丹波・丹後の妖怪あつめ

京都府北部(丹波・丹後地域)の怪異妖怪伝承を紹介するブログです。

2024年08月

飛出山の白狐

飛出山の白狐 (とびでやまのしろぎつね)


倉本池(五坊谷池)の上に本堂山という山があり、その中腹に稲荷神社が祀られている。
ある日、村人たちは篠山の有名な拝み屋を呼び、拝んでもらった。
すると、辺りが一瞬暗闇に包まれたかと思うと、銀色の光が走り、その中から真っ白な狐が飛び出した。
驚く人々を尻目に、狐は尾根伝いに墓山の方へ、まっすぐに飛び出して消えた。
それ以来、墓山の辺りを飛出山と呼ぶようになった。

『親と子のふるさと西紀の民話集』「飛出山の白ぎつね」より


墓山の裏には洞穴があり、時々、菰を被った狐が出て来て人を騙していたそうです。


伝承地:丹波篠山市坂本


狐の提灯行列

狐の提灯行列
(きつねのちょうちんぎょうれつ)


昔、十兵衛という碁の好きな百姓がいた。
ある夜、十兵衛が寺墓という所を通ると、向かいから提灯を灯した行列が現れた。
提灯は列が進むにつれ少しずつ大きなものになっていき、十兵衛の前を通る頃には高張提灯になっていた。
その次に綺麗な籠が通り、後から小さな提灯が三つ、並んで通り過ぎて行った。
そして行列は徐々に小さくなっていき、遂に消えてしまった。
その翌日も翌々日も、寺墓に来ると提灯行列が通るので、十兵衛は「おのれ、狐が化かしているな。馬鹿にしやがって」と腹を立てた。
そこで碁打ち仲間の栄助に相談したところ、「籠を鍬で叩いてみろ」と助言を受けた。
次の夜、十兵衛は鍬を持って寺墓へ行き、隠れて待っていると、やがて提灯を灯した行列が現れた。
そして高張提灯が通り過ぎ、綺麗な籠が前を通った瞬間、十兵衛は籠を鍬で殴りつけた。
すると「キャン、キャーン」という悲鳴が響き、大小の提灯や籠は消え、辺りは暗闇になった。
地面には牛の骨が落ちており、十兵衛は「これを咥えて化かしていたんだな」と考え、その骨を家に持ち帰った。
すると深夜二時頃、家の戸が激しく叩かれ「十兵衛さん、わしは栄助だ。良いものを拾ったそうだな、わしにも見せてくれ」と、外から栄助の声がした。
十兵衛は不審に思い、答えずにいると、バラバラッと屋根に石を投げ当てる音がした。
その音は凄まじく、十兵衛は「狐が骨を取り返しに来たんだ。この骨を持っていてはいけない」と思い、戸を開けて骨を外に放り投げた。
その途端、音は止んで静かになったという。

『丹後の民話 1 狐狸ものがたり』「狐のちょうちん」より


伝承地:京丹後市丹後町のどこか


牛神さん

牛神さん (うしがみさん)


牛神さんとは「内神さん」のことで、北村の氏神とも、大宮賣神社奥の院の神とも言われている。
明治初年に大宮賣神社の社殿の修理・改装を行った時、北村中の牛が変死するという事件が起きた。
これは内神さんの祟りだと恐れられ、それ以来、口さがない人々から「内神さんではなく、牛神さんじゃ」と言われるようになった。

『周枳郷土誌』「牛神さん」より


伝承地:京丹後市大宮町周枳


へら塚の松

へら塚の松 (へらづかのまつ)


昔、南広瀬付近に「へら塚」という塚があり、そこに枯れかけた大松が生えていた。
ある時、この松を数人で切り倒したところ、中から沢山の蛇が出て来た。
その後、村人に病気や怪我が相次いだため、お祓いをして祠を建てたという。

『郷土よしとみ』「八木中学校前のほこら」より


へら塚の祠
へら塚の祠は住宅街の道路脇に祀られています。
祠の中にある大きめの石は御神体?
ちなみに後ろの案内板には、参考にした『郷土よしとみ』と同じ文言が書かれています。


伝承地:南丹市八木町南広瀬


滑らの河童 / 北山の豆狸

滑らの河童 / 北山の豆狸
(なめらのかっぱ / きたやまのまめだぬき)


昔、宮田川の滑らという深い淵に、悪戯好きの河童が棲んでいた。
河童は昼は淵で遊んでいるが、飽きると井堰まで来て村人をからかい、夜になると村境にある湫(ふけ)という竹藪の中で眠っていた。
また、近くの北山には悪戯好きの豆狸が棲んでいた。
豆狸は昼は天王の森で寝ているが、夕方になると街道に出て来て村人に悪戯をしていた。
こうして昼は河童、夜は豆狸と交互に悪戯されるので、村人たちは大変困っていた。

ある時、村一番の腕白坊主の庄吉は、河童と豆狸を懲らしめてやろうと考えた。
まず庄吉は滑らの水をせき止め、河童を退治しようとしたが、何日経っても淵の水は減らず失敗に終わった。
だが庄吉は挫けず、次は豆狸を退治する計画を立てた。
庄吉は「豆狸は酒が大好きだ」という祖父の言葉を思い出し、家から祖父が大切にしている一升徳利を持ち出して天王の森へ向かった。
そして酒を餌に待ち続けたが、豆狸は一向に現れなかった。
庄吉は暇を持て余し、酒を一口舐めてみたところ、あっという間に酔いが回り、徳利を抱えたまま眠ってしまった。
すると祖父が夢枕に立ち「豆狸を退治したいなら『小豆三升に米三升、合わせて供えてガーシャガシャ』という呪文を三回唱えるといい。河童も豆狸の親類みたいなものだから、この呪文を聞いたらいなくなるだろう」と告げた。
庄吉は夢から覚めた後、ふと天王の森を振り仰ぐと、小豆と米が三升ずつ載せられた三宝と、庄吉が抱えていたはずの一升徳利が神前に供えられていた。
それ以来、滑らの河童も北山の豆狸も姿を現さなくなったという。

『親と子のふるさと西紀の民話集』「北山の豆狸と滑らの河童」より


何故か参考書籍では河童&豆狸を退治するシーンが省略されていますが、おそらく庄吉は祖父のアドバイスを元に呪文を唱え、二匹を懲らしめることが出来たのでしょう。
それにしても、孫の夢枕に立って的確なアドバイスする祖父は一体何者なんだ……。


伝承地:丹波篠山市高屋、黒田


日天貝、月天貝

日天貝、月天貝
(にってんがい、げってんがい?)


昔、日間の湊(久美浜町湊宮)に弥一という腕利きの船乗りがいた。
ある日、弥一は船員と共に海へ出たが、暴風雨に襲われて遭難し、漂流の末、見知らぬ小島に流れ着いた。
島に上陸すると、森の木の陰から全裸の人が弥一たちを見つめていた。だが、弥一たちが近づくと森の中へ逃げて行った。
一行はやむなく船に戻ったが、夜になると松明を持った全裸の人たちが浜辺に現れ、供物を捧げたり呪文を唱えたり、祭のようなことを始めた。
弥一がその人たちに近づくと、頭目らしき人が身振り手振りで説明した。
「昔、この島に日本人の一隊が流れ着いた。その人たちは強く賢かったので、島の者は皆心服していた。その頃、島に災いを起こす龍がいたが、その人が退治してくれた。だが日本人も皆討ち死にしてしまった。その時、龍の持っていた珍しい貝が二つ残されたので、我々は形見として大切に保管していた。今日はあなた方にその貝を受けとっていただくために来たのです」
その後、弥一たちは島民の援助を受けて船を修理し、別れを告げて島を離れた。
そして故郷に帰り着き、弥一は村人たちに不思議な島での体験を語った。
やがて夜も更けた頃、家の奥の間から人の話し声のような、波音のような騒がしい物音が聞こえてきた。
奥の間を見に行っても何も変わったところはないが、戻るとまた同じような物音がする。
そうして、寝床と奥の間を何度も往復している内に夜が明け、結局弥一と家族は眠ることが出来なかった。
物音はその後も毎晩続いたので、弥一は「これはあの島から持ち帰った貝の祟りに違いない。あの貝は我々のような常人が持つべきものではないのだ」と考え、島民からもらった二つの貝を岩船神社に奉納した。
するとそれ以来、不思議な物音は聞こえなくなったという。
この二つの貝は「日天貝」「月天貝」と呼ばれ、今も岩船神社に社宝として保管されている。
だが拝観は許されず、もし盗み見でもすれば、村が天変地異に見舞われると言い伝えられている。

『続 熊野郡伝説史』「日天貝月天貝(湊村)」より


岩船神社には二つの貝の他、長者の娘から抜け落ちたという角が社宝として保管されています。


伝承地:京丹後市久美浜町湊宮


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