丹波・丹後の妖怪あつめ

京都府北部(丹波・丹後地域)の怪異妖怪伝承を紹介するブログです。

2025年02月

右坂峠の鬼婆

右坂峠の鬼婆 (うさかとうげのおにばば)


昔、森本の右坂峠に鬼婆がいた。
峠を人が通ると現れ、殺してその死体を食べていた。
ある時、市五郎という男が「鬼婆を退治してやる」と言って、鬼婆の家に忍び込み、たか(二階の物置)に隠れて待っていた。
そして鬼婆が帰宅し、風呂に入ったところを狙って上から風呂蓋を被せた。
更にその上に重石を載せて風呂桶から出られなくし、下から火を焚いて焼き殺したという。

『おおみやの民話』「右坂峠の鬼婆退治」より


昔話の「牛方山姥」っぽい話ですね。


伝承地:京丹後市大宮町森本


周枳峠の化け物

周枳峠の化け物 (すきとうげのばけもの)


昔、夜な夜な周枳峠に化け物が出て、通行人を山の上へ連れて行ったり、谷底に落としたりして惑わしていた。
そこで峰山の殿様が化け物退治の御触れを出したところ、権兵衛という男がその役目を引き受けた。
ある夜、権兵衛は周枳峠へ向かい、近くの松の木に登って化け物が現れるのを待っていた。
すると深夜になった頃、木の下から「権兵衛さん、お前の母が急病になった。『権兵衛に会いたい』と言っているから早く戻ってやれ」と何者かの声がした。
権兵衛が耳を貸さずにいると、声は「お前が意地を張って帰らないから母は死んでしまった。母は『私の死体は権兵衛がいる松の木の下に埋めてくれ』と言い残したので、ここに埋めるぞ」と告げた。
そこで権兵衛が「そうしてくれ」と答えると、葬式の列が来て、木の下に白装束姿の母の死体を埋めて帰って行った。
すると埋めた土の中から、髪を振り乱した母の死体が起き上がり、「権兵衛、私が死んだのに何故戻って来ない」と言って木を登ってきた。
権兵衛は木の上へ上へと逃げたが、やがて一番上まで追い詰められ、母の死体に足を掴まれそうになった。
だがその瞬間、権兵衛は腰にさしていた刀を抜き、母の死体を滅多斬りにした。
すると母の死体は「ギヤァッ」と悲鳴を上げて木から落ちた。
そして夜が明け、様子を見に来た村の庄屋たちが木の下を確認すると、古狸が血塗れになって死んでいたという。

『おおみやの民話』「権兵衛の化物退治(一)」より


このタイプの話は徳島県の「幽霊狸」(『阿波の狸の話』に掲載)をはじめ各地に見られます。
丹後地方では本文の京丹後市大宮町の他、同市弥栄町、宮津市などに類話があります。
話の展開は、勇敢な男が巷を騒がす化け物を退治しに出没地へ行く→木に登って待っていると下から何者かに「お前の家の○○が死にそう」と声をかけられる→無視していると「○○が死んだぞ」と追加報告され、その死体が入った棺が木の下に埋められる(または置いていかれる)→棺から死体が這い出し、木に登って男を襲いかかるも返り討ちに遭い落下する→翌朝に木の下を見ると古狸が死んでいる(正体不明のパターンもあり)……というもので、どれも本文とだいたい同じ流れになっています。


伝承地:京丹後市大宮町周枳


人を馬にする家

人を馬にする家 (ひとをうまにするいえ)


昔、丹波国の奥地の山麓に大きな家があった。
家には数十人もの人が住んでいたが、仕事らしい仕事をしていないにも拘わらず、裕福な生活を送っていた。
また、馬を飼っている様子もないのに、月に二、三頭の良馬を売っていたので、人々は不審に思っていた。
その家は街道沿いに建っており、旅人が宿泊することもあったので、人々は「家の亭主が秘術を使い、宿泊客を馬にして売っているのだ」と噂していた。

ある時、五人の俗人と一人の修行僧がこの家に泊まった。
亭主は六人を招き入れると、「お疲れでしょうから、まずはお休み下さい」と言って人数分の枕を用意した。
五人の俗人は眠ったが、僧は丹後国でこの家の噂を耳にしていたので、用心して起きていた。
ふと部屋の仕切りの隙間から台所を覗くと、家人が忙しそうに動き回っているのが見えた。
小刀で仕切りの隙間を広げてよく見ると、畳台ようなものに土が盛られており、家人がその上に何かの種をまいて菰を被せた。
そして茶を四、五服飲む程の時が経った頃、家人が「もう良いだろう」と言って菰を取ると、盛り土から青々とした草が二、三寸(約6~9cm)程生えていた。その葉は蕎麦に似ていた。
家人はその草を取って茹で、蕎麦のように和えて大きな碗に盛りつけると、それを六人の食事として出した。
俗人たちは「珍しい蕎麦だ」と褒めて味わったが、僧は食べるふりをして簀の子の下に捨てた。
食事を終え、六人は家人に勧められるまま風呂へ向かったが、僧は途中で脇に逸れ、便所に隠れて様子を窺った。
すると亭主が錐、金槌、釘を持って現れ、五人がいる風呂場の戸を打ちつけてしまった。
僧は便所にいれば見つかるかもしれないと思い、暗闇に紛れて簀の子の下に隠れ、そこで息を潜めた。
しばらくして「もう良いぞ。戸を開けろ」という亭主の声を合図に、打ちつけられていた戸が開けられた。
すると中から馬が一頭、また一頭、いななきながら駆け出て、庭を踊り回った。
そうして五頭の馬が出て来たが、いつまで待っても六頭目が現れないので、亭主たちは灯りで風呂場を照らした。
ところが中には何もおらず、亭主たちは「もう一人はどこへ行った」と言って僧を捜し始めた。
僧はその騒ぎに乗じて簀の子から抜け出すと、家の裏山を登って遠くへ逃げ延びた。

翌日、僧は国の守護所に行き、昨夜の出来事を詳しく訴えた。
話を聞いた守護は「あの噂は本当だったのか」と言うと、兵を率いてその家へ行き、家人を皆殺しにしたという。

『奇異雑談集』巻三の三「丹波の奥の郡に、人を馬になして売りし事」より


人が馬や牛に変えられる話は古くから見られ、たとえば平安時代の説話集『今昔物語集』には、三人の修行僧が四国の深山で迷い、近くの人家に泊めてもらったが、その家の顔が怖い主人と怪しげな法師によって二人の僧が馬に変えられてしまう……という内容のものがあります。(残り一人は顔怖主人の妻とその妹に助けられ人のまま生還する)
また丹後地域にも、京丹後市大宮町に同じタイプの話が伝えられています。
あらすじは、伊勢参り途中の若者三人が宿に泊まったが、その家の老婆が作った食事(老婆が使役する紙製の小人がこしらえた怪しげな蕎麦)を食べたことで二人が牛に変えられてしまい、食べなかった一人は「この宿で起こったことは誰にも言わない」と約束することで解放された……というものです。(『丹後の民話 第二集』)


伝承地:丹波のどこか(場所不明)

のま水

のま水 (のまみず)


小原田は平家の残党が拓いた土地だと伝えられている。
家々は不便な高地にあり、風当りを考慮しないで建てられているが、これは外から入って来る者を見張るためだと考えられている。
世が乱れていた頃は、間者が入って来て殺し合いが起こったこともあったという。
小原田の川上で間者を斬り、血を洗ったので、そこの水を飲むと血を吐くと言われている。

『大江町風土記 第2部 くらしと文化』「かくれた人たちがひらいた小原田」より


間者の処刑場だったという渕もあり、そこは「血ヶ渕」と呼ばれたそうです。


伝承地:福知山市大江町小原田


大手川のカッパ

大手川のカッパ (おおてがわのかっぱ)


宮津の大手川のそば(馬場先付近)に住む男性が、知人から聞いた話である。
その知人によると、昔、大手川にはカッパがいたという。
知人は「大手川のカッパは甲羅がなく、人間の子供のようだが、肌はピンク色だった。冬でも大手橋の下でバチャバチャと動いていて、それを見ていると「カッパなんか見るもんじゃない」とよく母親に叱られた」と男性に語ったという。

『みやづ・わが町』「私の好きな大手川とカッパ」より


この話を聞いた男性も子供の頃、母親に「ガータロに足を引っ張られるから大手川の深い所には行くな」と注意されていたそうです。


大手川
宮津市内の大手川と大手橋。
カッパはこの辺りでバチャバチャやっていたそうです。
ピンクの肌はすごく目立ちそう。

大手橋の下
大手橋の下。
濁っていて水底は見えません。
昭和の頃は葦が生い茂り、鰻や鯰、海老など多くの魚が棲んでいたそうです。カワウソもいたんだとか。


伝承地:宮津市鶴賀、馬場先付近(大手川)


天狗の太鼓

天狗の太鼓 (てんぐのたいこ)


ある老人が山の中を歩いていると、コンコロ、コンコロと太鼓の音が聞こえてきた。
山の中で太鼓の音が聞こえるのはおかしいと思ったが、やはり音は聞こえてくる。
これは、天狗が大きな木の切り口を叩いているのだと言われていた。

『大江町風土記 第2部 くらしと文化』「てんぐの話」より




伝承地:福知山市大江町河守


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