丹波・丹後の妖怪あつめ

京都府北部(丹波・丹後地域)の怪異妖怪伝承を紹介するブログです。

2025年01月

おくぬぎさん

おくぬぎさん


大迫地区の中央の高台に“おくぬぎさん”と呼ばれる椚の大木がある。
大原神社(福知山市三和町)の神様が美山の樫原(南丹市)へ出向いた時、この椚の所で休息したと言われている。
現在の椚は二代目で、先代の椚が枯れた年は悪疫が流行したという。
今もこの場所に鍬を入れることは恐れられ、古い神々の御札の納め場所となっている。

『和知町 石の声風の音』「大迫のおくぬぎさん」より


大迫集落では大晦日の晩から松の内まで、炉で焚くための木は椚しか使わなかったそうです。(椚は「苦抜き」に通じることから)



伝承地:京丹波町大迫


天狗になれなかった男

天狗になれなかった男 (てんぐになれなかったおとこ)


小谷の山の頂上に「天狗さん」と呼ばれる宮がある。
昔、橋谷のある若い男が「天狗にしてやるから天狗さんの宮に籠もって願をかけろ。そうすればお前も天狗になれる」という夢のお告げを受けた。
男は早速天狗さんの宮に参り、一週間程籠もり続けた。
そして「そろそろ天狗になれただろう」と思い、頂上にある大岩の上から飛んでみた。
ところが男はまだ天狗になっておらず、落ちて足の骨を折ったという。
ある老人は「一週間程度の行では天狗になれない」と話していたという。

『大江のむかしばなし』「天狗のまね」より


天狗への道は長く険しい……。
「お前も天狗になれる」という台詞から考えるに、男に夢を見せて誘ったのは小谷の山の先住天狗でしょうか。
仲間を増やそうと思ったのかな。


伝承地:福知山市大江町小原田


諏訪神社の大蛇

諏訪神社の大蛇 (すわじんじゃのだいじゃ)


天平勝宝の頃(749~757)、古佐の与惚九郎という男が信濃国(長野県)の諏訪神社へ行き、分霊をいただいて丹波国に帰ってきた。
篠山川に架かる渡瀬橋まで来た時、それまでずっと後ろをついて来ていた娘が急に立ち止まり、川へ飛び込んだ。
たちまち娘は恐ろしい大蛇となり、「私は諏訪神社の神霊だ。あそこに見える山(西岡屋の飛の山)は七尾七谷と見受ける。眺めも良いのであの山に鎮まりたい」と告げて姿を消した。
早速、与惚九郎は飛の山を切り拓き、諏訪神社の分霊を祀った。
すると急に天地が振動し、激しい雷雨と共に大蛇が現れ、飛の山を取り巻いて「私は子供が好きだ。安産させよう」と告げた。
それ以来、諏訪神社の御神体は蛇体であると言われ、長い間社殿を作らず、大杉(または桧)の古株を神木とし、注連縄をかけて拝んでいた。
また、昔は諏訪神社の祭の日になると、どこからともなく太った大猪が現れ、自ら神の供物になったという。

『郷土の民話(丹有編)』「与惣九郎の見た大蛇」
『現地案内板』より


諏訪神社
西岡屋の諏訪神社。
祭神は健御名方神の他、八坂刀売神、八重事代主神を祀っています。
日露戦争の時、この神社の御守りを持って出征した西岡屋の氏子は誰も負傷・戦死しなかったことから、武運の神様として信仰されました。

また本文にもあるように、諏訪神社の神様は子供好きだと言われています。
昔、諏訪神社は賽銭箱を置かず、賽物は参拝者の投げ入れのままとし、十五歳未満の子供に拾わせる習わしでした。
ですがあまりに賽物が多いので賽銭箱を設置したところ、その年に疫病が流行り多くの死者が出ました。
困り果てた氏子たちが神社に参拝すると「賽銭箱を受けたればなり(賽銭箱を置いたからだ)」という神様のお告げがあったので、ただちに賽銭箱を外し謝罪しました。
その後、神殿の上段は男子、下段は女子として、六歳~十五歳の子供に賽物を拾わせることにし、多い時は百人以上の子供が参拝者の投げる賽物を我先にと拾い合いましたが、不思議と誰も怪我をしなかったそうです。
ですが明治三十八年(1905)にこの制度は廃止され、賽物は子供たちに分配されるようになりました。(『西岡屋ちょっとむかしの話』)
子供好きの神様はちょっと不満かもしれませんね。


三白(三四郎)稲荷神社
ちなみに諏訪神社の奥には、力士に化けて相撲を取った狐・飛ノ山三四郎を祀る三白(三四郎)稲荷神社があります。


伝承地:丹波篠山市西岡屋


小蛇に化けた大蛇

小蛇に化けた大蛇 (こへびにばけただいじゃ)


昔、二人の村人が大谷の奥の赤穂という所へ芝刈りに行った。
そして芝刈りを終え、帰り支度をしていると、一人が「可愛らしい蛇がいる」と言って、小さな蛇を掌に載せてもう一人に見せつけた。
もう一人の村人は先に帰ったが、小蛇を掌に載せていた村人は帰って来なかった。
人々は「大蛇が小さい蛇に化け、村人が一人になったところを狙って呑み込んだのではないか」と噂したという。

『大江のむかしばなし』「だまして一口」より


伝承地:福知山市大江町河守


日浦が谷の大蛇

日浦が谷の大蛇 (ひうらがだにのだいじゃ)


弘治年間(1555~1558)、女布に一色氏家臣の森脇宗坡(そうは)という武士がいた。
宗坡の娘は何鹿(綾部市)に嫁いでいたが、ある時、実家へ戻る途中で城屋の日浦が谷に棲む大蛇に喰い殺された。
その知らせを聞いた宗坡は怒り狂い、日浦が谷へ駆けつけると弓矢で大蛇を射た。
ところが大蛇は爛々と目を怒らせ、毒の炎を吐きながら宗坡に向けて押し寄せて来た。
すると宗坡の足元に暴風が起こり、雷が頭上をかすめ、豪雨が降り注ぎ、天も地も闇に包まれ、谷は激しく鳴動した。
その凄まじさに、宗坡はやむを得ず隠迫という谷間に身を隠し、追ってきた大蛇を射殺した。
そして大蛇の死体を三つに斬ったところ、天変地異は治まったという。
その後、大蛇の頭部は城屋の雨引神社、胴体は野村寺の中の森神社、尾は由里の尾の森神社に祀られた。
以来、雨引神社は雨乞いの神として信仰を集め、宗坡が大蛇を倒した旧暦七月十四日には、炎を吐く大蛇にちなんだ「揚松明」という祭が行われるている。

『加佐郡誌(全)』「城屋の揚松明(舞鶴による説)」より


参考にした『加佐郡誌』では「森脇宗坡が大蛇を退治し、死体を三つに斬った」と書かれていますが、『まいづる田辺道しるべ』という本では、「昔、城屋に大きなマカニ(真蟹)が棲んでいた。森脇宗坡の娘が日浦が谷で大蛇に喰われ、怒った宗坡はただちに大蛇を退治した。その死体を三つに斬ったのがこの大きなマカニだった」とあります。
また城屋には「マカベ」という小字があり、これは「マカニ」が訛ったものではないかと考えられています。
大蛇の切断を手伝った謎のでかいカニ……かなり興味深い内容ですが、これ以上の情報が載っていないので詳しいことはわかりません。残念。
ちなみに『森と神々の民俗』という本では、森脇宗坡は一色氏ではなく京極氏の家臣で、その娘は日浦が谷のオロチに魅入られて気が狂ったとあり、『加佐郡誌』とは微妙に違う内容になっています。


雨引神社
城屋の雨引神社。
切断した大蛇の頭が祀られていて、地元では「蛇神(じゃがみ)さん」と呼ばれています。
この神社では毎年八月十四日の夜、高さ約16mの大松明に手持ちサイズの松明を投げ上げて火を点ける「城屋の揚松明」という行事が行われています。


伝承地:舞鶴市城屋


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