丹波・丹後の妖怪あつめ

京都府北部(丹波・丹後地域)の怪異妖怪伝承を紹介するブログです。

2025年01月

逃げた本尊

逃げた本尊 (にげたほんぞん)


昔、大内に金持ちの家があった。
この家の主人はケチで、仏壇にお供えをせず、お経も読まず、寺へは一度も参らず、近所付き合いもしないという人物だった。
ある日、主人は所用で京都へ出かけ、その帰り道に海老坂峠の辺りまで来た時、一人の坊主に出会った。
その坊主は「長い間お世話になりましたが、帰らせてもらいます」と言い、去って行った。
主人は「どこかで見たことのある坊主だな」と不思議に思いながら家に帰ると、室内に草鞋の足跡がついていた。
足跡は奥の間の仏壇まで続いており、中を見ると本尊がなくなっていた。
主人は「海老坂峠で出会った坊主は家の本尊さんだったのか」と驚き、これまでの行いを深く反省したという。

『ふるさと美山の生活誌』「本尊さんが逃げた」より


毘沙門天像のお引っ越し


伝承地:南丹市美山町内久保


がが太郎

がが太郎 (ががたろう)


昔、ある村人が小浜谷という所へ行くと、綺麗な色男が休憩していた。
色男はがが太郎(河童)で、村人に「橋本の永島家に綺麗な娘がいるので嫁に欲しい」と伝えた。
だが永島家の主人が「河童なんぞには嫁にやれん」と言って断ると、がが太郎は怒り、娘を川の中に引きずり込んで殺してしまった。
すると主人は怒り狂い、包丁を手にがが太郎の所へ直談判に行った。
がが太郎は鉄や刃物が怖いので、「和田野(弥栄町)から大山の志布比神社(丹後町)の間は荒らさないので許してくれ」と平謝りし、証文を書いて許しを得た。
その翌日から毎朝、がが太郎は永島家の戸口の竹の杭に色々な魚を刺しておくようになり、それが何年か続いた。
だがその内に竹が曲がってしまったので、鉄の杭に交換したところ、がが太郎は鉄を怖がり、それからは何も持って来なくなったという。

『京都の伝説 丹後を歩く』「がが太郎の詫び証文」より


がが太郎の淵跡

丹後町徳光・竹野川支流の小川。
昔、この辺りにがが太郎の棲む淵があったそうです。
竹野川が河川工事で改修される以前、川はこの付近で大きく湾曲し、深い淵となって渦巻いていました。
その淵で溺死した人もあったらしく、人々は「がが太郎に引きずり込まれたのだ」と言っていたそうです。

参考資料には他にもがが太郎の話が載っています。
ある時、徳光の淵に棲むがが太郎が永島家の娘に「嫁になれ」と直接求婚したところ、それを聞いた家の老婆が出刃包丁を咥えて淵に潜り、がが太郎に詫び証文を書かせた……という内容で、こちらも永島家の出来事として伝えられています。老婆強い。
この時がが太郎に書かせた詫び証文は、今も永島家に保管されているんだとか。

また、弥栄町と丹後町の境にもがが太郎の棲む深い淵があり、村人がその淵のがが太郎に「向こうの淵のがが太郎に手紙を届けてほしい」と頼まれ、途中で手紙を開いたところ「この手紙を持って来た奴を殺せ」と書いてあったので驚いて逃げ帰った……という「水の神の文使い(沼神の手紙)」タイプの話も伝えられています。


伝承地:京丹後市丹後町徳光


孝行蓮

孝行蓮 (こうこうはす)


東別院村東掛に心学(石門心学)の創始者・石田梅岩の生家があり、そばの池に蓮が植わっている。
ある年の冬、病床の梅岩の母が「蓮の花が見たい」と願った。
冬に花は咲かないと思いつつ、梅岩が池に行くと、不思議なことに蓮の花が咲いていたという。
そのことから、この池の蓮は“孝行蓮”と名づけられた。

『口丹波口碑集』「冬のはすの花」より


ほっこりするお話。


伝承地:亀岡市東別院町東掛


蛇谷の大蛇

蛇谷の大蛇 (じゃだにのだいじゃ)


権現山の蛇谷には、山の主である胴回り20cmの大蛇が棲んでいるという。
昔、安村のある老婆が、椎の巨木の洞から長い舌を出している大蛇を見た。
その後、老婆は三日間高熱を出した末に死亡したという。
また、吉田鹿造という人が権現山の見回り中に大蛇と遭遇し、発熱して寝込んだという話も伝えられている。

『権現山物語』「蛇谷と赤子谷」より


赤ちゃんの泣き声が聞こえる谷

権現山の大蛇と豪胆な殿様


伝承地:京丹後市峰山町吉原・権現山


前浜のイガなし栄螺

前浜のイガなし栄螺 (まえはまのいがなしさざえ)


昔、大物主神が出雲から海上を旅をしている時、丹後の琴引浜で船に穴が開いた。
すると栄螺の貝殻のイガ(トゲ)が取り除かれ、船の穴を塞いでくれたので沈没せずに上陸することが出来た。
そのため、大物主神が上陸した前浜の栄螺の貝殻には今もイガがないという。

『京丹後市の民俗』「白瀧神社」より


鮑が船の穴にくっついて沈没から救う話は青森県や新潟県など海辺の地域に見られますが、栄螺が助けるパターンは珍しいですね。
他の地域にもあるのかな。

琴引浜
網野町掛津の琴引浜。
鳴き砂の浜として有名で、その名の通り歩くとキュッキュッという音がします。

前浜
この辺りの浜(琴引浜駐車場の下)を「前浜」と言い、栄螺に助けられた大物主神はここから上陸したと伝えられています。

白瀧神社
白瀧神社。
大物主神(大国主神)を祀る神社で、琴引浜の目の前にあります。
ちなみに『網野町誌 下巻』では「大物主神は栄螺の殻に乗って浜に漂着した」とされています。少名毘古那っぽい。


伝承地:京丹後市網野町掛津・琴引浜


蛇池の大蛇

蛇池の大蛇 (へびいけのだいじゃ)


津母の「蛇池」は、どんな旱魃でも涸れたことがないと言われている。
昔、この池に大蛇が棲んでいて、靄のかかった雨の日になると美女に化けて現れていた。
ある時、美女に化けた大蛇は村の男に見初められ、結婚して女児を産んだ。
ところが、出産の時に大蛇であることを男に知られてしまい、離縁されてしまった。
大蛇は離縁された後も男がいない時に家を訪れ、女児に乳を飲ませて育てていた。
やがて女児は成長し、着物や本を欲しがるようになったが、家は貧乏で買ってやることが出来なかった。
すると見知らぬ旅人が家を訪れ、女児に着物や本を与えて去って行った。
そんなある日、男は蛇池の畔で離縁した女と出会う夢を見た。
女は「離縁されてからこの池で暮らしていますが、私の力がなければ娘は育てられないと思い、片目を乳に見なして飲ませ、もう片目を着物や本に変えて与えました。ですが両目を失って何も見えなくなってしまったので、もう娘やあなたに会うことはないでしょう」と語った。
その後、男は女児を大切にし、立派に育て上げたという。

『語りによる日本の民話 10 丹後 伊根の民話』「津母の蛇池」より


いわゆる「蛇女房」タイプの異類婚姻譚です。
目玉を乳代わりに吸わせて育てるパターンはよく見ますが、目玉を着物や本に変えて与えるというのは珍しいですね。



伝承地:伊根町津母


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