。
創建時は西の徹光山の頂上に鎮座していましたが、麓の由良川を往来する船に祟りがあったため、後に山腹へ移されました。
ちなみに野々四郎は本文の神(女神とも)を背負って徹光山に登りましたが「戻る途中で振り返るな」という神との約束を破り、由良川の川端で振り返ったところ、たちまち死んでしまったそうです。


大川神社本殿
大川神社本殿。
大川神社の使いは狼と言われていて、昔から大川地区には狼の害がなかったそうです。

同神社には「御駒」と呼ばれる30cm程の石の狛犬があり、疫病の流行や狐狸が祟りをなした時に「御駒」を借りると、その村へ狼が来て狐狸妖怪などから守ってくれると言い伝えられています。(『丹哥府志』)
また佐土原藩の修験者・野田成亮の巡礼日記『日本九峯修行日記』にも大川神社の御駒についての説明があります。
こちらでは「神前に祝詞を捧げて御守り(御駒のこと?)を借りれば狼の害を防ぐことが出来る」とあり、更に「願いが叶ったら約束した期日までに御守りを返す習わしだが、もし返さなければ悪犬というものが借りた人につきまとうらしいので早めに返した方がいい」と、御守りを返却しない人へのペナルティも記されています。
悪犬が何かはわかりませんが、名前からしてあまり良い存在ではないっぽいですね……。


野々宮神社
こちらは野々宮神社。
大川神社正面の国道沿いにあり、同神社の御旅所とされています。
『丹後国加佐郡旧語集 下巻』によると、川端で振り返って死んだ野々四郎を祀る社だそうです。


亀→鯉と乗り換えて川を遡上した神


伝承地:舞鶴市大川・大川神社


明田の天狗

明田の天狗 (あけだのてんぐ)


昔、明田の喜久治という老人が宮津の祭から帰った後、足を洗いに行ったまま姿を消した。
息子たちは鉦と太鼓を鳴らしながら「もどせ、かえせ」と言って方々を捜したが、喜久治は見つからなかった。
だが翌日、喜久治は周枳(明田の西にある集落)の北村という谷の奥で発見された。
喜久治は「天狗がわしを抱え、山を飛び越えてここまで連れてきた」と話したという。

『丹後の民話 第一集 -いかがのはなし-』「おおぼんさんがまねいた」より


天狗が老婆を別の場所に置き去りにする話。


伝承地:京丹後市大宮町明田


椎の老木

椎の老木 (しいのろうぼく)


昔、久美浜の岡田一族の墓地に椎の老木があった。
ある時、この老木を切ることになったが、後難を恐れ、寺の住職に引導を渡してもらってから伐倒したという。
土葬された死者の血筋が変質し、老木に吸収されていると考え、霊木として扱ったのだという。

『現代民話考 [9] 木霊・蛇・木の精霊・戦争と木」「墓の木のたたり」より


伝承地:京丹後市久美浜町


龍灯の松

龍灯の松 (りゅうとうのまつ)


文殊に“龍灯の松”と呼ばれる高い松があり、毎月十六日の夜、この木に龍神が龍灯を捧げ留まるという。
天和三年(1683)三月十六日、知恩寺で千部読経が行われたが、四日目の夜五ツ時(午後八時頃)に海の方から龍灯が現れ、一番高い松につるつると上った。
その日は庚申の夜で、そこにいた多くの参詣者が龍灯を見たという。
またこれより以前、南宗和尚の頃に知恩寺で千部読経が行われた時も、二日目の夜に龍灯が松に上ったという。
その日も庚申の夜だったという。

『宮津府志・宮津旧記』「龍燈松」
『丹後旧語集』「龍燈の松」より


灯(竜灯)と呼ばれる怪火が樹上や海上に浮かぶという伝承は各地に見られ、例えば栃木県には「雷電山の麓に池があり、雨降りの夜には多くの竜灯が現れ松の枝に上がる」という話が伝えられています。(『斉諧俗談』)

宮津の龍灯については、江戸時代の奇談集『諸国里人談』に「宮津では毎月十六日夜半、丑寅(北東)の沖より竜灯が現れ文殊堂の方に浮かび寄る。堂の前に松が生えているが、これを“竜灯の松”という。また正月・五月・九月の十六日の夜、空から一灯が下る。これを“天灯”という。更に“伊勢の御灯”という一火もある」と、龍灯の松やその他の怪火の説明がされています。
また『奇異雑談集』にも、宮津万福寺の愛阿上人が知恩寺で竜灯を見たという記述があります。


龍灯の松跡地
龍灯の松跡地。
現在は墓地になっていますが、かつてここに龍灯の松があったそうです。
龍灯の松は高さ百五十尺(約45m)、太さ三抱え余り、樹齢八百年の大木だったと言われていますが、昭和九年(1934)に発生した台風で折れてしまいました。(『郷土と美術』3年1号「橋立の名松」)
ちなみに享保十一年(1726)に版行された『丹後与謝海天橋立之図』(貝原益軒・著)の天橋立周辺の地図にも龍灯の松が描かれていて、古くからその存在を知られていたことが窺えます。
折れてしまったのが口惜しい。


龍灯の松の写真
在りし日の龍灯の松。(『丹哥府志』)
めちゃくちゃでかいですね。


福知山市の元伊勢神社にも龍灯が灯る杉があります。


伝承地:宮津市文殊


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