床浦の谷の主 (とくらのたにのぬし)
ある年の夏、温江村の源助という百姓が、大江山の床浦の谷で草刈りをしていた。
源助が刈り取った草を置き場へ運ぶと、そこに小さな蛇がとぐろを巻いて座っていた。
二把、三把と草を運ぶにつれて蛇はどんどん大きくなっていき、やがて大蛇となって源助を睨みつけた。
源助は蛇にからかわれていると思い、「わしに喧嘩をしかけるのか。それなら明日の昼過ぎにここで勝負しよう」と叫ぶと、大蛇は草むらに姿を消した。
翌日の昼、源助は先を尖らせた榁(むろ)の木を手に、対決の場所で待っていた。
すると、ゴーという音を立てて風が吹いたかと思うと、草むらから昨日の大蛇が襲いかかってきた。
大蛇は源助を呑み込もうと大口を開けて何度も飛びかかり、一方、源助は大蛇の攻撃を避けながら榁の木で所構わず殴りつけた。
両者の攻防は数時間に及び、やがて源助は力尽きて気絶してしまった。
再び源助が目覚めた時、既に辺りは暗くなっており、横には血塗れの大蛇が倒れていた。
源助は自分が勝利したことを確信すると、大蛇を担いで村まで戻り、その死体を道端の稲架にかけた。
八段ある稲架の上から二つ折りにしてかけたが、大蛇の頭と尾は長く、地面に着いてしまった。
稲架にかけられた大蛇の死体を見た村人たちは大騒ぎし、村は源助の話題で持ちきりになった。
ところが、その夜から源助は高熱にうなされ、何日も寝込んで生死の境をさまよった。
そして四日目の夜、源助の枕元に神主のような白装束を着た老人が立ち、「わしは床浦の谷の主じゃ。お前との勝負に負けたのは仕方がないが、わしの死体を稲架にかけて見世物にしたのは残念じゃ」と言った。
源助が「あなた様を床浦明神として床浦の谷にお祀りしますので許して下さい」と平伏して謝罪すると、老人は消え、同時に熱が下って元気になった。
その後、源助は大蛇の死体を懇ろに葬り、床浦の谷に小祠を建てて祀った。
それ以来、温江村では稲架は八段にせず、九段にするようになったという。
『加悦町史 資料編 第一巻』「床浦明神のはなし(温江)」より
現在、床浦明神は温江の大虫神社に合祀されています。
伝承地:与謝野町温江

