丹波・丹後の妖怪あつめ

京都府北部(丹波・丹後地域)の怪異妖怪伝承を紹介するブログです。

2024年12月

藤の森

藤の森 (ふじのもり)


昔、市島町矢代の国道175号線沿いに“藤の森”という蔦を絡ませた藤の茂みがあった。
過去にはこの藤を切ろうとした人もいたが、その度に怪我をしたり急病になったり火事に遭ったり、果ては一家三人が続けて死亡するなどの不幸に見舞われたので、誰も近づかなかった。
これは天正七年(1579)、明智光秀の侵攻によって黒井城(赤井氏居城)が落城した時、明智方の手引きをした村人一家三人が赤井軍の残党にこの地で惨殺されたためだと言われている。
また一説には、赤井軍の落武者七人がこの地で生き埋めにされ、その内の一人が持っていた法華経の経文の心が、死者の恨みと共に藤に乗り移ったとも言われている。
そのため昭和三十四年(1959)、大乗寺の伊藤妙降という尼僧が藤の供養を始めたという。
一方、昭和五十九年(1984)、広島県呉市の井上夫妻が大日如来のお告げを受け、この地に移住した。
そして役場の許可を得て藤の茂みを切り払い、祠を建て「藤乃院」と刻んだ黒御影石を祀ると、それから祟りは起こらなくなったという。

『兵庫の怪談』「藤の森」より


井上夫妻は「藤の森を放置していては落武者の霊も浮かばれないだろうから、退職金をつぎ込んで整備した」と語っていたそうです。すごい信心。

ちなみに本文では「赤井軍の落武者七人がこの地で生き埋めにされた」とありますが、氷上郡の郷土本『多利郷土誌』ではちょっと違った話が語られています。
戦国時代、黒井城の麓に「橋爪」と名乗る金造師の一団がいて、ふじ乃という老婆をリーダーに据え、採鉱で生計を立てていました。
ですがある時、ふじ乃は明智方のスパイに黒井城の秘密の水源地を教えてしまい、城は水の手を止められて落城しました。
赤井軍の残党は落城の原因がふじ乃であることを知り、橋爪の一団を皆殺しにした後、ふじ乃を含む家族七人を生き埋めにしました。
ふじ乃らが生き埋めにされた所が市島町矢代の国道175号線沿いの「藤の森」(または「藤塚」)で、そこを触れば祟りがあると言って長い間恐れられていたそうです。


藤の森
藤の森。
国道沿いの一角に小さな祠と地蔵が祀られています。
この辺りに藤の茂みがあり、昔は「藤の森の写真を撮れば亡霊たちの恨めしげな顔が写り込む」なんて噂されていたそうです。
祠の前には「藤乃院」と刻まれた小さな石柱が建てられています。
見た感じ黒御影石ではなく普通の御影石っぽいですね。作り替えられたのかな。


伝承地:丹波市市島町矢代


死の穢れを嫌う神

死の穢れを嫌う神 (しのけがれをきらうかみ)


大川神社はお産の神様として信仰されている。
この神は死の穢れを忌み嫌っており、穢れの落ちていない人が知らずに参詣しようとすると、下駄の鼻緒を切ったり腹痛を起こしたりして教えるという。
それらの忠告を無視して強引に参詣した人は、境内で思いがけない怪我をすると言われている。
だが出産は神前で行っても問題ないという。
また大川神社へ安産祈願に詣でた時、一の鳥居をくぐってから初めて会った人と同性の子が生まれるとも言われている。

『旅と伝説』6巻7号「京都府舞鶴付近」より


大川神社についてはこちら。


伝承地:舞鶴市大川・大川神社


ドッテンガエシ

ドッテンガエシ


美山町佐々里では、幻の怪獣ツチノコのことを“ドッテンガエシ”と呼ぶ人もいる。
ドッテンガエシは体長30~40cmと太短く、胴体は黒く、目玉は光っている。
敵を攻撃する時はドッテンドッテンと縦に転がりながら頭突きを喰らわせるような形で体当たりし、その瞬間に毒を吹くという。
明治・大正の頃は時々人里に現れ、目撃されることもあったという。

『近畿民俗』136,137号「丹波美山の言葉と民俗」より


参考資料の筆者・西浦左門氏の祖母もツチノコ(ドッテンガエシ)を目撃した一人だと言われています。
祖母は「(明治の中頃?)山裾の田圃で草刈りをしていると、頭上の高岸からツチノコが転がってきたので咄嗟に身をかわして難を逃れた」という体験談を西浦氏の母に語っていたそうです。


その他のツチノコ。多いですね。


伝承地:南丹市美山町佐々里


竜になった尼僧

竜になった尼僧 (りゅうになったにそう)


昔、滝馬の金引の滝付近に吉祥院という寺があった。
吉祥院最後の住職となった尼僧は、寺の下にある白竜の滝に身を投げたという。
当時、白竜の滝は底なしと言われており、青黒く渦を巻く滝壺に浮かんだ尼僧の死体を見た人々は「尼僧がアオリイカになった」と恐れたという。
また一説には、尼僧は竜になって滝の上の不動尊を守護したとも伝えられ、母竜は洞窟に通じる重岩に、子は下流の分宮(和貴宮)神社に棲んだという。
そして聖川(白竜の滝下流の川?)は、竜の親子が通う道と言われている。

『わがふる里 滝馬』「金引の滝にまつわる伝説」より


母竜と子(子竜?)が登場しますが、参考書籍には竜親子についての説明がないので詳しいことはわかりません。
尼僧が竜になった後に産んだ子供でしょうか。
となると母竜子竜の他に父竜もいる……?


伝承地:宮津市滝馬


日ヶ谷の白狐

日ヶ谷の白狐 (ひがたにのしろぎつね)


昔、日ヶ谷に老婆が住んでおり、家の前に小さな洞穴があった。
その洞穴に一匹の白狐が棲んでいたが、大根を盗んだり、娘に化けて餅と騙して馬糞を食べさせたり、いつも悪戯をするので村人から嫌われていた。
ある雪の夜、老婆が家で大根を煮ていると、村人が来て「白狐が死んでいるぞ」と言った。
老婆は急いで外へ出たが、白狐の姿はどこにもなく、「白狐に一杯食わされた」と慌てて家の中へ戻った。
すると大根を煮ていた鍋は空になっており、囲炉裏の前では白狐がグーグーといびきをかいて眠っていた。
怒った老婆が薪で殴りかかると、白狐はパッと起き上がり、外へ逃げて行ったという。

『子どもがつづる丹後の歴史』「昔話白ぎつねを聞いて」より


大根を平らげた後も逃げずにその場で呑気に眠りこけるとは……大胆な狐ですね。


伝承地:宮津市日ヶ谷


人取り川の河童

人取り川の河童 (ひととりがわのかっぱ)


昔、川北村の東に弥勒菩薩を祀る寺(川北の大園寺?)があり、すぐ北の街道に面して「北面の弥勒」と呼ばれるお堂が建っていた。
だが北面の弥勒の威光を畏れてか、荷を背負った牛馬がお堂の前まで来ると一歩も進まなくなるので、人々は困っていた。
また、お堂の南を流れる篠山川には橋がなく、人々は川の中を歩いて対岸に渡っていた。
だがその途中で、川に棲む大きな河童に取って喰われることがあり、旅人は無事に渡ることが出来たら、故郷へ「川北の人取り川を無事渡り終えました」という手紙を送る程だった。
そこで寺の住職は「北面の弥勒を南面に変えれば牛馬も問題なく通れるし、河童も弥勒様に睨まれて人を取らなくなるだろう」と考え、お堂を南向きに変えた。
するとそれからは牛馬も立ち止まることなく歩き、川の河童も大人しくなったという。

『親と子の ふるさと西紀の民話集』「人取り川と後堂」より


篠山川
篠山川(西紀大橋付近)
かつて篠山川は暴れ川で、橋がなかった頃は対岸に辿り着けずに溺死する人が多かったそうです。
ちなみに『郷土の民話(丹有編)』にも人取り川の話があります。
こちらは川北地区より上流の大山地区が舞台で、篠山川に棲む大蛇が洪水の度に大鯰や鯉、鰻などに変化して人を取っていましたが、ある商人の功徳によって心を改め、二度と人を取らないと誓い天に昇った……という話になっています。

後堂
川北の後堂。弥勒堂とも呼ばれています。
篠山川の近くにあり、街道(写真右側)を背にして建っていることから「後堂」と呼ばれています。


伝承地:丹波篠山市川北


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