丹波・丹後の妖怪あつめ

京都府北部(丹波・丹後地域)の怪異妖怪伝承を紹介するブログです。

2025年03月

池野々の大ぐちなわ

池野々の大ぐちなわ (いけのののおおぐちなわ)


昔、木子の池野々という所に大きな沼があった。
その沼に大ぐちなわ(大蛇)が棲んでおり、近くを通る人を呑み込んでいた。
人々はこの大ぐちなわを退治しようと考え、麦で作った人形の中にもぐさを詰めて火をつけ、沼の畔に立てておいた。
そしてしばらく待ってから沼へ行くと、大ぐちなわが腹を上向きにして死んでいた。
大ぐちなわは麦人形を人間と間違えて呑み込み、腹の中から焼かれて死んだのであった。
その後、人々は大ぐちなわの骨で蛇橋という橋を作ったという。

『弥栄町昔話集』「池野々大蛇退治」より


大蛇が火薬入りの人形を呑み込んで爆死(焼死)する話。

蛇橋に座る謎の女の子。


伝承地:宮津市木子


丹治郎と化け狸

丹治郎と化け狸 (たんじろうとばけだぬき)


昔、丹治郎という老人が家に帰ると、狸が戸口から中の様子を窺っていた。
丹治郎は餌を与えようとしたが、あまり親しくすると化かされるかもしれないと考え直し、狸を追い払った。
ところが、翌日も翌々日も家に来るのを見て、「化かす様子もないから仲良くしてやるか」と考え、狸を家に招き入れた。
そんなある日、丹治郎が峠を歩いていると、一体しかないはずの地蔵が六体に増えていた。
そこで六体の地蔵の口元に煙草の煙を順に吹きかけていくと、一体を残し、五体の地蔵は狸になって逃げて行った。
それから家に戻ると、外から「丹治郎や」と名前を呼ぶ声がしたので、仲良くしている狸だと思い戸を開けたが、外には何もいなかった。
ところが、戸を閉めて戻ると、狸はいつの間にか家の中に入って来ていた。
そして「長く養ってもらったが、化け狸であることを知られてしまったのでお別れだ。今日は餞別にご馳走を持ってきた」と言ってご馳走を広げた。
だが丹治郎は「狸が持ってきたものだから油断出来ない。ぼた餅と思わせて牛糞を喰わされるかもしれない」と考え、ご馳走に手をつけなかった。
すると狸が「もうお別れだ」と言うので、棲み処まで送って行くと、そこで再びご馳走を振舞われた。
今度はちゃんと食べたが、夜が明けて見てみると、丹治郎は草の中で寝ており、ご馳走はまぐさ(牛馬の飼料)に変わっていたという。

『丹後の民話 1 狐狸ものがたり』「丹治郎さんと狸」より


仲良くなった後も狸を警戒し続けていたのに、最後の最後で化かされてしまいました。
お別れだと思って気が緩んだのかな。


伝承地:京丹後市丹後町谷内


鳥の奥の怪物

鳥の奥の怪物 (とんのおくのかいぶつ)


昔、天座の鳥の奥に怪物が現れ、娘を人身御供に要求した。
村人たちは困り果て、大歳神社に「天地のあらん限りの供物を献上するので救ってほしい」と祈願し、五俵の餅米を搗いて供えたところ、怪物は絶えたという。
それ以来、天座では年二回、大歳神社に五本の棒で搗いた餅米を供える「千本搗き」の神事が行われるようになった。

『ふるさと探訪 大江山』「千本搗き」より


また一説では、千本搗きの神事は、源頼光が大江山の鬼退治に来た時に行ったとも言われています。
その頃、天座の中で一番綺麗な娘を大江山の鬼に献上しなければなりませんでした。
そこで頼光は千本搗きで搗いた餅を鬼に供え、娘を取ることを我慢してもらったそうです。
これが千本搗きの神事の始まりだと伝えられています。(『語りつぐ 福知山老人の知恵』)
果たしてこれから討伐に行く鬼の機嫌を取る必要はあったのだろうか……。

ちなみに、千本搗きは歌を歌いながら五本の棒で搗いた餅米を集落の大歳神社に供える伝統神事ですが、現在は行われていないそうです。
現地の方曰く、何十年も前に廃れてしまい、神事の手順も詳しく伝わっていないので再現は難しいとのこと。
また怪物が現れるかもしれない。


鳥の奥
この辺りが鳥の奥です。
鳥の奥は天座の小字で、天座集落の奥、大江山の鬼嶽稲荷神社へ向かう山道の途中にあります。


看板
鳥の奥の入口には看板が立てられています。
内容は『ふるさと探訪 大江山』とほぼ同じですが、こちらは「怪物」ではなく「妖怪」表記になっていました。


伝承地:福知山市天座


狐の嫁はん

狐の嫁はん (きつねのよめはん)


昔、佐仲峠の麓に「市ッさん」という酒好きの男が住んでいた。
市ッさんは佐仲峠の途中にある鏡峠を越えて三井ノ庄(丹波市春日町)へ行き、そこで仕入れた道具を売り歩いて得た金で酒を飲むことが生きがいだった。
そのため市ッさんには嫁がおらず、また峠でよく狐に騙されていたので、人々から変人扱いされていた。
ある日、市ッさんは酒を買い足そうと思い、最後の酒を徳利に入れて鏡峠を歩いていた。
すると、矢で肩を射貫かれた狐が草むらにうずくまっていたので、市ッさんは矢を引き抜き、徳利の酒で傷口を洗ってやった。

それからしばらくして、市ッさんの元に綺麗な女が嫁いで来た。
嫁は働き者で、毎朝早くに家を出ては、三井ノ庄まで仕入れに行っていた。
そして市ッさんは嫁の仕入れた道具を売り歩き、相変わらず酒浸りの生活を続けていた。
ある日の早朝、村人が三井ノ庄へ向かっていると、前を歩く市ッさんの嫁を見かけた。
ところが、鏡峠の入口で急に姿を消したので、村人は急ぎ足で追いかけたが、どこにも見当たらなかった。
だが村人が三井ノ庄に着くと、既に嫁は仕入れを済ませ、別の村へ移動するところだった。
このように、市ッさんの嫁と鏡峠で出会ったことがなかったので、人々は不思議だと噂していた。

ある晩秋の夜、市ッさんが家で酒を飲んでいると、村人が駆け込んで来て強引に鏡峠へ連れて行った。
そして村人が指し示した先を見ると、岩の前に市ッさんの嫁が座っており、その周りを沢山の狐が取り囲んで化粧の手伝いをしていた。
村人は「谷に沢山の狐火が見えたので調べに来たら、お前の嫁がいたんだ」と説明した。
ところが、市ッさんは月の下で化粧をする嫁の美しさに見惚れてしまい、思わず「おーい」と声をかけた。
振り向いた嫁は市ッさんを見て驚き、後ずさりして何かを訴えるように唇を震わせたが、その言葉は聞き取れなかった。
すると、今まで綺麗だった嫁の目は落ちくぼみ、病人のような青白い顔になり、岩の後ろの方へ吸い込まれて消えてしまった。
それ以来、嫁が消えた岩に一筋の割れ目が入り、鏡のように光り始めたという。

『丹波』創刊号「鏡峠の鏡岩 -狐の嫁はんをもらった市ッさん-」より


村人が市ッさんを峠に連れて行って嫁の正体を暴かなければ、二人は何やかんや幸せに暮らせていたんじゃなかろうか……。


伝承地:丹波篠山市小坂、丹波市春日町中山(鏡峠は廃道)


釈迦堂のごご

釈迦堂のごご (しゃかどうのごご)


柏原の念仏寺に釈迦堂があり、毎年三月十五日には参拝者に「ごご(小さな団子)」が授けられる。
このごごをもらって食べておけば、その年ははめ(マムシ)に咬まれないという。
また、はめのいる所へこのごごを持っていくと、はめは動けなくなって死んでしまうという。

『口丹波口碑集』「柏原のお釋迦さん」より


このお団子は「ハメヨケダンゴ(はめ除け団子)」「オシャカサンノハナクソダンゴ(お釈迦さんの鼻くそ団子)」とも呼ばれているそうです。(『京都府方言辞典』)


伝承地:亀岡市篠町柏原町・念仏寺


酔醒柿

酔醒柿 (よいざましのかき)


昔、大江山の酒呑童子は手下と共に丹後の市野々へ行き、小天橋(*)が眺められる絶好の場所で酒宴を催した。
やがて鬼たちは酔っ払って熟睡し、夕方頃に目を覚ましたが、未だに酔いが醒めておらず、足許がふらついて困っていた。
その時、ふと近くの柿の木を見ると、大きな実が熟していたので、その実を取って食べてみたところ、何とも言えない良い味がした。
すると手足のふらつきも治ったので、鬼たちは「この柿は二日酔いによく効く」と言って大江山に引き上げたという。
この柿の木は根元の直径が2mもある大木で、市野々村ではこの柿の実を食べると中風(脳卒中)にならないと言い伝えられている。
また、木に触れるだけで悪酔いが治るとも言われている。

『但馬の伝説』「酔醒柿」より


家の庭に生えていてほしい。

(*)小天橋は久美浜町の北部にある砂州のこと。西天橋とも。


伝承地:京丹後市久美浜町市野々


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