丹波・丹後の妖怪あつめ

京都府北部(丹波・丹後地域)の怪異妖怪伝承を紹介するブログです。

2024年02月

怪しの家

怪しの家 (あやしのいえ)


大正四年(1915)二月二十六日夜十時頃、福知山の陸軍歩兵第二十連隊大隊長・櫻井正吉少佐が何者かに暗殺された。
曽我井村にある櫻井少佐の邸宅は代々工兵科大隊長の別宅として宛がわれていたが、以前から不吉なことが起こると有名だった。
先住の井上大隊長はこの家に住んでから子を失い、更に他国にあった兄も死亡した。
その次に入居した高野大隊長も、同じ日に子と兄を失ったという。
次に木村大隊長が馬丁(馬の世話人)夫婦と共に入居したが、庭の古井戸に物が落ちる音が聞こえたり(後に石垣が崩落する音と判明)、夜毎馬丁がうなされたりと怪事が続いた。
遂に馬丁夫婦は「この家に長居すれば私たちの命が危ない」と訴え、木村大隊長と共に家を出たという。
そして最後に入居したのが櫻井少佐であった。
少佐が暗殺される前、共に入居した馬丁夫妻の妻が突然喀血したことがあり、近隣の人々は「これで厄から逃れられるといいが」と噂した。
だがそこに少佐暗殺の報が入り、人々は「とうとう家の主人まで取り殺した」と話したという。

上記は大正四年三月六日に『神戸又新日報』が報じた記事ですが、その一ヶ月後の四月十一日には、事件後に空き家となった邸宅で怪現象が起こったという続報が掲載されます。

櫻井少佐暗殺事件の後、件の邸宅は空き家となっていた。
だが真夜中になると、裏手の古井戸に面した戸口が物凄い音で軋み出し、室内はにわかに喧騒を極める。
そしてどこからか茶褐色の洋犬三頭が集まり、しきりに吠え立てる。
夜明けが近づくと室内の音は止み、同時に洋犬たちもかき消すように姿を隠すという。
この怪現象は毎夜続いたため、近隣の家主たちは犬殺し(野良の犬猫を殺処分する職業)の者を雇い、洋犬の内二頭を殺害した。
だが怪現象が収まることはなく、それどころか益々酷くなる一方だった。
遂に福知山憲兵隊から四人の憲兵が邸宅に派遣され、夜通し見張ることになった。
すると夜半を過ぎた頃、裏の木戸を軋ませ、何者かが櫻井少佐の元居室に入って行った。
そして泣き声でも笑い声でもない、人とも獣ともつかない奇声を上げ、ひとしきり騒ぎ立てた。
だがその声は絶えてしまい、結局誰も正体を見ることは出来なかったという。
ちなみに櫻井少佐の邸宅は非常に古い建物で、昔から「化物屋敷」と言い伝えられていたが、少佐暗殺事件との関連はわかっていない。

『神戸又新日報』大正四年三月六日「怪しの家」
『神戸又新日報』大正四年四月十一日「大正化物邸」
(元資料『大正期怪異妖怪記事資料集成(上)』)より


少佐暗殺事件の記事は『神戸又新日報』の他、『朝日新聞』『毎日新聞』『樺太日日新聞』『北陸タイムス』など様々な新聞に見られ、全国的にこぞって報道されたようです。
大正四年四月十日刊『九州日之出新聞』にも空き家となった邸宅で起こった怪現象の記事(内容は『神戸又新日報』と同じ)がありますが、こちらは見出しに「古井戸より現れる故少佐の幽霊」と書かれています。
『九州日之出新聞』は、毎夜邸宅で起こる騒音は櫻井少佐の霊の仕業だと考え、このような見出しをつけたのでしょうか。
ちなみに櫻井少佐は後頭部を銃で撃たれて殺害されたそうですが、結局犯人は見つからないまま迷宮入り事件となりました。(『ふるさとの話題 第53集』)


伝承地:福知山市掘(邸宅は現存していない)


光野の稲荷

光野の稲荷 (みつののいなり)


明和四年(1767)閏九月四日、八代の黒土明神(白鬚神社?)で踊りがあり、それを一匹の狐が覗いていた。
それから二日後、小中村の新右衛門の下女・おヨシがこの狐に憑かれ、物凄い形相で「ウナ(私)は千年前から光野村の喜兵衛の家に棲む狐だ。早々に喜兵衛の家に送り返せ」と叫び続けた。
そこで小中村の人々は弓、鉄砲、脇差、鉦、太鼓などの道具を携え、おヨシを村境まで送って行った。
おヨシは光野村から迎えに来た喜兵衛に「ウナはずっと伏見稲荷に出世することを望んできた。それが叶うよう取り計らえ。そして毎月八日には赤飯と酒を供えて祀るべし」と告げた。
喜兵衛は樒(しきみ)の葉を持ち「約束しますので、この樒に乗り移って下さい」と言うと、おヨシはその場で気絶した。
早速喜兵衛は伏見稲荷へ参り祈祷をしてもらうと、すぐにおヨシは正気に戻ったという。
その後、光野村に社を建て、毎月八日に稲荷を祀るようになると、狐に憑かれる者はいなくなった。
いつしか光野の稲荷は失せ物の神として評判が高まり、各地から多くの参拝者が訪れたという。

『ふるさとのかたりべ』「光野のお稲荷さん」より



光野の稲荷社
稲荷社は光野町内にある熊野十二所神社の境内に祀られています。
現在は毎年七月八日に祭が行われているそうです。


伝承地:綾部市光野町、故屋岡町


右衛門塚

右衛門塚 (うえもんづか)


昔、高杉村の人々は「馬舟の湖」という湖の水を利用して米を作っていた。
だがある年から不作が続いたので、坊主に祈祷してもらうと、湖の主の大蛇が現れ「十四、五歳の娘を生贄に捧げよ。聞き入れない場合は辺り一帯を荒れ野にするが、聞き入れるなら毎年豊作にしてやろう」と告げた。
坊主はどうにかして大蛇を鎮めようとしたが効果はなく、人々は困り果てていた。

同じ頃、鹿倉山の麓に右衛門という男が妻と娘と暮らしていた。
ある日、十五歳になる娘のお露は、馬舟の湖畔に浮かぶ小さな岩に白百合を見つけ、岩に手をかけて花に触れた。
すると水底から静かな音楽が流れ出し、岩はお露を乗せて水中に消えた。
右衛門夫妻はお露が行方不明になったことを嘆き悲しみ、それから毎晩、娘が大蛇にさらわれる夢を見るようになった。
それ以来、右衛門は蛇を仇のように憎み、姿を見れば「お露を返せ」と言って殺すようになった。

そんなある日、右衛門は馬舟の湖に浮かぶ小さな岩を見つけた。
岩の上には白百合が咲き、小さな姫蛇が右衛門を見つめていた。
右衛門が怒りに任せ蛇に石を投げ当てると、気味の悪い悲鳴が辺りに轟いた。
悲鳴を聞いた右衛門はその場に倒れ、声を出すことも出来ず、手足も動かせなくなり気を失った。
すると生臭い冷風が吹きつけ、山鳴りと地震が起こり、湖の水は海嘯のように逆立ち、滝となって川へ流れ込んだ。
天変地異は七日七晩続き、治まった頃には馬舟の湖は涸れ、深い谷へと形を変えていた。
そして湖の近くの丘で、血塗れの右衛門と大蛇の死体が発見された。
右衛門の口は大きく裂け、歯は一本も残っていなかったという。
その後、右衛門の妻や村人に不幸が続くようになり、人々は大蛇の祟りだと恐れた。
そこで坊主に三日三晩祈祷してもらい、大蛇の死体があった岩の上に白瀧権現の祠を祀ると、祟りは薄らぎ再び豊作が続いた。
それ以来、高杉村では子供に「〇〇右衛門」という名前をつけなくなった。
また馬舟の白瀧権現は“右衛門塚”とも呼ばれ、歯痛の神として信仰を集めたという。

『天田郡志資料 上巻』「右衛門塚」より


『三和町史 上巻』には「寛政(1789~1801)の頃、角右衛門という男が氷上鴨ノ庄(兵庫県丹波市)から高杉村に引っ越してきたが、祟りを受けて一生不幸が続き、遂に家は絶えてしまった」という、名前のせいで酷い目に遭う男のエピソードが付け加えられています。むごい。


伝承地:福知山市三和町高杉
(右衛門塚は高杉地区の山の中にあるらしいが正確な位置は不明)



奥山の権現さん

奥山の権現さん (おくやまのごんげんさん)


日前(ひのくま)神社は釜輪町の山頂に鎮座し、一般には“奥山の権現さん”として親しまれている。
天正十年(1582)、何鹿郡山家の領主となった谷衛友は、京街道を下って任地へ入ろうとした。
だがその時、釜輪の山から後光が差し、眩しさで先に進めなくなった。
そこで祈祷師に祈祷させると「誠意を持って山家を治める気持ちがなければ入れない」というお告げがあった。
衛友がその意に従うと、ようやく山家の地へ入ることが出来たという。
それ以来、谷家は日前神社を厚く信仰したという。

『山家史誌』「権現さんの霊験」より


日前神社は比志利(聖)権現、高山権現とも言われています。
この山にある小石を「お猫さん(または猫石)」と呼び、養蚕家は鼠の害を防ぐ石として持ち帰り、養蚕が終われば返却したと伝えられています。
また境内にある樅の木の穴に溜まった水を「権現水」と呼び、眼病や流行病に効くと言って汲んで帰る人もいたそうです。


伝承地:綾部市釜輪町


栂の祟り

栂の祟り (とがのたたり)


昔、味間の大國寺に樹齢千年を越す栂の大木があった。
栂は何度も落雷に遭っていたが、大正の中頃、三度目の落雷で大きな枝が折れた。
そこで檀家の人たちが折れた箇所を切り取ったところ、全員が病気や事故で間もなく死亡した。
その後、昭和四十一年(1966)五月に起こった台風で栂は倒れ、何人かが木の切れ端を持ち帰った。
するとその内の一人が病死したので、人々は栂の祟りではないかと考え、持ち帰った全員が返却したという。
その時返却された木の一つが、本堂の額に使われているという。

『怨霊のふるさと 兵庫のミステリー』「首なし地蔵とモミジ」より


伝承地:丹波篠山市味間奥・大國寺


小峠の送り狼

小峠の送り狼 (ことうげのおくりおおかみ)


昔、下大久保の人が小峠を通って家へ帰る途中、身の毛がよだち恐ろしくなった。
急いで近くの家に飛び込み震えていると、家人に「送り狼がついて来たから、持ち物を「ご苦労さんでした」と言って投げ与えろ」と言われた。
その人が腰の手拭いを外に投げると、白いものが飛び去った感じがして、スッと体が楽になったという。
また「みやま」という所にも送り狼がいて、夜に通ると送って来ると言われていた。

『ふる里梅田』「送り狼」より


その他の送り狼。


伝承地:京丹波町下大久保


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