丹波・丹後の妖怪あつめ

京都府北部(丹波・丹後地域)の怪異妖怪伝承を紹介するブログです。

2024年10月

落武者の鎧兜

落武者の鎧兜 (おちむしゃのよろいかぶと)


昔、ある落武者が角村の村人の家に泊まり、一泊のお礼に鎧と兜を置いていった。
村人はその二品を家宝として大切にしていたが、家人以外の者が見ると、必ず腹痛や頭痛を起こすなど身体に異常を来した。
村人は恐ろしくなり、鎧兜を広瀬境の峠の頂上に埋め、その上に祠を建てて祀った。
だが、祠も鎧兜もいつの間にか失われてしまったという。

『和知町 石の声風の音』「角 釈迦堂」より


不潔な人が近づくと動けなくなる鎧。


伝承地:京丹波町角


五升み

五升み (ごしょうみ)


半国山にからと淵という滝がある。
昔、大河内(南丹市)の人がこの淵で釣りをしていると、頭が五升み(箕)程もある大きな蟒蛇が現れた。
その人は家に逃げ帰り、「五升みがおった。五升みがおった」と喚き歩いたという。
また、からと淵にはすごい長もの(蛇)がいて、見た人は必ずうわ言を言って長患いするという。

『忘れかけたふるさとのお話』「からと淵」より


昭和の頃、猟師が細谷という所で、頭がてんころ(藁打ちの時に使う木槌)程もある蛇を見て十日以上寝込んだという話もあります。


伝承地:亀岡市東本梅町・半国山


南谷のお稲荷さん

南谷のお稲荷さん (みなみたにのおいなりさん)


大正の頃、峰山町出町の人々は、間人(丹後町)の正勝稲荷神社の御代さん(*)の所にお参りしていた。
だが、御代さんが祈祷したところ、正勝稲荷のお稲荷さんが「わざわざ間人まで参らなくても、私は峰山の南谷にいる」と告げた。
早速、南谷の荒神の祠辺りを探すと、狐の穴があったので、人々はそこに社を建ててお稲荷さんを祀った。
このお稲荷さんの狐は「運艦山」から「向はげ」という所が遊び場で、よく姿を見かけたという。
社が出来た時は火の玉が松の木を伝い、荒神の祠まで下りたこともあった。
また、土産店を営む興三という老人は、参拝者が祭壇に供えた油揚げを回収し、再利用して売っていたが、お稲荷さんに叱られて気が狂ってしまったという。
子供たちはお稲荷さんの狐を追い回したり、棲み処の穴を竹で突いたりと悪戯をしていたが、誰にも罰は当たらなかったという。

『丹後の伝説 ふるさとのはなし』「お稲荷さんの出来った話」より


(*)稲荷の神を降ろして託宣を行う人。神の依代となる人。


伝承地:京丹後市峰山町安(稲荷社の位置は不明)


上臈池の亡霊

上臈池の亡霊 (じょうろういけのぼうれい)


戦国時代、猪崎の高台に城があった。
だがある時、隣の城の軍勢に攻め込まれ、猪崎軍は全滅、城主も討ち死にした。
城主の奥方と幼い娘は城から落ち延びたが、国境の三坂峠で追手に捕らえられた。
そして奥方がお茶用の湯の水として使っていた上臈池(女臈池とも)の畔で首を切られ、池は二人の血で真っ赤に染まった。
その夜、隣の城では勝利を祝う宴が盛大に開かれたが、深夜になった頃、突然、一人の侍が悲鳴を上げて腰を抜かした。
その侍は奥方と娘を斬首した者で、手にした杯の酒が真っ赤な血の色に染まっていた。
侍だけでなく、大将の杯の酒も血が滲んだように赤く染まっており、宴の席は騒然となって皆我先に逃げ帰った。
それ以来、隣の城では奇妙なことが続き、大将も家来も原因不明の病で次々に死んでいった。
更に真夜中になると、上臈池に上臈姿の亡霊が出て、柄杓で水を汲む音をさせるようになった。
村人たちは哀れに思い、上臈池の畔に祠を建てると亡霊は現れなくなったという。
また、上臈池には腹の赤いイモリ(アカハライモリ)が棲んでいるが、これは奥方の血で染められたのだと言われている。

『福知山の民話と昔ばなし集』「上臈池(女臈池)」より


『京都 丹波・丹後の伝説』では、「敵軍の酒宴で杯の酒が赤く染まった時、壁に血で“よくも娘まで”と殴り書きされていた(後に敵将を憎む猪崎の村人の報復行為と判明)」「赤く染まった酒にビビって逃げ出した侍たちが上﨟池まで来ると、水面に奥方と娘の亡霊が立っていた」と、幾つかの怪異エピソードが追加されています。

その他、「猪崎城に潜入していた女スパイが捕まり、上臈池で斬首されてから、池に棲むドジョウの腹が赤くなった」という話も伝えられています。(『猪崎城山 橘城主とその奥方にまつはる伝説の跡を尋ねて』)


伝承地:福知山市猪崎(上臈池は現存していない)


浮島の天女

浮島の天女 (うきしまのてんにょ)


昔、舞鶴の浜の近くに浮島という小島があった。
ある時、男が浮島へ魚釣りに行ったが、全く釣れず、退屈で眠ってしまった。
ふと目を覚ますと、どこからか何とも言えない香りが漂ってきた。
島の北側に生えた松を見上げると、柔らかそうな白い布が風にたなびいていた。
その近くの岩場では、白い肌や乳房が透けて見える程の薄い衣を着た女が、海に足を浸けて楽しそうに水面を叩いていた。
男が松にかけられた布を手に取ると、とても軽く、麝香のような香りがした。
すると女が近づいてきて、手振りで「布を返してくれ」という仕草をするので、男が布を差し出すと、ふわりと浮いて女の手の中に収まった。
そして女は布を纏うなり、岩陰に隠れてしまった。
その途端、水面から沢山の魚が飛び上がったので、男は女のことも忘れて釣りに夢中になった。
すると岩陰から白い煙が上がり、白いものが空へ昇っていった。
男は沢山の魚を持って家に帰り、母に今日の出来事を話すと、「それは羽衣だ。良いことをしたね」と言われた。
それ以来、布がかかっていた松を「羽衣の松」と呼ぶようになった。

『舞鶴の民話 第二集』「羽衣の松(新舞鶴)」より


おそらく女は天女で、素直に羽衣を返してくれたお礼に魚を釣らせてあげたのでしょうか。


嶋満神社
溝尻の嶋満神社。
小高い山の上に社殿があります。
かつて嶋満神社一帯は海でしたが、現在は埋め立てられて住宅地になっています。


嶋満神社遠景
嶋満神社遠景。
木々に覆われて社殿は見えません。
嶋満神社がある小山は、潮の満ち引きで浮き沈みしていたことから「浮島」と呼ばれていました。
神社の案内板によると、昔この辺りは船の要港で、度々妖族が侵入していたため、浮島の山頂に宇佐大神を祀り、八幡嶋満大神として崇敬したそうです。
残念ながら「羽衣の松」は現存していません。

ちなみに、京丹後市峰山町にも天女の伝説がありますが、こちらは強欲老夫婦のせいで天女がひどい目に遭う話になっています。

●比治山の天女伝説
ある老夫婦が比治山の真名井の池で天女を見かけ、羽衣を隠した。
羽衣をなくし、天に帰れなくなった天女は老夫婦に引き取られ、十余年を人里で暮らした。
天女は万病に効く酒を作ることが出来たので、老夫婦はそれを売って大富豪になった。
すると老夫婦は「お前はうちの子じゃないから出て行け」と言って、天女を追い出した。
天女は天に帰ることも出来ず、悲嘆に暮れながら村々を放浪した後、船木の奈具村に留まった。(『丹後国風土記逸文』)


伝承地:舞鶴市溝尻・嶋満神社周辺


葦原の白蛇

葦原の白蛇 (あしはらのしろへび)


天正三年(1575)九月十九日、黒井城の城主・赤井直正は丹波に侵攻した明智光秀軍と交戦していた。
やがて赤井軍は退却を装い、明智軍を黒井の葦原の沼地に誘い込んで一気に殲滅しようとした。
するとその時、黒井城から放たれた伝達の矢文が葦原の中に落ちた。
両軍は矢文を得ようと葦原の中へ入って探したが、どこにも矢文はなく、踏み荒らされた葦の上に真っ白な蛇がうずくまり、明智軍に向かって鎌首をもたげていた。
白蛇に驚いた明智軍は逃げ出し、赤井軍は「これこそ明神の化身に違いない」と士気を上げた。
そして赤井軍の猛攻により明智軍は壊滅し、光秀は近江の坂本城まで敗走した。
その後、赤井軍は白蛇が現れた葦原に、葦原明神の祠を建てたという。
この祠には、代々白蛇が棲むと言われている。

『春日町誌 第四巻』「黒井の葦原明神」より


葦原明神の祠
葦原明神の祠。
工場と住宅の間の狭い路地にひっそりと祀られています。
おもちがお供えされていました。


伝承地:丹波市春日町黒井

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