丹波・丹後の妖怪あつめ

京都府北部(丹波・丹後地域)の怪異妖怪伝承を紹介するブログです。

2025年05月

大下弥五郎の足跡

大下弥五郎の足跡 (おおしたやごろうのあしあと)


西原町小林六番地の屋敷内の岩に、足跡の形をした窪みがある。
これは大下弥五郎という豪傑の巨人の足跡だという。
だが足跡は右足のみで、左の足跡は同市下八田町三平田と福知山市三和町大原にあるという。

『山家史誌』「大下はんの足跡」より


ちなみに綾部市には女巨人の伝説もあります。
男女の巨人伝説が揃っている地域って珍しいですね。

そういえば宮崎県や鹿児島県には「弥五郎どん」という巨人の伝説がありますが、こちらの大下弥五郎と何か関係があったりするんでしょうか。
偶然同じ名前だっただけかもしれませんが……。


伝承地:綾部市西原町


姫大蛇

姫大蛇 (ひめだいじゃ)


昔、どこからか母と娘の親子が猪鼻に移り住み、細々と暮らしていた。
やがて娘は妙齢の美女に成長したが、ある時から夜に家を忍び出ては明け方に帰って来るようになった。
母は不審に思い、家の周りを調べてみたところ、いつも娘の濡れた草履が置いてあった。
そこである夜、母は密かに娘の跡をつけることにした。
すると娘は猪鼻曽都田の東にある大池まで行き、池に入ったかと思うと、たちまち大蛇に姿を変えて水浴を始めた。
母は驚いて逃げ帰り、翌朝、帰宅した娘に外出の理由を尋ねた。
娘は正体を知られたことを察し、大池まで走って行くと、大蛇になって水中に沈んだ。
母はそれから間もなく死亡したという。
その後、明治四十年(1907)の大水害で猪鼻曽都田の山が崩れ、大きな湖が出来た。
村人たちがその湖のそばで対策を協議していると、水面から天に向かって白雲が立ち、一匹の大龍が昇天したという。

『郷土誌「三ノ宮」』「姫大蛇の池」より


娘が沈んだ大池は大正十三年(1924)に改修され、今は田圃になっているそうです。



伝承地:京丹波町猪鼻


化けもん岩の娘

化けもん岩の娘 (ばけもんいわのむすめ)


昔、小原田に川戸勘左右衛門という猟師がおり、毎日奥山という山へ行って猪狩りをしていた。
ある日の夜明け前、勘左右衛門は奥山へ入り、「きとくがはな」という所へ行った。
すると「化けもん岩」と呼ばれる大岩の前で、十七・八歳の娘が行灯を灯し、ホヤホヤと笑いながら髪を結っていた。
勘左右衛門は化け物だと思い、娘を狙って鉄砲を撃つと、行灯の火が消えた。
だがしばらくするとまた行灯が灯り、先程と同じように娘が髪を結っていた。
そこで「化け物の正体は火だ」ということを思い出し、今度は行灯を狙って撃ったところ、火も娘も消え、再び灯ることはなかった。
翌日、勘左右衛門は夜が明けてから奥山へ入り、頂上辺りにある「おんたこんた」という池に向かった。
すると化けもん岩の所にいた娘が、足元まである髪を振り乱しながら池で泳いでいた。
勘左右衛門は「あれは昨夜の化け物に違いない。あれを撃ったらわしの命がないだろう」と考え、その日限りで猟を辞めたという。

また、川戸勘左右衛門には男児と女児の二人の子供がいたが、彼らは不思議な力を持っていたという。
勘左右衛門が山で雄の獣を撃てば、撃った時刻に男児が「きゃあ」と声を上げ、雌の獣を撃てば同じ時刻に女児が「きゃあ」と声を上げる。
そのため、子供の声を聞いた妻は「今日は主人が雄(雌)の獣を獲って帰って来る」と、その日の獲物を事前に知ることが出来たという。

『大江のむかしばなし』「鉄砲の印可と弓の印可」より


これは『日本昔話大成』で言うところの「山姥の糸車」タイプの話(糸車を回す怪しい老婆が現れたので鉄砲を撃ったが効かず、そばにある行灯を撃ったら正体は狐狸の類だったというもの)で、山梨県や秋田県など各地に類話が伝えられています。
ただ、この化けもん岩の娘は本体(と思われる)の行灯を撃っても死なず、翌日には池で元気に泳いでいます。タフネス。


ちなみに、本文に登場する川戸勘左右衛門は鉄砲の名人だったと言われていますが、参考資料にその腕前がわかるエピソードが載っています。
小原田には勘左右衛門の他に弓の名人の某がおり、ある時、二人は通りすがりの娘を的にしてお互いの技術を見せ合うことにしました。
まず勘左右衛門が鉄砲で娘が頭にかけている掛け物を狙い撃って吹っ飛ばし、次に弓の名人が一本の矢で娘の履いている下駄の歯を四枚同時に射貫くという神業を披露したそうです。
確かにすごい腕前だけど、勝手に的にされた娘がかわいそうすぎる。


伝承地:福知山市大江町小原田


御札を降らせた古狸

御札を降らせた古狸 (おふだをふらせたふるだぬき)


明治二年(1869)、葛野村に大神宮(大宮賣神社?)の御札や一文銭が降った。
これは葛野に棲む古狸の仕業で、村人を化かして大騒動を起こした。
この騒動を聞いて久美浜の役人が調査に来たが、その時、老婆の挽いていた臼の上臼が天井裏まで吊り上がった。
役人が上臼を棒で突くと、先端にかい餅(籾を蒸した餅)が貼りついた。
それで村中の者が赤襦袢を着て、「よいじゃないか、よいじゃないか」と言って踊り回ったという。

『おおみやの民話』「古狸の仕業」より


葛野ではこの騒動の二年前、慶応三年(「ええじゃないか騒動」が流行した年)にも高山という人工山の頂上から御札や金が降ったことがありました。
その時、村の人々は「有難いことじゃ、福の神が舞い込んだ」と喜び合い、高山に八百万神社の仮殿を建てて盛大な祭を催し、「よいじゃないか、よいじゃないか」と言いながら何日も踊り狂ったそうです。(『湊生活百年史』)
古狸はこの時の騒動を真似て御札を降らせたのでしょうか。
上臼を吊り上げたのも古狸の仕業?

同じく、与謝野町岩滝でも慶応三年に「ええじゃないか騒動」が起こりましたが、その時は夜間に神社の剣先札が家の門口や中庭へ落ちて来て、それを見た村の人々は「神様からお下がりがあった」と喜び合い、踊り狂ったそうです。
当時を知る古老によると、この騒動の最中、深夜の空に飛行機の飛ぶような音が轟々と響き、黒い影が目撃されました。
その影を見た人は「天狗だ、狗賓だ」と言って怖がっていたそうです。(『岩滝町誌』)


伝承地:京丹後市久美浜町葛野


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