千賀一族の亡魂 (せんがいちぞくのぼうこん)*
昔、大島の顕孝寺の住職が大島城跡に登ったまま行方不明になった。
その後、住職は城の南の断崖に沈む廃船の中で死体となって発見されたが、不思議なことにかすり傷一つついていなかった。
村人たちは天正の頃に滅亡した千賀一族の恨みの亡魂か天狗の仕業に違いないと考え、住職が蒐集していた庭用の石や五輪塔を集め、千賀氏の塚として懇ろに祀った。
だが後任の住職が早逝したことで寺は無住となり、荒れ果てていった。
そして天保の頃、元昉という僧が顕孝寺を訪れ「寺が荒廃したのは亡霊の霊祭を疎かにしたからだ」と考えた。
ある日の夜更け、元昉が村を歩いていると、突然山崩れと共に石の裂ける音が響き、一陣の冷たい怪風が吹き渡った。
元昉は身の毛がよだち、冷や汗が吹き出る程の恐怖に襲われたが、九字護身法を修めて無事を念じると怪風は止んだ。
そして早速霊祭を執り行ったところ、怪しげな音も止んだという。
その後天保六年(1835)、元昉は金毘羅神宮を勧請して亡霊たちを祀り、金毘羅堂を建て大島の守り神としたという。
『双書 四方山雀』第13号「橋北 そのⅢ」「金毘羅権現」より
千賀氏は天正十年(1582)、細川氏によって居城の大島城を攻め落とされ、一族は戦死または離散し滅亡したと伝えられています。
(城主の千賀山城守は落ち延び、後に徳川家康に仕えたとも(『一色軍記』))
伝承地:宮津市大島



