丹波・丹後の妖怪あつめ

京都府北部(丹波・丹後地域)の怪異妖怪伝承を紹介するブログです。

2025年08月

蛙の宮の石

蛙の宮の石 (かえるのみやのいし)


今田町上小野原の住吉神社(蛙の宮)の境内に大きな石が三つある。
同じく、6km程南にある酒滴神社(三田市藍本)にも数個の大石が転がっている。
これは昔、住吉神社と酒滴神社の神が領地を巡って喧嘩をした時、双方から投げ合った石だと伝えられている。
そのため、小野原の人と藍本の人は縁組みをしなかったという。
これを無視して縁組みをすると、片方が死んだり、貧乏になったり、火事に遭ったりと不吉なことが多いと言って忌み嫌われていた。
また、住吉神社の神前には、一本の木から七色の葉が出る「七色木」が生えているという。

『今田町史』「蛙の宮の石」
『多紀郷土史考 下巻』「今田村」より


住吉神社(蛙の宮)
今田町の住吉神社。
丘の上にある神社で、毎年十月に篠山の三大奇祭の一つ「蛙踊り」が行われます。
蛙踊りは八人の踊り手の内三人が締太鼓を叩き、残り五人が太鼓の音に合わせて簓を鳴らし、「ヘイッヘイッヘイッ カエロカエロ」と言いながら三角形に飛び跳ねるという神事です。
住吉神社はこの蛙踊りと、社殿のある丘が大蝦蟇に似ていることから「蛙の宮」と呼ばれるようになったそうです。(『神社案内板』)

神社裏手にあった謎の石群
境内をぐるりと回ってみましたが、残念ながら神様が投げたとされる大石も七色木らしき木も見当たらず。
神社裏手の脇道に大小様々な石がまとめて置いてありましたが……これが件の大石だったり?

酒垂神社本殿
三田市藍本の酒滴神社。(本殿)
素戔嗚命のお告げを受けた村人が裏山の洞窟から霊酒を発見したという伝説があります。
こちらもそれらしい石は見当たりませんでした。
本殿のすぐ裏は山になっているので、石はそこにあるのかもしれません。


伝承地:丹波篠山市今田町上小野原・三田市藍本


蛇淵の女

蛇淵の女 (じゃぶちのおんな)


塩谷の小川が大野川と合流する辺りに滝があり、その下は曲がりくねった淵が続いている。
その淵は木々に覆われ昼なお暗く、夏でも肌寒く感じる程で、地元の者は「蛇淵」と呼んでいる。
昔、夜になるとこの淵に若く美しい女が来て水浴をしているという噂が立った。
そこである男がその姿を見ようと夜に蛇淵へ向かったところ、噂通り美しい女が水浴をしていた。
やがて女は水浴を済ませ、着物を着て大川の方へ歩いて行ったので、男はその跡を追った。
女は大川をスタスタと苦もなく渡り対岸へ行ったが、尾行されていることに気づいたのか、足早に山を登って行った。
不思議なことに、女が薄い光を放っているように見えたという。
そして女は長瀬にある龍巌池という池まで辿り着くと、水中に飛び込み、恐ろしい大蛇に姿を変えた。
男は驚き家に逃げ帰ったが、病気になって寝込んでしまった。
その後も女は蛇淵に来ていたらしいが、誰も恐れて近づかなかったので、その姿を見た者はいないという。
また、女が大蛇に姿を変えた龍巌池の崖の上には小さな祠が祀られており、その中にはいつも赤い蛇がいると言われている。

『和知町 石の声風の音』「塩谷の蛇淵」より


京丹波町には「夜な夜な家を抜け出てはずぶ濡れになって朝帰りする娘を尾行したら池に入って大蛇(小蛇)に姿を変えた」という話が幾つか伝えられています。


伝承地:京丹波町長瀬(蛇淵は龍王の滝の辺り?)


旭塚の畑跡

旭塚の畑跡 (きょくづかのはたけあと)


浄法寺村の観音堂の北、小高い田圃の中に旭塚という塚がある。
この塚の上に畑跡があるが、ここを耕せば祟りがあると言われている。
そのため、人々は恐れて触らず、畑は荒れ地になっていた。
天保の頃、聖隣寺の和尚がこの畑を耕作したが、その時に四尺(1.2m)余りの太刀が出土したという。
また明治の末頃にも木棺や直刀、菅玉が出土したが、誰の塚なのかはわかっていない。

『新編 桑下漫録』「旭塚」より


祟りを恐れぬ和尚、強い。


伝承地:亀岡市篠町浄法寺(旭塚は現存していない?)


宮津の妖

宮津の妖 (みやづのあやかし)


昔、丹後国宮津の須磨屋忠介という絹商人の家に、源という中年の糸繰り女がいた。
源は成相の近くにある伊称という村の出身で、幼い頃に父を亡くしてからは母の手ひとつで育てられた。
源が三、四歳の頃、伊称の村に巡礼僧が訪れ、昼は物乞いをし、夜は源の家の庭に筵を広げ、門の敷居を枕にして寝起きしていた。
僧は日暮れから朝遅くまで眠るので、夜は外へ出られず、家を訪れる者は遠慮して中へ入らなくなった。
だが源の母は嫌がる素振りも見せず、僧を快くもてなしていた。
ある日、僧は母に「もてなしてくれたお礼をしたいが恩返し出来るようなことがない。ただ、どうやらこの家には度々妖怪が現れているようだ」と言った。
母は僧に対し「この家だけではありません。伊称の村は海にさし出た島先にありますが、向かいの沖に見える中の島から妖しいものが渡って来ては村人を悩ましています。私の夫が早死にしたのもこの物怪の仕業でしょう」と語った。
すると僧は「これまでのご恩返しにこの家を災いから救いたい」と申し出て、火を焚き、水を浴びた後、したためた呪いの札を囲炉裏で焼き上げた。
すると間断なく雷が鳴り響き、激しく降り出した大雨が中の島へ向かったように見えた。
やがて雲が晴れ星の光が見えるようになると、僧は「これでしばらくは家に妖しいものは来ない。だが残念なことに悪鬼を一体逃してしまった。これより二十年後、この家に災いが起こるだろう。その時はこの札を火にくべて焼けば妖怪の根源を絶ち、子孫も繁昌するはずだ」と言って、赤い文字が書かれた鉄の札を母に渡した。
そして僧は旅立ち、二度と帰ることはなかった。

時が経ち、源は二十三、四歳になった。
源は容姿端麗で心優しい性格に育ったため、村人たちから恋い慕われていたが、母は普通の人にはもったいないと思い、嫁がせず大切にしていた。
ある日、大内某という五十歳ばかりの醜い容姿の貴族が物見遊山の帰りに丹後を訪れ、伊称の村に滞在した。
そこで大内某は源に一目惚れし、毎夜宿に母を呼び出しては娘のことを聞き出して都へ連れ帰ろうとしたが、色よい返事を聞けずにいた。
そんな中、大内某はかつて巡礼僧から貰ったという鉄札の話を聞き、母に札を見せてほしいと頼んだ。
母は札を大事にしていたので別に作った偽の札を渡したところ、大内某は急に「源を私にくれ」としつこく言い寄ってきた。
それでも母が断ると大内某は怒り狂い、「家中を捜して娘を見つけ出せ。都へ連れ帰るぞ」と家来に命令し、源を連れ去ろうとした。
母は大内某の非道を嘆くばかりだったが、ふと思い立ち、僧から貰った鉄札を火にくべて焼いた。
すると雷鳴と共に大雨が降り出し、雷が家の向かいの磯に落ちたように見えた。
やがて雨は上がり、夜が明けてから見ると、大内某ら都人は皆、衣服を着た古猿に変わっていた。
この古猿たちの持っていた道具はいずれもこの世の物ではない金銀の類だったので、宮津の成相寺の宝倉に収められたという。

『御伽百物語』「宮津の妖」より


都人に化けた古猿たちは、二十年前に僧が取り逃がした悪鬼だったのでしょうか。


伝承地:宮津のどこか(伊根町?)

なえ

なえ


深山幽谷には山怪が棲み、時々人里に出ては女と交わり、生まれた子を山へ連れ帰るという話がある。

昔、丹後国三石村に吉右衛門という男がいた。
ある時、吉右衛門の女房は異体のものと交わる夢を見て、それから妊娠して一人の男児を産んだ。
ところが、その男児は生まれつき体が萎えており、成長しても立ち上がることが出来ず、言葉もはっきりと話せなかった。
三石村では子供が生まれると他人に名を付けてもらい、その名付け親が生きている間は毎年、歳暮の祝いとして米一俵を送る習わしがあった。
だが男児は不具だったので誰にも名前を付けてもらえず、ただ“なえ”と呼ばれていた。
なえが十四歳の年の暮れのこと、彼の両親は「他の子供たちは皆名付け親の元に米を届けに行くというのに、お前は不具に生まれ名付け親さえなく、私たちの足手まといになっている。早く死んで次は常人に生まれてくれ」と呟いた。
すると、なえは父に向かい「私にも米俵をくれ。名付け親に持って行くから」と言った。
父は「お前にどこの誰が名を付けると言うんだ」と嘲笑ったが、それでもしつこく要求するので、米一俵を庭に運び、「一間(約1.8m)も歩けない体のくせに、どうやってこの俵に手をかけるんだ。望み通りお前にくれてやるから名付け親に持って行け」とからかった。
ところが、なえはとても嬉しそうな顔をして立ち上がると、つかつかと俵に歩み寄って軽々と抱え上げ、後ろも見ずに家を出て行った。
両親は「なえは立つことすら出来ないはずなのに、重い俵を苦もなく担いで出て行くとはどういうことだ。それに、なえは一体どこへ向かったんだ」と大いに驚き、吉右衛門はなえの跡を追った。
なえは飛ぶようにして道を進み、二十町(約2.2km)程歩いたところで山に入ると、山奥にある大池まで駆け登った。
その大池は昔から主が棲んでいると言われており、そのために小魚さえ獲る者もなく、青々とした深淵になっていた。
なえは平地を歩くように水面をするすると進み、池の真ん中まで行って直立し、担いでいた俵を水中へ投げ落とした。
それと同時に空がかき曇り、篠を突くような雨が降り注いだかと思うと、池の水が逆立ち、なえは立ったまま水底に沈んで行った。
吉右衛門は驚き、転がりながら山を下りたが、麓まで来ると今まで暗かった空は晴れ渡り、雨が降った形跡はどこにも見られなかった。
その後、吉右衛門の家になえの障りはなかったという。

『怪談藻塩草』四之巻「池の霊子を生る話」より


吉右衛門の女房が夢でまぐわった異体のものは大池の主で、なえはその間に生まれた子供だったんですね。
なえは祝いの米を手土産に水底の親元へ帰って行ったんでしょうか。

『怪談藻塩草』…寛政十三年(1801)に浮世絵師&読み本作の速水春暁斎が出版した怪談集。挿絵も春暁斎が描いている。多才。


伝承地:丹後のどこか(三石村の正確な場所は不明)

ケキリ岩

ケキリ岩 (けきりいわ)


昔、ある老婆がケキリ(草刈り用の農具?)を持って赤岩山の麓を歩いていた。
すると山から四坪(約13㎡)余りもある大きな岩が転げ落ちて来て、老婆を押し潰した。
その岩は田圃の中に落ち、“ケキリ岩”と名づけられた。
ところが、ケキリ岩のある田圃に落ちて怪我をする人が続出したので、割って捨ててしまったという。
人々は赤岩山から岩が落ちるのは神の祟りではないかと考え、山の中腹に観音像を祀った。
するとそれ以来、山から岩が落ちてくることはなくなったという。

『天田郡志資料 上巻』「観音様の由来」より


この観音像は赤岩山中腹の長福寺という寺に祀られていました。
ですが寺は廃寺となり、今は観音堂のみが残されています。
観音堂は天田郡内三十三ヶ所観音霊場の一つとされ、観音像(十一面観世音菩薩)は堂内に安置されているそうです。


伝承地:福知山市下小田


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