丹波・丹後の妖怪あつめ

京都府北部(丹波・丹後地域)の怪異妖怪伝承を紹介するブログです。

2024年06月

木瓜の木

木瓜の木 (ぼけのき)


天正年間、意布伎城が細川氏に攻撃された時、城主が木瓜の棘で足を突いてしまい、思うように戦が出来ず落城した。
それ以来、意布伎の里には木瓜の木は育たず、また自生もしないと伝えられている。
また一説に、意布伎城の城主の馬が木瓜の棘で足を突いて死んだため、城下の木瓜の木を全て伐採し根を掘り取るよう命じた。
するとそれ以来、意布伎の里に木瓜は生えなくなったと伝えられている。

『油池区誌』「木瓜の木」より


伝承地:京丹後市久美浜町油池


浜辺で舞う人影

浜辺で舞う人影 (はまべでまうひとかげ)


昔、太鼓浜(琴弾浜) の近くの遊集落に目を患う主婦がいた。
ある日の夜明け前、主婦は浜辺で鞠をつき、舞を舞う人影を見かけた。
主婦は人影のことを家族に話したが「目が悪いから何かと見間違えたのだろう」と誰も信じなかった。
だがあまりに食い下がるので家族全員で見に行くと、浜辺に人影はなく、代わりに観音像が置かれていた。
そこで家族はその観音像を持ち帰り、お堂を建てて祀った。
その後、主婦は毎朝お堂に参拝している内、みるみる目の病気が良くなっていったという。
やがてこの話は近郷に伝わり、目を患う人々が続々とお堂に参拝し、同じようにご利益を受けるようになった。
そしていつからか、祈願の印としてお堂に手鞠が奉納されるようになったという。
また、この観音像は何か一つは必ず叶えてくれるとも言われている。

『丹後の伝説 ふるさとのはなし』「何か一つはかなえて下さる観音さま」より



琴引浜
網野町掛津の琴弾浜。鳴き砂の浜で有名です。
観音像はこの浜で見つかったと伝えられています。
ちなみに人影が舞い踊っていたことから、観音像があった辺りは「舞浜」と呼ばれています。
浜辺で舞っていた人影は観音像だったのでしょうか。

また、お隣の兵庫県豊岡市但東町には、夜な夜な里の近くで踊る薬師如来像の話が伝えられています。(『但東の民話と伝説』)
仏像はダンスがお好き?


伝承地:京丹後市網野町掛津


アズキアライ / ミズチ

アズキアライ / ミズチ


成生集落の漁協事務所の裏を流れる小川には“アズキアライ”と呼ばれる怪物がいるという。
そのため正月のキツネガリ行事の時、若衆はこの小川を走って渡ったという。
また湾内には“ミズチ”と呼ばれる怪物がいるという。

『民俗志林』第3号「アズキアライの伝承」より


伝承地:舞鶴市成生


鎮守の森の狐

鎮守の森の狐 (ちんじゅのもりのきつね)


円頓寺という寺の東の山麓に鎮守の森がある。
その裏山に鎮守の使いである夫婦の狐が棲んでおり、この狐が鳴くと村に凶事が起こると言われていた。
ある年、村に火事が起こり、円頓寺も類焼したので再建することになった。
だが資金繰りが思うようにいかず、仕方なく鎮守の森の木を切って売ることにした。
ところがその夜から、鎮守の森の狐が寺や村の世話役の家の周りを悲しげな声で鳴き回るようになった。
村人たちはまた災難が起きるのではないかと不安になり、本堂に集まって薬師如来に教えを乞うた。
すると薬師如来は「鎮守の森の木を切ると狐の棲み処がなくなる。狐はそれを悲しみ鳴いて訴えているのだ」と告げた。
そこですぐに鎮守の森の伐採を中止すると、その夜から狐は鳴き回らなくなった。
だが木を売らなければ寺を再建することが出来ないので、村人たちは毎晩寺に集まって相談を重ねた。
そんなある夜、赤子を背負った上品な佇まいの美女が寺を訪れ、和尚に「乳が出なくて困っています。ここのお薬師さんは乳を授けて下さるとのことなので、ご祈禱をお願いします」と頼んだ。
早速和尚は薬師如来に祈り、祈祷済みの札とお洗米を女に渡した。
すると女は「これはお薬師さんにお供え下さい」と言って、包みを置いて帰って行った。
包みを検めると、中には寺が再建出来る程の大金が入っていた。
村人たちは「鎮守の森の伐採を止めたので、狐がお礼に来たのだ」と話し合い、その金を使って円頓寺を再建したという。

『くみはまの民話と伝説』「鎮守の森の狐」より


用明天皇の時代、麻呂子親王は三上山(大江山)の鬼賊(英胡・軽足・土熊)を退治した後、丹後国内に七つの寺を建立して七仏薬師を安置しました。
円頓寺はその内の一つだと伝えられています。


伝承地:京丹後市久美浜町円頓寺


鳴く蝉錠

鳴く蝉錠 (なくせみじょう)


今田の八幡宮社に左甚五郎の作とされる蝉錠(蝉型の錠前)がある。
この蝉錠は季節外れに鳴き声を上げるので、人々は不思議がり稀代の宝として珍重していた。

慶長五年(1600)九月、福知山城主・小野木重勝は細川幽斎を討つべく丹後田辺城へ向けて出陣し、その途中で鍛冶屋村を攻撃した。
ただ一人生き残った女は八幡宮社の社に隠れたが、追っ手に扉の外から刀を五度(七、八度とも)突き通され殺された。
その時、偶然刀が蝉錠に刺さり、それ以来、蝉錠は鳴き声を上げなくなったという。

『豊郷村誌』「八幡宮社」
『あなたの話が聞きたい』「今田八幡宮」より



八幡宮社
八幡宮社は今田町と小西町の境に鎮座しています。
『豊郷村誌』には「社の扉に刺突した時の刀痕が残っている」とありますが、社殿は何度か改修されているため、もうその痕跡は残っていません。
改修の時に撤去されたのか、蝉錠も現存していないようです。


伝承地:綾部市今田町・八幡宮社


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