丹波・丹後の妖怪あつめ

京都府北部(丹波・丹後地域)の怪異妖怪伝承を紹介するブログです。

2024年11月

権現さんの大蛇

権現さんの大蛇 (ごんげんさんのだいじゃ)


峰山藩の殿様はがさい(荒っぽく)力のある人だった。
その頃、峰山の権現さん(権現山)に大きな池があり、大蛇が棲んでいた。
ある日、殿様は「今日は相談に行く」と言って権現さんの池へ行き、「権現、お目にかかろうか」と声をかけた。
すると水面に渦が巻き、その中から大蛇が顔を出した。
それを見た殿様が「権現、それでは見苦しいぞ」と言うと、大蛇は若侍に姿を変え、池から上がって対面したという。

『おおみやの民話』「殿さんと蛇体」より


豪胆な殿様だ……。


伝承地:京丹後市峰山町吉原・権現山


しおほっさん

しおほっさん


神功皇后の時代、竹野川の流域一帯は海の底で、付近の村々は高い山中にあった。
その頃、大山に神が住んでおり、人々のために海水を飲み干して田圃を作ろうと考えた。
そして神は海水をゴクゴクと飲み、次々に田圃を拓いていった。
だが、海水があまりに塩辛かったので飲み干すことが出来ず、2m四方の水溜りが残った。
それから竹野川流域は肥沃な穀倉地帯に変わり、人々の暮らしは豊かになった。
人々は神に感謝し、飲み残しの水溜りのそばに神社を建て“しおほっさん”と呼んで崇めたという。

『丹後の伝説 ふるさとのはなし』「しおほっさん」より


志布比神社
志布比(しぶひ)神社。右の社号標は「志希以神社」とも読めます。
祭神は志夫美宿禰命(塩干大明神)で、扁額には「塩干神社」とありました。
塩干大明神は麻呂子親王の弟で、兄に従って丹後の三鬼を退治したと伝えられています。(『丹後国竹野郡誌』)

広い境内
境内は広場になっていて、右側にはブランコとすべり台がありました。
しおほっさんが飲み残した水溜まりは、明治の初め頃まで残っていたそうです。(『京都府の地名』)


海水を飲み干そうとした仁王。


伝承地:京丹後市丹後町大山・志布比神社


駕籠に乗る狐

駕籠に乗る狐 (かごにのるきつね)


昔、三坂村で葬式があり、安心院の順法という尼僧が呼ばれた。
葬儀を終え、順法は寺へ帰っていたが、その途中、干塩稲荷神社の下で駕籠かきとすれ違った。
ふと振り返って見ると、駕籠から太い尻尾が下がっていたので、驚いて逃げ出した。
その時近くにいた村人は、慌てて走る順法を見て不思議に思い、寺を訪ねて「どうしたんだ、順法さん」と声をかけた。
すると、順法は再び狐が化けて来たと勘違いし、「また来たかあー」と大声で喚いたという。

『周枳郷土誌』「また化かされる」より


狐が駕籠かきを化かして駕籠に乗っていたのか、そもそも駕籠かき自体が狐の化けたものだったのか……。


三坂地区の狐の話。


伝承地:京丹後市大宮町三坂

縮むお堂

縮むお堂 (ちぢむおどう)


中世木の念仏寺のお堂は、一本の大木を使って建てられたという。
天正年中、明智光秀は丹波亀山城の築城のため、このお堂の材木を利用することにした。
ところが、木の尺を測り、「明智」の刻印を捺し、いよいよお堂を壊そうとした時、材木がことごとく一寸(約3cm)余りも縮んだ。
これを見た光秀は作業を中止し、念仏寺は破壊を免れたという。

『船井郡名勝史蹟案内 第一号』「念仏寺」より


念仏寺のお堂の材木には、今も「明智」の刻印が残っているそうです。


伝承地:南丹市日吉町中世木・念仏寺

白狸

白狸 (しろだぬき)


西別院村犬甘野に“白狸”と呼ばれる有名な狸がいる。
白狸は人を化かす時には必ず大入道となり、通行人の前に立ち塞がったり、前を見えなくしたりして、持っている魚を盗むという。
この白狸の被害に遭った人は多いという。

『口丹波口碑集』「狸の話」より


名前の通り、白い毛の狸なんでしょうか。


伝承地:亀岡市西別院町犬甘野


篠山の怪談七不思議

篠山の怪談七不思議 (ささやまのかいだんななふしぎ)


丹波篠山市の篠山城周辺(主に東側)には、七つの妖怪談が伝えられています。

①観音橋の夜泣榎
観音橋のそばに十二尺(約3.6m)程の古い榎があった。
夜にこの木の下を通ると、さも悲しげな声を出して泣くという。
特に雨の夜は泣き声が物凄かったが、切られて今は残っていない。

②土手裏のおちょぼ
観音寺前の小路を南に入って東へ向かい、京口橋までの間にある藪中の裏道を「土手裏」と言う。
夜にこの道を通ると、兀僧(がっそう)頭のおちょぼ(可愛らしい少女)に出会う。
このおちょぼに声をかけ、振り向いたその顔を見ると、目も鼻もないヅンベラボウ(のっぺらぼう)の顔が夜目にもはっきり見えるという。

③川ン丁の鼻黒
梅の小路の橋から川に沿って小川町までの「川ン丁」という所に出る怪物で、鼻の頭が黒い奴だという。
王地山の開帳の時は「砂持ちせん者鼻黒じゃ」とさかんに言われた。

④坪井屋敷のツルベ落し
坪井という旧士族の屋敷に榧の大木があり、夜に木の下を通ると生首が落ちてくるという。
だがこれは、髢(かもじ…ヘアエクステのようなもの)をつけた徳利を樹上に吊っておき、人が通れば縄を弛めて落とすという悪戯だった。
人為的なものだとわかるまでは「ツルベ落し」と呼ばれ、怪談の一つになっていた。

⑤田代の前
東の馬出の堀沿いにある田代家は、北向きの家なので前の道路が悪かったという。
「思うても田代の前は通るなよ昼はいてどけ夜は化物」という言葉が残されている。

⑥一本松の見越の入道
篠山鳳鳴高校の横に一本松が生えていた。
雨の夜に傘をさしてここを通ると、突然傘が重くなる。
見上げると、後ろから傘を越して大入道がゲラゲラと笑うという。

⑦番所橋の酒買い小僧
秋の終わり頃の雨がそぼ降る夜、妙福寺の東の小川に架かる番所橋を、三尺(約90cm)足らずの小僧が裸足で徳利を下げて通るという。
これに出遭うと体の中がゾクゾクして恐ろしくなり、小僧を見ると、顔の真ん中に丸い一つ目がピカピカと光っているという。

『多紀郷土史考 下巻』「篠山の怪談七不思議」より


③は名前だけで、どういう妖怪なのかよくわからないそうです。
ちなみに「砂持ちせん者鼻黒じゃ」という囃し言葉については『大阪伝承地誌集成』にその由来が書かれています。

寛政元年(1789)、大阪の玉造稲荷神社で砂持(川浚いで出た土砂を使い神社の土地を均す作業)という労働奉仕があった。
だが傘屋の息子は商売以外に関心がなく、砂持も不参加を決め込んだ。
近所の人々が熱心に誘うも全く応じず、腹を立てたある若者が墨を塗りつけた手を傘屋の息子の顔にベッタリとなすりつけた。
人々は鼻を墨で真っ黒にされた傘屋の息子を見て大笑いし、そこから「砂持ちせん者鼻黒じゃ」という囃し言葉が流行った……とのこと。


伝承地:丹波篠山市・篠山城周辺


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