丹波・丹後の妖怪あつめ

京都府北部(丹波・丹後地域)の怪異妖怪伝承を紹介するブログです。

2026年01月

西光寺山の金の鶏

西光寺山の金の鶏
(さいこうじさんのきんのにわとり)


昔、西光寺山の頂上にある上人が住んでいた。
上人は里へ下りて来ては村人たちに作物の育て方を教え、病人には治療を施し、人々を集めてありがたい話をしていた。
上人は山中の粗末な庵に住んでいたが、そこに一際目立つ立派な木箱が置いてあり、毎朝その箱に向かって祈りを捧げていた。
村人たちが不思議に思って尋ねると、上人は「箱の中には村が危機に陥った時に救ってくれるものが入っている。そうならないように毎日祈っているが、きっと悪い心を起こす者が出るので決して箱の中を見てはならない」と言った。
ところがある日、上人が留守の間に村の若者が木箱を開けて中を見てしまった。
中には金無垢の鶏がまばゆい光を放っており、たちまち村人の間で「上人様の庵には金の鶏がいる」と評判になった。
ある時、金の鶏の話を聞いた旅人が悪心を起こし、夜中に庵に忍び込んで箱に手をかけた。
すると突然、昼を欺くような稲光と共に大きな雷鳴が轟き、旅人は谷間に転げ落ちていった。
その数日後、上人は村人たちに「私の言いつけに背いた者があり、悲しいことが起こってしまった。私は今日から修行の旅に出るが、金の鶏は山中に残しておく。皆が力を合わせて働いていれば、きっと役に立つ時が来るだろう」と言って旅立った。
その後、西光寺山に立派な寺が建立され、金の鶏の伝説から「金鶏山西光寺」と名づけられた。
以来、正月の夜になると、西光寺山のどこかで金の鶏が四方に金色の光を放つと言い伝えられているが、それを見た者はいない。

『広報こんだ』129号「マイタウン今田⑦〈民話〉西光寺山の金の鶏」より


西光寺山は丹波篠山市の西端、加東市と西脇市との境にある標高約712mの山です。
金鶏山西光寺は西光寺山の南の洞ヶ岳(法蝶ヶ岳)という山の山腹にあった寺院で、今も石垣や屋敷の跡が残っているそうです。
ちなみに、西光寺山の登山道は金の鶏の伝説にちなんで「金鶏伝説のみち」という名前がついています。(『今田町文化財調査報告 第4集』)


伝承地:丹波篠山市今田町本荘・西光寺山


ガァタロウ

ガァタロウ


昔、下山田の堂谷橋が木の橋だった頃、野田川にガァタロウ(河童)が棲んでいた。
ガァタロウは相撲が好きで、夕方から夜中にかけて仲間と相撲を取っては騒いでいた。
犬はガァタロウの気配を感じるのか、鳴き騒いでうるさく、よく眠れなかったという。

『野の幸ばなし』「野の幸ばなし・二十八」より


近所迷惑な河童ですね。
ちなみに野田川の上流、三河内の辺りでは河童のことをガアタロと呼んでいます。


伝承地:与謝野町下山田


三軒家の大蛇

三軒家の大蛇 (さんげんやのだいじゃ)


小山東町の三軒家は園部川の本流で、そこに才ヶ淵と呼ばれる大きな淵があった。
その畔の岩穴に三間(約5.5m)余りの大蛇が棲み、農作物を荒らしたり人畜を害して人々を悩ませていた。
特に夏になると農家の娘や旅の娘たちを呑み殺し、ある時は丹後から都へ上る途中の父娘の親子を呑み込んだこともあった。
村人たちは何度も退治を試みたが失敗に終わり、大蛇を鎮めるため、毎年十一月十日の夜に娘を人身御供に捧げていた。
そこで園部村の赤坂左近尉唯重という男が大蛇退治を決意し、都の領主の九条殿を訪ねて相談したところ、白羽の矢を授けられた。
そして唯重は園部村に帰り、春日明神へ一週間の願をかけ「悪大蛇を退治させたまえ」と必死で祈った。
すると満願の日、うたた寝をする唯重の前に春日明神・猿田彦命の使いを名乗る白髪の老人が現れ、大蛇退治に助力することを告げて姿を消した。
そして唯重は丑三つ時に才ヶ淵へ行き、姿を現した大蛇の左目に白羽の矢を射かけて退治した。
大蛇の死体は曽我谷の善願寺の阿闍梨に埋めてもらったが、翌年から大蛇の亡霊が現れたり、熱病が流行したり、大蛇を埋めた塚の近くを通った時に転んで命を失う者が出るなど、不吉なことが相次いだ。
そこで村人たちは才ヶ淵のそばの山に祠を建て“大塚権現”と名づけ、大蛇の霊を祀ったところ、再び村に平和が訪れたという。

『京都 丹波・丹後の伝説』「三軒家の大蛇」より


この話は文明元年(1469)に赤坂唯重が記した『講当由来記』にあるもので、永禄五年(1562)に唯重の孫の重利が書き写した古文書が子孫の井上家に伝わっているそうです。
『船井郡名勝史蹟案内』や『丹波の伝承』にも同じ話が載っていますが、こちらでは赤坂唯重の名前が「井上某(または私市の某)という豪傑」になっており、領主から白羽の矢を授かるシーンや猿田彦命の使いの老人が現れるシーンがなく、井上某は助力を得ずに単独で大蛇を退治してしまいます。さすが豪傑。
また『園部町の口碑、伝承 おじいさんたちの話』では、大蛇を埋めた塚の前を通ると転んで死ぬ人が続出したため、唯重はその対策に「着物の袖を切って塚に供えれば無事に通れるよ!」というお触れを出しました。それ以来、塚は「そでの森」と呼ばれるようになったそうです。
ちなみに三軒家の地名の由来は、かつて小山の辺りは三軒しか家がなかったからとも、長さ三間余りの大蛇を退治したことから「三間蛇(さんげんじゃ)」と言っていたのが、次第に訛って「三軒家」になったとも伝えられています。

大塚権現社
園部町小山・天神山の大塚権現の社。
朱鳥居が並ぶ参道を抜けて山を登って行くと、山腹に稲荷社をはじめ幾つかの神社が階段状に建てられており、大塚権現社はその一番上に鎮座しています。(『園部町の口碑、伝承 おじいさんたちの話』では「大蛇大権現」という名前になっています)
社には新しめの注連縄と榊が供えられており、今でもしっかり管理されている様子でした。
今も行われているかはわかりませんが、唯重の子孫である井上家は毎年十一月十日の深夜二時に、人身御供の故事に倣って大塚権現に酒や野菜などを供えるそうです。昔は鮒十二尾、白豆腐一丁を供えていたんだとか。

大岩大神
大塚権現社の裏手には「大岩大神」と彫られた石塚があり、その背後にはかなり大きな岩が聳えています。
『京都 丹波・丹後の伝説』によると、ここに大蛇の霊を祀っているそうです。

岩波稲荷
大塚権現の下手にある稲荷神社(岩波稲荷)。
賽銭箱の横の扁額には「正一位稲荷大明神」とありました。伏見稲荷から勧請されたものでしょうか。
ただ大塚権現と違ってあまり管理されていないのか、参道の朱鳥居は大半が朽ちてへし折れ、社殿もかなり荒れていました。
心なしか左右の稲荷もしょんぼり気味に見える。


伝承地:南丹市園部町小山東町


山本の狸

山本の狸 (やまもとのたぬき)


昭和二十年代まで山本の辺りには竹藪が沢山あり、そこに多くの狸が棲んでいて、人を化かしては喜んでいたという。
狸たちは通行人に砂をまいたり、姉さんかぶりにたすき掛け姿の娘に化け、竹を背負って山本浜(保津川沿いの河原)の辺りを五、六人で固まってしゃなりしゃなりと歩くこともあったという。
他にも、法事帰りの尼が「いいお湯だ」と言って肥溜めに一晩中浸かっていた、老婆が通い慣れた道で迷い、夜明けまで川の土手を彷徨っていたという話もある。
昭和の初め頃は、山本のある所の大きな門に狸が背高坊主になって現れると言われていた。
ある日の夕方、少女が姉と子守をしながらそこを通りかかると、門の梁に頭がつかえそうな大坊主が下駄を履いて立っていたので、姉妹は泣きながら逃げ出したという。

『山本の風土記』「たぬきのはなし」より


他にも、太郎兵衛という人が娘に化けた狸を見物していたつもりが、気づけば石灯籠に頭を突っ込んでいた、というポピュラーな化かされ話も伝えられています。
このように山本地域は狸に化かされることが多かったので、親指を隠し握りこぶしを作って歩く、マッチや提灯を携帯するなど、化かされないための対処法があったそうです。


伝承地:亀岡市篠町山本


亀と馬の領地争い

亀と馬の領地争い (かめとうまのりょうちあらそい)


曽我部村字寺村にある與能(よの)神社の使いは亀で、同村字穴太にある小幡神社の使いは馬とされている。
昔、両社の亀と馬が曽我部村を競争して回り、先に通った場所を領地として貰う約束をした。
ところが油断した馬は小幡神社の前で居眠りをし、その隙に亀は與能神社から九つの字を通って穴太まで進んだ。
目を覚ました馬は慌てて穴太まで駆け抜けたが、亀に追いついたのは穴太寺の前だった。
そのため、與能神社は寺村、宮條、春日部、中村、法貴、犬飼、南條、四條、重利の九字の氏神となり、小幡神社は穴太だけの氏神になったという。

『丹波の伝承』「與能小幡両社の領地争ひ」より


與能神社
曽我部町寺の與能神社。
本文にもあるように、この神社の使いは亀で、近くの川や田圃で捕まえた亀は境内の放生池に放つ風習があるそうです。
ちなみに、かつて與能神社には別当寺の與能神宮寺という大伽藍があったそうです。
神宮寺の近くの谷筋には「大杉さん」と呼ばれる周囲10mもの杉の株が残っており、里人の天狗が棲んでいたという伝説があります。(『亀岡神社誌』)

亀っぽい石
境内の放生池に亀は見当たりませんでしたが、亀っぽい形の石はありました。

小幡神社
曽我部町穴太の小幡神社。
與能神社から北に3km程の所、西国観音霊場二十一番札所・穴太寺の近くにあります。

絵馬(神馬図)
本殿の脇に絵馬と鬼瓦が納められた祠があります。
この絵馬(神馬図)は穴太出身の絵師・円山応挙が描いたものだそうです。

円山応挙奉納絵馬
神馬の絵は応挙が描き、息子の円山応瑞が装飾して享和三年(1803)に奉納したと伝えられています。(『亀岡神社誌』)

朝寝坊して領地を逃したドジ女神。


伝承地:亀岡市曽我部町寺・與能神社、同町穴太・小幡神社


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