丹波・丹後の妖怪あつめ

京都府北部(丹波・丹後地域)の怪異妖怪伝承を紹介するブログです。

2024年07月

風ヶ鼻峠の狐

風ヶ鼻峠の狐 (かぜがはなとうげのきつね)


昔、大山の平井集落に寅さんという老人がいた。
ある日、寅さんは大下集落の親戚の家でご馳走になり、帰る頃には夜になっていた。
寅さんは土産を手に家路を急いだが、その日はずいぶんと酒を飲んでいたので、歩く程に酔いが回ってきた。
やがて風ヶ鼻峠まで戻った時、峠の上に小さな灯りがボーと浮かんでいるのが見えた。
一旦目を離した後、再び峠を見ると灯りは消えていたが、しばらく歩くと、またボーと灯りが見え隠れする。
そこで寅さんは帰り際、親戚に「狐にご馳走を狙われるかもしれないから気をつけろ」と言われたことを思い出し、見え隠れする灯りに注意を払いながら峠を越えた。
やがて墓地の入口まで来ると、そこに何匹もの狐が並んでいた。
寅さんは「お前ら、わしのご馳走を取ろうと思っても、そうはいかんぞ」と言って一番前の狐を抱え、田圃に放り投げた。
そして居並ぶ狐たちを次々に放り投げると、急いで家に帰り、家人に「ご馳走を取ろうとした狐たちを田圃に放り投げてやった」と自慢した。
翌朝、家人が確認に行くと、寅さんがもらったご馳走は道端に散らかり、墓地の入口にある六地蔵が全て田圃に放り投げられていた。
寅さんが放り投げたのは、狐ではなく地蔵だったという。

『大山区史』「狐に化された話」より


伝承地:京丹後市丹後町大山


神が宿る大岩

神が宿る大岩 (かみがやどるおおいわ)


西山地区の山に「大岩」と呼ばれる大きな岩がある。
この岩には神が宿ると信じられ、触ると肌が痛くなるという。
また、大岩の横に高さ一丈三尺(約3.9m)の、木肌に傷(穴)のついた赤松がある。
この赤松は神木であり、傷は神が駆け上がった足跡だという。

『京丹後市の民俗』「大岩」より


伝承地:京丹後市峰山町西山


義盛の塔

義盛の塔 (よしもりのとう)


西浜谷に“義盛の塔”と呼ばれる供養塔(宝篋印塔)がある。
寛延年中(1748~1751)、当時の領主がこの塔を他の場所に移した。
すると、塔が夜な夜な「浜谷に帰りたい」と泣くので、元の場所に戻したという。

『旅と伝説』5巻10号「伊勢三郎義盛の旧跡」より


義盛(伊勢三郎義盛)は源義経の家来とされる人物です。
義経一行は兄・頼朝と決別した後、しばらく篠山の三嶽山に潜伏していたとされ、その間に義盛は死亡したとも、鈴鹿山で自刃したとも、義経と共に奥州で討ち死にしたとも言われています。
義盛の塔と呼ばれる供養塔は、義盛の死後、西浜谷の村人たちによって建てられたと伝えられています。


伝承地:丹波篠山市西浜谷

狐の化け玉

狐の化け玉 (きつねのばけだま)


昔、ある狐が慶徳院の小僧に“狐の化け玉(しな玉)”を奪い取られた。
化け玉がなければ化けることが出来ないので、狐は「慶徳院へ取り返しに行く」と小僧に宣言した。
狐が来ることを知った小僧は、油揚げなどの食べ物を用意して待ち受けた。
そして狐は慶徳院に来たが、小僧が用意した油揚げや小豆飯に釣られ、食べている間に部屋に閉じ込められてしまった。
更に外から猟師に空砲を撃たれ、狐は「慶徳院の寺へはもうこんこんや」と言って逃げて行った。
それきり、狐が化け玉を取り返しに来ることはなかったという。

『久美浜町の昔話 ふるさとのむかしばなし』「狐の化け玉」より


「化け玉を取り返しに行く!」と小僧に言わなければ罠にはめられずに済んだのでは……。


伝承地:京丹後市峰山町五箇・慶徳院


塚の鳴の石龍

塚の鳴の石龍 (つかのなるのせきりゅう)


甲山に「塚の鳴」という石室(古墳)がある。
この石室の入口から3m程の所、左側に長さ30cm程の割れ目が入った大きな石がある。
昔、神野村の信心深い村人の夢に銀の蛇が現れ、「塚の鳴の石室に棲む石龍だ」と告げた。
翌朝、石室に行ってみると、夢のお告げ通り、石の割れ目に光り輝く石龍の姿があった。
やがて石龍の噂は近郷に広まり、石室に参詣する人は日に日に増えていった。
ところがある日、金持ちの老人が無作法にも石の割れ目に手をかけ、中を覗こうとした。
村人はすぐに老人を引き離して謝罪したが、その後、石龍は石室から姿を消してしまったという。

『続 熊野郡伝説史』「塚のなるの石龍(神野村)」より


塚の鳴古墳
久美浜町甲山の塚の鳴古墳。
田圃に囲まれた小さな森の中にあります。
石室の奥には観音像、地蔵、大師像?が祀られていました。


ひび割れた石
石室に入ってすぐ左側にひび割れた石壁がありました。
この石の隙間に石龍が棲んでいたのでしょうか。


伝承地:京丹後市久美浜町甲山・塚の鳴古墳


わらじが森

わらじが森 (わらじがもり)


鹿野から佐濃谷川の橋を渡り、浜詰へ行く道の途中に大田(だいでん)という池がある。
大田は神功皇后が三韓征伐の折に、ここを通ってついた足跡から出来たと池だという。
大田の近くには小さな森があり、ここで神功皇后がわらじを履き替えたことから“わらじが森”と呼ばれている。
この森に「しんぐ(神功?)さん」と呼ばれる小さな社があるが、社の方に向かって汚いことをすると、その場で神罰が当たるという。
昔、丹後鉄道の敷設工事が行われた時、ある人夫が知らずに汚したところ、たちまち腰から下が腫れて動けなくなったという。

『続 熊野郡伝説史』「わらじが森(神野村)」より


伝承地:京丹後市久美浜町鹿野、俵野(わらじが森の位置は不明)


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